上高井郡小布施町中子塚(令和6年9月7日撮影)
木島平村豊足穂神社に向かう途中、小布施町で自然石道祖神を確認しようとしていたところ、四つ角にある祠に幟が立てられていて今日が祭りだということがわかった。祠の中を覗くと写真のような石祠が祀られていて、下部に猿らしきものが2体彫られていることから「庚申」さん?、と疑った。そこで近くの家の方に聞いてみると、外に出て来て親切にいろいろ教えてくださった。今夜が庚申さんの祭りだということ。ここでは神楽が舞われるという。庚申講では珍しい設定だ。すぐそばに中子塚の神社があるため、「神社の祭日?」と聞くと、神社の例祭は春とのこと。やはり庚申さんの祭りだと言う。以前はもう少し道寄りに建っていた祠は、車がひっかけて破損したという。時おりそういうことがあることから、ほんの少しではあるが、東へ移転したという。使える材料は使って建て直したというが、見た感じはけっこう新しい印象。ある程度材料を交換したのだろう。祠の中を覗くと天井が格天井となっていて、そこに絵が描かれている。こうした祠では珍しい細工だ。
幟が立っていて気になったのも事実だが、実は祠の外の野天に自然石の祭祀物が目に入り、それが何のか気になった。もちろんこの日小布施に立ち寄ったのは自然石道祖神を確認しようとしてのこと。そういうこともあって、話を聞いてかくにんしてみたかった。するとこの石は「かりったま」と言うらしい。ようは陽石である。そしてその横にある立派な松の木の肌にあるあざの様な模様を女性に見立てたという。とはいえ、『小布施町の石造文化財』(1989年 小布施町教育委員会)によると、これをカリタケさんと言い、道祖神として紹介されている。今回聞いた方は「道祖神とは違う」と言われたが、どちらが正解か。陽石を祀る背景には道祖神としての主旨と重なる部分があり、実際陰陽石を道祖神と言っている例は多い。したがっていちおう道祖神として捉えても良いのだろう。
さて、ここの庚申さんの祭りの獅子舞について、「北信濃神楽採訪」に掲載されている。2014年のおぶせ六斎市に出演された際のもので、庚申さんの祭りに舞われたものではない。平成19年に中断した獅子舞は、復活して現在も舞われているよう。
追記(令和6年9月18日) 手元にあったことに気づいて『小布施町の石造文化財』(平成元年 小布施町教育委員会)を開いてみたら、次のように記されていたので参考に引用してみる。
中子塚地区の庚申堂脇には、注連縄が張られた自然石の陽石があり、「カリタケさん」と呼ばれている。別名を「乞食の堺石」ともいい、次のような伝承がある。
つい最近まで家々を回っては、物ごいをする「おこも」が珍しくなかった。昔のこと、中子塚の近辺は裕福だったらしく、ここへ来ると他村よりも貰い物が多いとかで、おこもが大勢集まり縄張り争いでけんかとなる始末。おこもにもお頭衆がいて相談をした。そこで甲の組はここから北、乙の手下は南、丙の者は東、丁はこれより西と、回る村を決めたとか。縄張りのもとが中子塚地区の「カリタケさん」で、それから「乞食の堺石」と呼ぶようになったという。
伝承の真偽は別として、この石は中子塚地区南の四ツ辻に位置するところから、目印の石として、あるいは村と村の境界を示す道祖神的な役割を果たしていたことは十分に考えられる。乞食の堺石の伝承も、得体の知れない者が、流行病や、災難を持ち込まないことを願い、語られてきたものが変化したのであろう。
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