あるヨーガクラスに熱心に通ってくれている人が「ヨガするようになって自分の身体のバランスの違和感に気付くようになった』とシェアしてくれたのですが ほんとその通りだと思うのですよね
普段は時間だとか仕事だとか人間関係だとか何かの価値観だとか外側に向いている意識を自分だけに向けていく
ヨーガのじかん
ヨーガは違和感に対する感覚が研ぎ澄まされていきます
今どんな呼吸をしているんだろ 今身体にはどんな感覚があるんだろ 今自分は何を考えているんだろ とか他人ごとのように見つめていく作業を意識的に呼吸や身体をコントロールしていきます
そうするとまずは自分のあるパターンに気づいていけるようになります
そのパターンを見つめている自分に気づいた時に実はヨーガの練習が始まっていくのですよね
クラスでは自分の感覚と張り合わないようにとか 我を忘れて没頭し過ぎないようにとか 頑張り過ぎないようにお伝えしているのですが ついつい外側の世界の基準で生きてきた私たちのパターンで頑張り過ぎてしまいますよね
わかるわかる
でも これは私がヨーガの先生や今まで出逢って影響を受けたきた尊敬している全ての人が同じことを教えてくれだのだけれど「そこに喜びがある?」
硬い身体を無理に伸ばそうとして余計に自分の硬さにダメ出ししていない?
今できる以上のことをしようとして痛みを我慢していない?
今の自分にできること以上のことをやろうとか前にできていた自分や周りと比較してしまうと焦ったりして本当はわかっている違和感を無視してしまう
ヴェーダーンタを学んでいたスワミジにも そしてある人にも言われたのだけれど 自分のグルは自分の内側にしかいないって
これはいろいろ端折ってお伝えしますが(詳しくはヨーガやアーユルヴェーダのお話会もしてますからその時に聞いてね)自分が本当に心地よいとか幸せとか喜びを感じること 自分にとって正しいことは自分にしかわからない
「声のヨガ」のクラスの時でも同じなんだけれど 声を出すタイミングとか出している時の違和感とかを無視しないこと
良い声を出そうとか正しく声を出そうとか思わずにまずは声を出す準備ができたかどうか 出してみて気持ちが良いかどうか 声を出し終えたらどう感じたとか 楽しみながらいろいろと試しながら調整していく
そうすると「これだー!」って声に出会えるようになるんですよね
これはもう声とか音の世界だけでなく もちろん身体を猛烈に意識するヨーガアーサナの練習にも通じるし 人間関係を含めた生き方全てに通じていくと思うのですが
自分の内側にあるもの 呼吸・身体の感覚・心の動きにはオープンに 誠実に
外側の世界で何かに疲れたり傷ついたりしていると自分自身に対してもオープンになることはある人たちには難しいかもしれない
わたしもめちゃくちゃ重い扉が内側で閉じているからえらそうなこと言えないけれど
自分を開いて喜びを自分に赦す
それもう ほとんど快楽的でいいと思うのですよねー
同じようなことをある人から 自分や自分が取り組んでいることに対してはオープンで誠実であるように!って言われて そう毎日取り組みながら 更に自分自身に落とし込むためにこうして文章化してみました
で
私は最近ようやく自分に過剰にあったものを自分自身で認めることができて それは私の最優先ではないとわかったので これから自分のスタンスが大きく変化していくのですが 何かに取り組んでいく時 そこにある違和感に敏感でいて それをいかに排除していくかは 自分が進化して純粋なところへ到達するのに必要だと思っています
私にとって自分の内側にあるものは敏感で繊細で弱々しくて頼りないけれど
単なる感覚的な喜びではない全てが一致した喜びって確固たるもの
時々 忘れても 絶対にまたそこに戻ってこれる場所
それが ほんとうは自分の内側にいつもある絶対的な安心感
外側で起きることに対しては 笑顔ではははーって気づいてないふりしてやり過ごすことも自分を大切にすることでもあると思ってます
空気読めない 図太い
それがなにか?
ただ 咲く‼︎
2019年スタート!
