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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

限界集落

2007-10-12 12:05:04 | 農村環境


 先ごろ信濃毎日新聞紙上で「限界集落」(65歳以上が住民の半分以上を占める集落)の長野県内の状況に触れた話題があった。それによると、限界集落は県内に少なくとも93カ所あるという。国勢調査を基にして信濃毎日新聞が集計したものともいう。その内容については、紙上にあった図を作成しなおした冒頭の図の通りである。市町村の大きさによってその比率は一概ではないが、小村で限界集落が多いとなると、町村そのものが限界的な状況にあるということになるだろうか。そんな小さく数の多い村が最も限界集落数が多い小川村、そして次いで多い中条村ということのようだ。両村とも昨年まで何度も訪れていただけに、思いも深い。以前にも触れたが、中条村の虫倉山登山口の集落で1日仕事をしていると、滅多に車が通ることがない。通ったとしても農耕車、あるいは農耕用に利用されている軽トラック、村の福祉系の車といったものである。

 小川村や中条村と同じような西山(にしやま)の村々を懐の中に納めた長野市にも当然のように限界集落が多い。そして豪雪地の飯山市は、市の人口規模からすれば、西山の村々と同様に厳しい状況にあるんだと知らされる。どこもかしこもわたしは大きくその地域に関わってきた。昭和50年代しか知らない飯山市であるが、当時から「いずれは」という集落があったし、まだ当時はウィンタースポーツの全盛時代であった。

 さて、図をみて不思議に思うことは、西山地域と同様に過疎の最先端をいっていると思われる南信地域に白色が目立つことだ。先ごろ泰阜村梨久保の榑木踊りについて触れたが、その泰阜村も白色である。飯田市が山間の遠山谷を合併したことで数が目立っているが、もともと広範な地域を有しているだけに、長野市同様全体でみると特別集中しているという印象はないが、それにしても周辺が白いのには驚かされる。奥まった集落で廃屋の目立つ大鹿村も白色である。それどころか、飯田市以外の村々で色がついていても1集落しかない。国勢調査における集落の捉え方にもよるだろうし、点在集落がどこまでひとくくりされているかによっても違うだろうから、現実とはことなるのかもしれない。「人口が数人で年齢構成が非公表の例などは除いた」というあたりもこんな結果に現れているのだろうか。そうした考えでいけば、数が集中している小川村とか中条村という所は高齢化していても集落は生きていると言えるのかもしれない。むしろ限界を超えている集落もすでにあることになり、白いから限界以内とはいえないわけだ。

 「限界集落」という名前が適正なのかどうなのかわからないが、この呼び方の名付け親は地元長野大学の教授だという。65歳以上が限界という目安にされているようで印象はよくないが、あくまでも集落を対象にしての指標なのだから、意識する必要はないが、年齢で区分けされてしまう時代に「福祉」による当てはめ時代を感じるわけだ。ようはますます年齢を意識しろ、と言われているようでならない。

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