Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

こたつを入れる日

2005-10-25 08:12:25 | 民俗学
 彼岸が過ぎると急にすずしくなり、それから一ヶ月もしないうちから、寒いと感じるようになる。すると、暖房具を使いたくなる。長野県でも差はあるが、標高が高ければ、1年中こたつを開けておく家もある。もちろん年寄りがいれば、こたつがしまわれずに置かれることも多い。わたしも、毎年寒さを感じるようになると、家で「こたつを入れないか」と妻に問う。ところが、こたつにはかけ布団や下掛けなど必要で、出す側にとってはすぐにOKは出さない。妻も納得するほど寒さを感じてくると、ようやくこたつを出してくれる。そんなことを毎年繰り返すのである。しまうときも同じようにかけ引きがある。
 こたつを入れる日については、下伊那郡天龍村坂部では11月下旬の戌(いぬ)の日に入れ、4月下旬の戌の日にあげる。また、午の日に出し入れするのを嫌ったもので、炭がまの口を午の日に開けることも嫌ったという。その日に開けると炭がいくら黒くてもまた火がおきて燃え出すという。同じ下伊那郡阿南町新野では、未の日がよいといった。この日に作ると火事にならないといった。東信の小県郡丸子町坂井では、10月の戌の日につくる。申の日は忌むという。また、北信の上水内郡三水村(現飯綱町)でも戌の日に作るという。犬はずくがあって、こたつなどに入っていないからだという。いっぽう長野市栗田では、戌の日にこたつをつくるなといった。戌は元気がよいからという。このようにまったく正反対のことも言われているが、戌の日に作る、という話はよく聞く。松村義也著『山裾筆記』には「亥ごたつといって十月の最初の亥の日を選んだり、壬(みづのえ)、癸(みづのと)の日がいいなどさまざまなことが言われる」とある。戌の日というのは一般的かと思うと、けっこういろいろ言われているようである。
 いろりがあったころには暖房具がいらなかったということもいわれる。こたつそのものが古い時代にはなかったわけであるから、こたつが現れてから戌の日というものが当てられたわけではなく、もともと火に対して戌が意味をもっていたということになるだろう。今では電気を使うため火事の心配は少ないが、かつてのように火を使うこたつの場合は、火事への心配がつきまとった。そうしたことから、火を使い始める日を選んだわけである。
 掘りごたつの時代には、こたつの縁の回りに渋紙を当てて鋲で止めた。畳が擦れるのを防いだり、オキが落ちたりして畳を傷めることを防いだ。
 ところで、今でこそ「入れる」というが、よく考えると、昔は「こたつを明ける」といった。掘りごたつの場合は、こたつを設置する場所にそれ用の畳がはめ込まれていて、畳と床板をはずしてこたつを準備した。明けるというのは、こたつの扉を開ける、あるいは明かりを入れるというような意味もあるのだろう。さて、わたしの家でも「こたつを入れてほしい」というと、「戌の日に入れる」と返答される。あくまでも口実で、入れるのが面倒だからである。
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