今冬、関係者の口からよく聞こえる言葉が「川に水が無い」というもの。「この夏、水は足りるのか」に繋がり、水不足を危惧されている。これは水を利用している人たちにとっては大きな問題ではある。しかしである、ことはそんな簡単な問題では済まないことを、知っている人は少ない。
「水を利用する人たち」、日本中の河川の多くの水は、農業用として利用されている。簡単に「米不足」などという言葉を口にできないほど、背景には重い問題を抱える。「水を利用する」とは、河川法第23条「流水の占用」にあたる。勝手に河川の水を使ってはならない。ようは水利権と言うやつで、この水利権については大きくふたつに分けられる。許可水利権と慣行水利権である。大量の水を取水しているような施設では、現在の許可水利権の制度ができてからそう間を置かずに許可水利権を取得してきたが、少量の水を占用するような施設では、慣行水利権として今でも継続している施設が多い。ところが河川を管轄している国土交通省並びに都道府県では、こうした慣行水利権では、簡単に言えば取水量把握ができないため、許可を取るようにと指導してきた。がしかし、少量であっても簡単に許可は下りない。相応の資料を作成して申請しなければならず、だからこそ少量の取水施設は、とくに取水に支障が無ければ慣行のまま、これまで利用し続けてきたのである。
長野県は言ってみれば河川の上流域にあたる。したがって大河川は少ない。したがって河川水量の変化が著しい。そして問題の所在がどこにあるかということになる。「川に水が無い」ということは、そもそも許可申請が困難になる。このことは実際に水を利用している人たちも、自らその事務に携わったことがないから、あまり深刻に考えていない人たちが多いのだが、現実は「今年の夏は大丈夫か」どころか、永遠に水不足になりかねないことになる(なぜ「永遠」かと言うと、いったん許可水量が減じられてしまうと、たやすく増量できないからだ。その背景までここでは記さない)。
国道交通省の「水利使用許可の判断基準」のページを見ていただきたい。「5.基準年及び基準渇水流量」に下記のように記されている。
取水予定地点における河川流量のうち10箇年の渇水流量値を抽出し、そのうち最小値年を基準年とします。
この最小値の渇水流量を基準渇水流量といい、河川維持流量、取水予定量及び関係河川使用者の取水量がこの範囲内に存する必要があります。
とさらっと書いてあるが、ここが問題なのである。ここでいう渇水量とは、同ページの「2.河川流量の測定」にあるように、「年間を通じて355日を下回らない程度の流量値」である。1年は365日しかないから、あと10日しかない。ようは10日間河川に流水が認められなければ、その地点で流水を占用することは不可能なのだ。通常許可申請をする際に、取水地点で流量が把握できていれば良いが、そんなことは少量取水ではありえない。したがって近傍の河川流量データから換算して申請する例はあるが、そこで水が必要量足らなければ、結果的に流量を把握するための調査なりが必要となって来るものの、現実的に「この川はある時期になると水がなくなる」というような言葉を耳にするような河川では、到底渇水量が取水量を上回る可能性は低い。ようは許可申請そのものが不可能なのだ。
これは新たに許可を得る例に限るわけではない。「5.基準年及び基準渇水流量」にもあるように、「10箇年の」という指摘がある。許可は永遠ではない。農業用用水の場合10年が許可期限。したがって許可期限を迎えればそれを更新しなければならない。その際に、過去10年の河川流量を求めそこから基準渇水流量が決められる。例えば今年は水が川から無くなったとなれば、更新時の実態とすれば河川流量が足らなくなることが予想されるわけだ。ようは次の更新時に、現在許可を受けている水量が申請できる保証はどこにもないのである。繰り返すが現取水地点で、もし流量がみとめられないくらい河川に水が無いとすれば、新規に許可水利権を取得しようとしても、一滴も水を取水することはできない。
この許可水利そのものに問題があるとわたしは思っているが、実は巷ではまったく無関心だ。しかし、実は「今年水は足りるだろうか」などというレベルではない問題を孕んでいるのである。
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