Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

寿命

2022-07-05 23:58:13 | つぶやき

 毎日世話になっている「目覚まし時計」。使われている電池は単一である。ふだん目覚ましのスイッチを入れる際には気にならないが、とりわけ「明日の朝は」、と思うような大事な予定がある際に、ちょっと気になるのは「ちゃんと鳴ってくれるたろうか」という不安である。なぜかといえば、もう何年にもなるが、目覚まし時計の電池を交換したことがないからだ。その目覚まし時計、けっこう大きくて、鳴る音も大きい。したがって「電池を食う」という印象があるにもかかわらず、電池交換は記憶にないほど昔のこと。

 電池の大きさによって違うのは、電気を起こすための反応物の量だというから、寿命の違いと言えば分かりやすい。単一だから当然「長い」ということになるのだろうが、単一電池の56.4ccに対して単三電池は8.34ccの体積だという。したがって単一電池は単三電池の約7倍の大きさになる。ようは単三1本と単一1本なら7倍の寿命差があるということになるのだろう。しかし、単三電池を使う時計は多い。これもよく利用している洗面所に置かれた時計。これには繰り返し使える蓄電池を利用しているが、1か月から2か月程度に1回交換時期がやってくる。それも2本利用しているのに…。時計の電池が無くなる、という経験は記憶によくある。だからこそ、目覚まし時計の電池の交換が滅多にないことが、逆に不安になってくるというわけだ。

 近ごろは単一や単二といった電池はあまりお目にかからなくなった。強いていえば懐中電灯のような灯りを灯す道具に、大きな電池が、それも何本も使われる。つまるところ大きな電流を必要とすれば何本も使い、ある程度寿命を保つために大きな電池を使う。そう考えると、小さな時計の電池寿命の短さは気になってしかたない。このくらいなら、と道具の大きさでその寿命をイメージするが、体格に似合わず、その寿命に大きな差があるのは「何なのだろう」、そう思わせてくれた原点に、この目覚まし時計があった。実に5年は交換した記憶はない。


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