ママさん対象サークルヨーガのメンバー募集中です
日時:毎週水曜日10:00-11:30
場所:近鉄恩智駅近く
定員:10-15名
費用:10.000円
(月4回で10回ワンクール)
news/twitter → ◎
life/instagram→ ◎
普段は時間だとか仕事だとか人間関係だとか何かの価値観だとか外側に向いている意識を自分だけに向けていく
ヨーガのじかん
ヨーガは違和感に対する感覚が研ぎ澄まされていきます
今どんな呼吸をしているんだろ 今身体にはどんな感覚があるんだろ 今自分は何を考えているんだろ とか他人ごとのように見つめていく作業を意識的に呼吸や身体をコントロールしていきます
そうするとまずは自分のあるパターンに気づいていけるようになります
そのパターンを見つめている自分に気づいた時に実はヨーガの練習が始まっていくのですよね
クラスでは自分の感覚と張り合わないようにとか 我を忘れて没頭し過ぎないようにとか 頑張り過ぎないようにお伝えしているのですが ついつい外側の世界の基準で生きてきた私たちのパターンで頑張り過ぎてしまいますよね
わかるわかる
でも これは私がヨーガの先生や今まで出逢って影響を受けたきた尊敬している全ての人が同じことを教えてくれだのだけれど「そこに喜びがある?」
硬い身体を無理に伸ばそうとして余計に自分の硬さにダメ出ししていない?
今できる以上のことをしようとして痛みを我慢していない?
今の自分にできること以上のことをやろうとか前にできていた自分や周りと比較してしまうと焦ったりして本当はわかっている違和感を無視してしまう
ヴェーダーンタを学んでいたスワミジにも そしてある人にも言われたのだけれど 自分のグルは自分の内側にしかいないって
これはいろいろ端折ってお伝えしますが(詳しくはヨーガやアーユルヴェーダのお話会もしてますからその時に聞いてね)自分が本当に心地よいとか幸せとか喜びを感じること 自分にとって正しいことは自分にしかわからない
「声のヨガ」のクラスの時でも同じなんだけれど 声を出すタイミングとか出している時の違和感とかを無視しないこと
良い声を出そうとか正しく声を出そうとか思わずにまずは声を出す準備ができたかどうか 出してみて気持ちが良いかどうか 声を出し終えたらどう感じたとか 楽しみながらいろいろと試しながら調整していく
そうすると「これだー!」って声に出会えるようになるんですよね
これはもう声とか音の世界だけでなく もちろん身体を猛烈に意識するヨーガアーサナの練習にも通じるし 人間関係を含めた生き方全てに通じていくと思うのですが
自分の内側にあるもの 呼吸・身体の感覚・心の動きにはオープンに 誠実に
外側の世界で何かに疲れたり傷ついたりしていると自分自身に対してもオープンになることはある人たちには難しいかもしれない
わたしもめちゃくちゃ重い扉が内側で閉じているからえらそうなこと言えないけれど
自分を開いて喜びを自分に赦す
それもう ほとんど快楽的でいいと思うのですよねー
同じようなことをある人から 自分や自分が取り組んでいることに対してはオープンで誠実であるように!って言われて そう毎日取り組みながら 更に自分自身に落とし込むためにこうして文章化してみました
で
私は最近ようやく自分に過剰にあったものを自分自身で認めることができて それは私の最優先ではないとわかったので これから自分のスタンスが大きく変化していくのですが 何かに取り組んでいく時 そこにある違和感に敏感でいて それをいかに排除していくかは 自分が進化して純粋なところへ到達するのに必要だと思っています
私にとって自分の内側にあるものは敏感で繊細で弱々しくて頼りないけれど
単なる感覚的な喜びではない全てが一致した喜びって確固たるもの
時々 忘れても 絶対にまたそこに戻ってこれる場所
それが ほんとうは自分の内側にいつもある絶対的な安心感
外側で起きることに対しては 笑顔ではははーって気づいてないふりしてやり過ごすことも自分を大切にすることでもあると思ってます
空気読めない 図太い
それがなにか?
ただ 咲く‼︎
2019年スタート!
ママさん対象サークルヨーガのメンバー募集中です
日時:毎週水曜日10:00-11:30
場所:近鉄恩智駅近く
定員:10-15名
費用:10.000円
(月4回で10回ワンクール)
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To live is…
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Osaka Yao and…Anywhere
Pranava
Yoga+Ayurveda.
定期クラスの他に出張クラス・イベントクラスのご依頼も承ります
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