奪衣婆とその底面
十王
三十三観音の内「九番」
横に並んでいる馬頭観音群
以前「浦の十王堂」について触れた。旧長谷村でも現在では最も奥の集落にあたるが、ここにある長久寺の境内に十王堂がある。そこに安置されているこのあたりで一般的なこぶりな十王を、再度確認してみることにする。片手でも容易に持ち上げられる程度の石仏だから、運ぶのは容易化もしれない。十王がその土地の石材ではなく、よその石材を利用している例が多いのは、このあたりに理由があるかもしれない。杉島の浦ともなると、完全に中央構造線より東側に位置する。変成岩地帯であり、この地域に目立って多い緑色の岩をあちこちに見る。とりわけ伊那谷当たり前の石とは異質なものに蛇紋岩があるだろう。わたしが初めて長谷の地に入った半世紀ほど前、この石を見て「こんな石があるんだ」とわくわくしたものだ。そうした石がごろごろしている。
実は十王堂の入口に階段下に三十三観音が並んでいる。これもまたそれほど大きな石仏ではなく、両手で持ち上げれば容易なほどのもの。これら三十三観音に並んで馬頭観音もいくつも祀られているが、それらは明らかに地元産の石。みるからに緑がかっている。いわゆる凝灰岩系のものだ。ところが三十三観音はそれらの石と同じではない。繰り返すが「緑がかっていない」。石の肌をなぞると年を重ねているため滑らかな印象もあるが、ざらざらしているという感触もある。そしてそれは伊那谷の天竜川流域に当たり前にみられる花崗岩でもない。正直なところ削ってみないとわからないのだが、風化が進んでいるとともに苔むしていることもあって、正確なことは言えないが、安山岩系である。いわゆる火山岩系であることだけはわかる。
その上で十王堂内に安置されている十王を見てみる。こちらは容易に動かせるから、ひっくり返して下側から見てみると、やはり安山岩である。ここにはほぼ全ての十王に付随する石仏もそろっていて、堂内の中央に安置されている地蔵菩薩は白っぽい石であるが、もう一体ある十王に付随していたと思われる地蔵菩薩も含めて、すべて石質は安山岩と思われる。繰り返すが、馬頭観音群はほぼすべて地元産のものと思われるし、長久寺への導入路の入口に安置されているさまざまな石碑群も、ほぼ変成岩で緑がかっている。ようはこのあたりに祀られている石碑のほとんどは地元産の石と考えられる。ところが十王と三十三観音は石質が似ており(全く同じとは言えないが、似ている程度)、とりわけ十王は伊那谷のほかの十王に見られる安山岩系のものと類似している。完全な変成岩帯の地質環境にありながら、なぜ安山岩の石仏が祀られるのか、これは伊那谷の十王全体に関わることなのかもしれない。
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