人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

ロボットはお友達・・・

2016年06月30日 | ニュース

介護やその他の世界で

ロボットが活躍するのは

いいことですね、と

思います。人手不足の時代。

そして今「お話相手」さえも

ロボットさんが登場したようです。

アニメふうの女の子が

表情豊かにお相手します。

老婆は危惧を覚えずにはいられません

生の「人間」はどこへ行っちゃったの?

若者たちがバーチャルの世界を

生の世界と錯覚して満足していると

無表情、そして生々しい感情を失って

極端に言うと「削除」とか「消去」という

簡単操作で殺人も生の血がちっとも

恐ろしいものに感じられない

ってことが、

既に起こっているのではないでしょうか。

子どもたちがだれかの家に集まっても

黙ってスマホをいじくっているだけ

という風景はもう当たり前に

なりました。

無表情、無感動は

バーチャルのなかでのみ生き生きと

蘇るなんて・・・

老婆は悲しいです。

 

 

 

 

 

 

 


字を書く

2016年06月29日 | 日記

このごろ字を書くことが

とても少なくなりました

メールというものができてから

手紙を書くことももらうことも

ほとんどなくなりました。

昔は息子が地球の裏側から

手紙で安否を知らせてくれたり

したものですが

今はリアルタイムでケータイに

今どこそこにいる、なんて

簡単に通信できちゃいますから。

老婆はときどき暇つぶしに

漢字ナンクロをしますが

漢字を書くときかすかに

喜びを覚えます。

このときしか字を書かなくなったなあ・・・

手紙ってものがあったころは

よかったなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


キョーサントーって何?

2016年06月28日 | 日記

いやあ、びっくりしました

30代の、二人の子持ちママと

話していて、たまたま

「共産党が」と言ったときです

「キョーサントーって何?」って

聞かれたのです。

「えっ!」返事のしようもなく

あっけにとられてしまって

先が続けられませんでした。

そうか、キョーサントーという言葉なんか

無縁で過ごしてきたこの人には

「自民党」とか「民進党」が

どっち向いていても関係ない

のでした。

びっくりした瞬間でした。

これはギャルママの格好をしていましたが

30近い女性。

日本が今どんな

危機に晒されてて

わが子の将来はどうなるか

なんて不安はなくて

「みんな英語塾に通わせてるからうちの子も」

なんて五歳の子のことを

心配してる。

こういう人たちにとって「投票」とは

何なんでしょうか。

EU離脱となったイギリスの「国民選挙」

を見ていて

あの女性のことを思い出した

次第でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


布団を干す

2016年06月27日 | 日記

お天気の日には

布団を干す家があちこちで見られます。

太陽に当てたふわふわの布団に

寝るときの心地よさは

なんとも言えない

至上の幸せ感です、

ところが息子たちのは

ベッドで

布団を干すという習慣から

絶縁しているのです。

ベッドの方たちはみんなそうなのか

わかりませんが

太陽に干した布団の

あの心地よさを知らないで

過ごすのが

なんとも残念でなりません。

老婆も元気な今のうちは

よっこらしょと布団かついで

布団を干しておりまする。

布団干すのは平和な日本の

風景の一つ、ではないでしょうか。

それとももう

そんな時代は終わりでしようか?

まあ、外観の風景としては

あまり美しいものではないので

外からは目立たないところに干せれば

いいのですけれど。


キリスト教・・・

2016年06月26日 | 日記

ある女性の葬儀に出席しました。

キリスト教の教会で。

義理で来た人はいなくて

教会はぎゅう詰めの人。

みな泣いて熱い空気が

会堂を満たしていました。

素晴らしい葬儀。

牧師さんの言葉もとてもよかった。

メメントモリーー

死を思え。

ただ・・・

私、根性悪いのかも。

牧師さんの言葉のなかに

多分、聖書の言葉だろうと思うのですが

「何々を得させてください」

というのが実は耳について・・・

「得させてください」とは

まるで翻訳文です。

こんな日本語は土着としてはあり得ない

文化人インテリなら

こんな表現でもすんなり

心に沁みるのかもしれないけれど

私なんぞはこんな言葉にひっかかってしまうのでした。

仏教のお経も神道の祝詞も

意味がよくわからず

ただ「唱えてもらっているだけ」で

ありがたいと民衆は受け入れてきました、

しかし「キリスト教」の言葉は

なまじわかります。

だから厄介なんです。

私みたいなのが

「え?得させてくださいなんておかしな言い回しだ」

などと感じちゃうので・・・

キリスト教が日本ではごくわずかな

割合というのが

なんとなく理由がわかったような。

そしてもともと砂漠の宗教で

絶対的な「汝」に支えられなければ

生きて行けない一神教に対して

森林の宗教である仏教と神道は

「唱えてもらうだけでありがたい」

宗教として土着していきました。

さて、この私は

既成宗教のどれにも属していない

風来坊で

お葬式は数人の家族、友人三人くらい

で簡単な思い出を語ってもらって

あと、「赤とんぼ」の歌で

野辺の送りをしてもらえたら

幸せです。