選挙の時期と言うこともある。ずいぶん昔に記した「選挙が嫌われるわけ」が、このところよく閲覧されている。まさに第21回参議院議員通常選挙のさ中に記したものだ。いけないことに、当時のわが社はまさに傾いていた。かの知事時代を経てすっかり社員が将来を見失っていた。この参議院選挙に、かの知事が新党日本を打ち立てて立候補した。この参議院選挙では、自民党が大敗した。予想していたのかもしれないが、まさに「選挙が嫌われるわけ」で触れていた候補は、見事に落選した。これをきっかけに、職域候補を以降立てられなかった。最悪の時代といえば、さらにそのあとにやってくる。2年後の衆議院選挙において自民党が大敗し、政権は民主党に握られた。事業仕分けというパフォーマンスに国民が浮かれた時代だ。
わたしも先を見失っていたからこそ「選挙が嫌われるわけ」を記した。そして何より、電話作戦の無意味さを痛感した。その考えは今もって変わらないが、繰り返すが選挙運動の中で、唯一誰にでもアプローチできる方法。裏を返せば電話の仕方によっては、票を積み重ねることができると言える。とりわけ職域候補といわれる候補は、組織がある。したがって組織内の有権者を固めれば、一定の票は獲得できる。とりわけ優勢の党に属していれば、職域候補の可能性は高まるはずだ。にもかかわらず「落選」するとしたら、職域のふがいなさ、ということになるのだろう。自民党に属している候補者なら、一定の票を他の候補より確実に上積みすれば、「当選」が見えてくるわけだ。
いわゆる事前活動では後援会への加入を依頼する。しかし、意識が低ければ、後援会の名簿に書いたことすら忘れてしまうし、名前すら記憶から飛ぶ。「選挙が嫌われるわけ」であれほど無意味だと言いながら、電話を今もする。するとこちらが名乗っても迷惑そうに受け取る方が多い。そんなとき「事前に〇〇の名前をお聞きいただいていますか」と問うと、「知りません」と明確に言われる方がいる。そもそも後援会名簿に、誰が名前と住所と電話番号を「書いたのか」ということになる。ただただ実績をあげたいがために後援会加入者を集める人もいる。したがって本人の了解も得ずに名簿に他人の名前を書き入れる方もいるようだ。こうなるとまさに「迷惑」。そのような方に電話をしているわたしたちが「バカ」みたい、というわけだ。無駄な時間を浪費するくらいなら、このような手法はとらないことだ。にもかかわらず同じことは繰り返される。もちろんそこまでしても1票は「大きい」。その1票が、もしかしたら当落を決めるかもしれない。それほど必死な人たちもいる。いいやわたしたちのこころ模様も、けしていい加減にやっているわけではなく、たった1票でも「欲しい」という思いでやっている。しかし、あらためて票読みを冷静に捉えれば、やはり確実な票をいかに上積みできるかに限る。ようは電話をするのなら、知人、関係者、それら本人が直接電話をして投票依頼するのが最も効果的だ。見ず知らずの人に、形式的に投票依頼することは、どうみても無駄だ、ということ。「選挙事務所です」ではなく、実名で電話を掛けることに意味がある、はずだ。
怒られても、そしていきなり切られても、挫けずに電話をする。もちろん「嫌な仕事」と誰もが思うだろうが、そうならない環境の電話作戦に「変えるべき」、とは3年ごとに思っていることだ。そのせいだろうか、無理強いしているわけでもないが、電話作戦にも、人によって能力差が現れる。「嫌ならやらなくて良い」と、簡単には言えない。それは。「誰のためにやっているのか」と問うことになるから…。
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