Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

またまた限界集落

2007-11-29 12:13:37 | 農村環境
 昨日のNHKニュース地方版において、「下伊那の88集落が限界集落」というニュースを流していた。下伊那郡の全体地区数の約20パーセントの集落が限界集落に当たるという。長野県下伊那地方事務所が調べたものといい、県は持続可能な地域作りに向けて支援を検討していくという。

 いったいどう支援していくんだ、とまたまたこんな報道を疑ってしまう。限界状態の集落への支援というから、集団活動ができなくなるからそれを補うために、緊急時の対応策とか考えていくのだろうか。しかし、「限界集落」を末期的危機感のように煽り立てるなら、限界集落をそうではない集落にする方策を考えるのだろうが、そんな方策などあるはずもない。県の職員が集団でそんな集落に住めば手っ取り早い解決策となるだろう。支援するなんていう話の前に、山間地に生まれ育った県職員はそうした地に住むことを勧めるべきだ。自分たちがそうした山間地を見捨てたのに、支援しようなんていう話は笑えてしまう。何より「限界集落」に限らず自分たちが生まれ育った地域を大事にすることが先だと思う。

 わが社にも県職員のOBが天下っているが、この人も現在の尺度でいけば限界集落にあたるムラに生まれ育った。その集落、現在は限界どころか絶滅状態である。少しは山に入ってはいるが、けして「とても不便」というような場所ではない。もちろん、その人だけの責任でもないが、県の職員の多くが、生まれ育った不便な地を捨てている。

 以前にも触れたが、生家の近所でも「こんなところは人間の住む所ではない」といってマチに近いところに住処を求めた人がいた。今はどこぞの県立高校の校長先生だ。かつては「限界集落」なる言葉もなかったし、そういう辺境の地に視点が当たらなかったから交通の便のよい場所へ移住するのも当たり前のように繰り返されたが、あらためてそうした施策が現在の限界的環境を作り出してきたことを知らなくてはいけない。かつては公務員、そしてそれに近い仕事に従事している人たちが山間では比重が高かったはずだ。そうした人たちがいなくなるとともに、限界状態を作り出してきたのだ。何度も言うが仕事だからといって無駄(そんなところに人件費をかけること)な支援をするくらいなら、県職員自らが生まれ育ったところへ回帰するべきだ。ただし、今や「遅い」という感が否めないのは、現在の県職員にはそうした地の出身者が少なくなっているように思えることだ。だからますます支援するという言葉が信用おけないのだ。

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