ネットより拝借
ブログ「たまゆら通信」で <母と歩いた日のこと>を読んでいて
唐突に子供の頃に歩いた一本道を思い出しました
小学校に上がると一人で亡き父の実家、祖母の側で
春夏冬の休みを過ごすのが私の義務みたいになってました
そんなある日叔母に連れられて
祖母の実家に向かったのは何年生だったのか
故郷は広大な筑豊盆地の中にある
隣町にある祖母の実家へ叔母と歩いていきました
もちろん電車じゃなく当時は汽車やバスも通っていますが
駅まで行って汽車を待ってというよりもだったんでしょう
二人で歩いて行きました
どこをどう歩いたのか
あの広い麦畑はどこにあったのか
風にそよぐ広い広い麦畑
ヒバリの鳴き声以外は明るく静まり返った麦畑
その麦畑の中を真っ直ぐに貫く一本道
この一本道を叔母と二人どこまでも歩いて行く
子供の頃のこととはいえ
まるで夢の中の出来事のような思い出です
あの一本道はどこにあったのでしょう
広い麦畑はどこかに今もあるのでしょうか
故郷への郷愁が募ります
郷愁を誘う麦畑ーどこへたどり着くのか分からない、寂しいような、でも、長閑な風景ですね。
おばさん達の繰り言、どなたも同じですね。
PCよりもスマホで探せましま。
私は東京生まれの東京育ちですが、郊外で学校の行き帰りは、畑や水田、麦畑もあって、道端に近い麦を一本抜いて、麦笛を作って鳴らして歩いた記憶があります。
広大な麦畑を映像や写真で見ると、なんとも言えない思いが広がります。
あの若い色も金色に光る色も、子供の頃の記憶を揺さぶります♪
この度、私のささやかなブログを取り上げて頂き、うれしく思います。
母と麦畑の中を歩いた想い出は、ずいぶん前に書いたものですが、そこまで溯ってごらん下さったのですね。
つばらさんの場合は、小学生のころ、筑豊盆地の中を、叔母さんと歩いたのですね。
「まるで夢の中の出来事のような思い出です」のお言葉に、遙かな郷愁を深めました。
今では夢の中の思い出になってしまいました<笑
おばさん達の繰り言>読んでいただいたのですね
そのおばさん達とも今では
逢いに行けないわ~>になってしまいました<笑
私が知ってる東京でも、すっかり変わってしまいましたものね
麦畑ナンてどこへ行ったやら
以前は館山へ向かうとき、水田の美しさも観てましたが
今ではそれさへ見ることが無くなりましたよ
お人柄が偲ばれる文に共感しながら読ませて
頂いてます
これからもよろしくお願いします