Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

住みやすい地に立ち、思うこと

2021-04-19 23:31:03 | 信州・信濃・長野県

令和3年4月19日10:30撮影

 

 ここは、飯島町田切である。かれこれ10年ほど前のこと、この光景が望める場所へ、仕事で何度か足を運んでいた。季節は秋に入るころだったのだろう。もちろん、ここに記した記憶はない。当時は、日記に記すほど、ここで何かを感じたわけでもなかった。

 ここは中田切川が形成した段丘上にあたる。わたしの生まれ育った与田切川と、中田切川は、同じ中央アルプスの南駒ケ岳を中心とした山々から流れ出した川だから、似ている環境にある。今まではそう思っていた。しかし、あらためてこの地に立っていると、その違いに気づく。与田切川の谷底で育ったわたしは、与田切川に面した段丘を上り下りして暮らしたことは事実だが、中田切川ほど、川に面した段丘が、日影にならない、言ってみればその川の形成した段丘面が「広い」と感じることはなかった。むしろ天竜川が掘り刻んだ段丘に、集落は制約を受けたように、住空間は形成されていた。ところが中田切川の下流域に、天竜川に面した段丘は小刻みに形成されていない。なぜこんなに違う景観を造ったのか、即答できないが、同じように見える川にも、何か違う要因があったのだろう。

 繰り返すが、ここは中田切川に面した段丘のひとつ。この南側にさらに南田切の集落を形成する段丘がもう一段高くあり、その向こう側(南)には、藤巻川に面した段丘が形成される。すぐそこに天竜川の深い谷が迫っているこの地は、中央アルプスから見れば東に遠ざかっていることもあり、南駒ケ岳だけではなく、木曽駒ケ岳までの山容が眺められる、いってみれば中央アルプスをもっとも美しく望めるエリアだ。とりわけ南側の段丘を上った南田切は、おそらく両者を望むことのできる絶好の位置なのだろう。そして、ここに身を置くと、中央アルプスの山麓に近い高台と違って風が強いと感じたことは少ない。ようは住みやすいエリアでもある。

 さて、なぜここに身を置いて、かつては感じなかった日記を記すことになったのか、おそらく今の季節がここから眺められる山々が印象深く感じさせる時だったのだろう。そして当時はそれほど感じなかった、無住の家々を今は強く意識させられる。果たして10年前は無住だったのかどうかは解らない。しかし、あえて今はそれを強く意識するほど、そうした家々が眼に入る。南側に段丘を控え、北側にもなぜか小高い丘陵を有すこの地は、なお一層風が吹かない地だ。暮らしやすい、そう思うが、いっぽうここから町の中心にある学校までは、遥かに遠い。わたしの生家もそこそこ遠いが、計測してみると、わが家から小学校まで3.2キロ、ここからは4.2キロと、1キロほど遠い。あくまでも学校を念頭においた距離感に過ぎないが。

 写真に写りこんでいる家も、どうみても今は無住だ。住みやすい、とは思うがそれはあくまでもわたしの感情移入に過ぎない。中央に宝剣岳が尖っている。わたしの生家からはさすがにこの姿は望めなかったが、山麓から離れるほどに、南駒ケ岳の麓でありながら木曽駒ケ岳方面も望める。


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