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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

〝厄年〟その1

2025-02-07 23:25:22 | 民俗学

 デーモンジと厄年がかかわりあることは、その度に触れている。今年のデーモンジを紹介したデーモンジ(令和7年)においても、「扇子」をテーマにしたが、聞き取りは叶わなかった。辰野町界隈における「扇子」については、初参りの「扇子」とともに調べてきたいところ。

 さて、厄年について『長野県史民俗編』では「県下では男性は二五歳と四二歳、女性は一九歳と三三歳を厄年と考えている所が圧倒的に多い。そのほか、上伊那郡長谷村市野瀬のように男性は二、七、二五、四二、六一歳を、女性は二、七、一九、三三、六一歳を厄年としている所や、木曽郡開田村髭沢のように男性は二、七、四二、六二歳、女性は二、七、一九歳を厄年としている所などがあり、厄年の年齢の考え方は地域によってさまざまである」と述べている。「圧倒的」と表現しているように、厄年の年齢は県内変わりないと言っても良いということになるのだろう。長野県内の厄落しに関しては、米山梓氏が「長野県における厄落とし習俗」と題して『伊那民俗研究』28号(柳田國男記念伊那民俗学研究所 2021年)へ寄稿している。また、同氏は同会の2021年9月25日例会において同じ題名で発表をされている。ただし、そこでも県史の捉え方同様に厄年の年齢については特別視されていない。ここでは年齢について少し検証してみることにする。

 

 

 まず男性の厄年について県史の調査資料から地図化したものが、「男性の厄年」である。どう描いて良いかと思案した結果であるが、特徴が出ないのは確かである。ようは地域性が現れないのは、前述したように圧倒的に25歳と42歳が多いからである。凡例に示したのはその25歳と42歳のセットの例と、25歳と42歳に加えてほかの年齢を厄年と言っている例、また25歳とほかの年齢という例と42歳とほかの年齢という例をとりあげた。圧倒的にセットで厄年としている例は多く。その数は424箇所中241箇所に上る。57パーセントにであり、ここに25歳と42歳とほかの年齢の事例79箇所を加えると75パーセントは男性の厄年として25歳と42歳と答えていることになる。とはいえ25パーセントはそれ以外の回答となるが、実は無回答地点も多い。意外であったのは42歳を厄年ではないと答える箇所が回答中に9箇所あったことである。42歳厄年はかなり常識的に言われる厄年であるが、その年を厄年でないという。さらに25歳も厄年ではないという箇所は2箇所あった。図から受ける印象は松本―佐久ラインから北は多様な記号が見られるいっぽう、南はシンプルな印象を受ける。南側は、ほぼ25際と42歳のセットにほかの年齢が加わる箇所がほとんどと言える。いっぽう北側は、25歳のみ、あるいは42歳のみといった例が目立つ。とはいえ、地域性が現れる地図では無いことは確かで、故に厄年を対象にした地図は県史でも扱われていない。

続く


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