わたしたちを睨むように見る彼は
会社と近い位置にいる
けして睨んでいるのではないかもしれないが、
とてもわたしたちを好意的に「見ている」とは考えられない。
もちろん「好意的」にみてもらう必要など
まったくないが、
会社とは少し関係のある立場だ。
わたしたちを「よく思っていない」
とは、同僚の女性の口からでることば。
彼に限らない、
同じような視線は
わたしの経験値にいくつか記憶として残る。
問いただす必要などないが、
「なぜ」という問いは、
わたしに限らず、
同僚からも同じ言葉を聞く。
「わたしだけではない」
そう気がつくと同時に、
彼の視線の意図が「知りたい」
とは思うが、
あえて聞くことのわけが見つからない。
明らかに住んでいる世界が違うのか、
あるいは世間の立ち位置を
自ら納得するために
彼はそうせざるを得ないのか、
もし、意図がないのなら、
彼は悲しい人生を送っている。
そして同じような視線を持つ人々は
みな同じ世界で、
仲間意識を共にしているのか・・・
無尽蔵にこの視線が増えているのか、
それとも減っているのか、
調べるような無意味なことはしない。
しかし、その視線を浴びるたびに
この社会の悲しみを覚え、
冷たい笑いがこみ上げてしまう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます