Pranava. Yoga+Ayurveda.

ゆるりヨーガとアーユルヴェーダな暮らし

死生観

2015-06-17 | いつものこととか
私は時々 人や物事をリアルに想い浮かべることがあります



想い出そうとするわけではなく不意にあまりにも突然に鮮明に目の前に現れたかのように



先日 最後を大変苦しんだ祖母の最後の姿が現れました



その姿を見ながら祖母の最後の日々に寄り添っていたことを想い出しました




私が知っている祖母には到底見合わない苦しみを間近で見ていたこと

その理不尽さと人はこんなにも苦しんでも簡単には死ねなせてもらえない怖さと悲しさと怒りを感じたこと

どんなに痛がっていても お世話をしてくれる看護師や医師に頭を下げながら絞り出すようにお礼を言う姿

たった一度だけ病院のベッドの上で身をこわばらせながら絞り出すような声で殺して欲しいと懇願されたこと

今日は病院に泊まって欲しいと恥ずかしそうにお願いされたことや私が明日また来るからとそのまま帰っちゃったこと

翌朝 看護師さんから一昨日祖母がベッドの下に落ちて身体中 点滴の管を巻き付けながらしゃがみ込んでいたと聞いたこと だから不安で私に側に居て欲しがったんだということ

元気な時に私の知らない御先祖様のことや祖母の昔のことを話してくれたこと

幻覚を見るようになってクスクス笑ったり大好きなギャンブルで大当たりして喜ぶ祖母と2人で手を繋いでバンザーイっ!て叫んで大笑いしたこと



それらのことがまだ若かった私には強烈過ぎて私が子供の頃から可愛がってくれた祖母の姿が中々想い出せなかったのに先日 突然 病院から自宅に戻って静かに横たわっていた大理石のように固く冷たくなった祖母の肌の感触や その姿を鮮明に想い出しました



そしてふと気づいたのだけれど あんなに苦しんだとは想えないほど穏やかな表情にも怖いくらい冷たい身体にもどこにも祖母の死というものはありませんでした



祖母の身体にも私の想い出の中にも祖母の死というものが存在しない



祖母が死んだあの時も想い出している今この時にもどこにも祖母の死が存在しないのです



何故 そう感じるのか 何故 今のタイミングで祖母を想い出したのかわからないけれども私の死生観がはっきりとして来ているのは感じています



このことは もう少しじっくりと考えて行きたいなと想います



もしかしたら自分とは何か?というところへ繋がって行きそうです








祖母の死後 産まれたひ孫たち










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