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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「山の日」に思う・前編

2016-08-11 23:49:01 | 信州・信濃・長野県

 初めての「山の日」である。長野県に暮らしているから「海の日」があるのになぜ「山の日」がないのか、とこれまで少しでも思った人は大勢いるだろう。めずらしく8月11日と固定された祝日である。そもそも祝日を増やしすぎたという感もあり、新たに設けてもそれほど支障のないところに日を定めたのだろう。8月なら子どもたちにとっては嬉しくもない。

 これまでにも触れてきたように、長野県に暮らしていると山は象徴的な存在だと、すぐイメージできる。「山の日」といってもきっとしっくりこない地域の人々がいても不思議ではないが、そもそも「山」は高山だけを指して言うわけではない。ところが、長野県に暮らしていると、この「山の日」を高山に直結する雰囲気がある。県内のほとんどの報道がそうである。たとえば本日の信濃毎日新聞、「山の日」をめぐる記事があちこちに登場する。1面にある「山に親しみ考える日に」の見出しの冒頭は「山岳県・信州」と始まる。山岳とは「陸地の表面が著しく盛り上がった所。高く険しい山が連なったり、より集まったりしている所」と解説される。長野県は日本のどの地域よりもこの解説に則ったところ、と言えそうだ。しかし、ではこの「山の日」は長野県のための祝日、というわけではない。ウィキペディアでは「山とは、周囲よりも高く盛り上がった地形や場所のことを言い、平地と比べ、傾斜した地形から成る。また、地形学では丘陵や台地よりも高度や起伏が大きいものを指す。」とある。暮らしている空間で「周囲よりも高く盛り上がった地形や場所」に該当するところを描いてみると、もともと傾斜度のあるところに暮らしているから、そこから傾斜がきつくなって高くなっているところは、みな山に該当するということになる。だからなのか、わたしたちは段丘崖であっても時に山と言うこともあれば、その上の平らを山として捉えることも当たり前にあった。しかし開発が進んで、水の乏しかった地へ手が入るようになると、山だった景観は明らかに耕作地と変わり、この解説に該当しなくなったという空間も多い。ようは昔はもっと山が多かった、ともいえよう。したがって、今では扇状地面から傾斜の始まる高いところが山と捉えられ、わたしの空間で見れば木曽山脈が自ずと「山」になる。しかし、その山々も峰が幾重にもなっており、ひとつというわけではない。同じ長野県内でも高山に面しない地域も少なくない。生活エリアからいきなり高山になるというのは珍しく、高山はけして近くないというイメージも十分有している。しかしながら、その高山が眼前に必ず姿を現すから、それを象徴的に見るのは当たり前なのだ。山=象徴、長野県人の頭の中に必ず育まれているイメージだ。

 信濃毎日新聞の1面記事に国際フォーラムでの長野県副知事の言葉がある。「山の日を機に、山から遠かった人に長野の山に触れて元気になってほしい」と。「山から遠かった」の距離感の背景にどんなことがあるのかはこの言葉だけでは判断できないが、確かに東京から「山」は遠いかもしれないが、東京からは富士山を望むこともできる。果たしてこの言葉は適正なのかどうなのか。そもそも長野県人は、「山」は高山として捉えすぎていないだろうか。祝日の意図は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」というもの。この「山」はけして高山だけを指しているわけではない。

 同紙の本日の「山の日」にかかわる記事は前述の記事を含め10編は下らなかった。全国にあまたとある新聞で最も多かったのではないだろうか。そして、そのほとんどは山岳・アルプス・岳・登山といったキーワードに収まるもので、平地の人々が近在でイメージするハイキング的な山ではなかった。

続く


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