昔むか~し
うら若き乙女とはいかないが年増女には程遠いころ
友人と10年近く毎年 飛騨高山へ出かけました
二艘の帆掛け船と言われ
「あァ~あ 同性愛」と笑っていた友と二人
いつも1~2台の伴走車?と共に高山へ行き
高山を拠点にあちこちを巡り、高山への往路・復路も
手を変え品を変えで、思い出は枚挙にいとまがない、が
いづれ書きたいとは思いますが、今回は10年間我儘な
宿泊者を温かく見守ってくれた宿のことを感謝を込めて
書き残したいと思います
団体客用の旅館は別にあるが、私たちが泊まっていたのは
家族も住まっている宮川沿いの宿 00旅館
こちらの宿は
正月・高山祭の時はお休み
私たちが行くのはいつも晩秋か冬の雪の時です
紅葉の盛りを過ぎた晩秋の飛騨路の美しさ
紅葉の絨毯の山、初めて見た時、福岡育ちの私は童謡もみじ
の歌が初めて腑に落ち、狂喜したものです
00旅館は玄関を入ると京の町屋のような、奥深く続く土間
その右手は蔵の入り口です
部屋は障子のサンは春慶塗で各部屋や廊下には私の好きな
素晴らしい磁器のやきもので飾られています
私たちが呼んでいたお母さんという呼び方がピッタリの
優しく大らかでしっかり者のおかみさんとお手伝いの
元気で明るい00ちゃん
目を楽しませてくれる食器の数々と品数の多い美味しい料理
棒葉焼は初めてで、コンロからお味噌まで一式を買い込みました
お母さんの漬けた<赤かぶ>は絶品で以来外では買えなくなりました
これで宿の条件としては満天なのに、あと一つ、最高で最大の
おまけがついていました
入口右手の蔵の中には、数々の骨董品、やきもの・人形:羽子板
根付等々他、工芸・民芸品の数々も所狭しとおかれています
高山の00展示会の時など貸し出しされているようです
その蔵の中に作られた小さな櫓炬燵で裁判所勤めから帰られた
ご主人が毎晩ちびりちびり楽しんでられます
そこへ一度はご相伴にあずかりながら、戦後、進駐軍に渡って
いくのを危惧して集め出したという蔵いっぱいの骨董品を
自由に見せてもらってました。
この時間の楽しかったこと、
これも高山へ通い詰めた一つでもありましたネ
高山は雪の時がいい
人通りの絶えた夜の雪の町
ほろ酔い気分で歩く夢幻の世界
高山へ行くなら冬の時期をお勧めしたい
あの時からどれだけの時間が過ぎたでしょうか
旅館の佇まい、今ははどうなっているのか
お母さんたちには、年が経ちすぎて会うことは出来ない
だろうが、今一度訪れてみたいものです
<高下駄は預けっぱなしだったわね>
友と語り合ってます
00旅館のPRみたいな記事になってしまいましたが
数ある日本の旅館の中で
私たちには五つ星の懐かしい旅館です
地元の焼き物<渋草焼> と春慶塗の茶托
ご主人に頂いた時が150年前の盃
郡上八幡へ向かう雪の山道