あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

最終回18 [同行二人・・] “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-09 10:12:35 | 五木寛之さんと親鸞他
「“一人でも一人ではない”、とそういう気持ちで生きていた方がいいですね。」
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター(視聴者からの便りを読む)

「私もわずらわしい人間関係が嫌いです。
人に合わせて無理に絆を作ろうとしない、1人で納得のいく人生が幸せだと思います。
70代の男性からいただきました。」

番組キャスター 「一人としてのつきあい方が大切ですね。」

五木寛之 「自分とのつきあい方が大事ですよね。
親鸞は、“二人いて喜ばは、その一人は親鸞だと思え”と言っています。

お遍路の方達も同行二人とか、言ってね。」

番組キャスター 「はい、ここ(スタジオ)で昨日、放送しました。」

五木寛之 「そうですか。そういう感じで、“一人でも一人ではない”、とそういう気持ちで生きていた方がいいですね。」

番組キャスター 「今日は、どうも有難うございました。」

五木寛之 「有難うございました。」




終わり 
------------------------------------------
今四国のお遍路が流行っているそうです
テレビでもやっていました
何となく憧れたりしますね
大体が宗教関係の話は「心を洗う」的な雰囲気があって
まぁ、勝手にそう思っているだけなんですが
調べてみました
============
「同行二人」(どうぎょうににん)。
四国八十八箇所の霊場めぐりのお遍路さんたちにはいつでも空海(弘法大師)がついて一緒に歩いてくれている。目に見えなくてもそう思う人のそばに必ずいてくれている‥そういう意味だそうです。
============
あら、「同行二人」は「どうぎょうににん」と読むのですか?
私は「どうこうふたり」と読んでいました(笑)
この年になって初めて正しい読み方を知りました

お遍路の何がいいって、景色もいいですよね、多分
私など都会の真ん中で、高いマンションや車だらけの日常で
道路は舗装、木なども少しだけ
庭に木を植えている家自体が少ない場所です
ですから、周りの緑を見ながらポチポチ目的の柔らかな
散歩でもなし、目的地に行って何かするでもなし
歩くことに意味があるって、贅沢な歩きですね
あ、又勘違いしました
この間のテレビの映像では老夫婦が二人和やかに
お遍路の旅をしていましたが、
「同行二人」とは、大師さまのことでした

先日も書きましたが、「公園デビュー」とかの話
つるまないと生きていけないとかあるのでしょうか?
「ぽっち」とかいうのがあるそうですね
大学生がトイレで食事をするとか
私は昔から人とはあまりうまく付き合えないたちなものですから
結構一人でいた時間が多かったような気がします
それをやっぱりちょっと変かな?とは思っていました
ですが、つるむのは苦手だし、人が苦手だし
あえて、誰かと一緒にいる事が楽しいわけでもないし
つまり、うまく付き合えないなら一人のほうが楽チンとか?

ですが、考えてみると友達がいなかったわけでもなく
なぜか一緒にいる友だちはいたのですが、
大勢でワイワイするなんて、ありえないことでした
で、友達がいっぱいいる人って、凄いなあ、と思うのは
どうやって「さばく」んだろうとかいうことです
よく疲れないと思いますが

それはさておいて、五木さんは
孤独と向き合うというか、所詮はひとり、
とかいう話をなさってましたね
五木さんもパーティなどには出ないとおっしゃっていましたが
どういう付き合い方がその人に向いているか、
そういう話にもなっていくのでしょう
結局、どうあるべきか、ではなく
その人その人に合った生き方で、ということなのだと思います
画一化した価値観をマスメディアは押し付けようとする
結局は、自分達の方向性に沿ったものを善しとしているのかも知れません

ですが、信心の足らないというか、信心すら知らない私には
同行二人ということが、どこまですんなりと心に入るのか
猜疑心の強い私には、中々難しい話です

余談ですが、私は催眠術師のところに行ったことがあります
冗談ではなくて、マジックでもなくて
心の悩みを解消する為に、心ではなく性格ですね
ですが、全く催眠術にかからなかったのです(笑)
二ヶ所に行ったのですが、全くかからない(笑)
可愛くないですよね
つまり、催眠療法というのを施術してもらって
かかった方が自分の為になるのに、ね(笑)
終いにその催眠術をかけるカウンセラーの人が
お金を取らなくなってしまいました
だって、催眠術にかからないから進まないのです
まぁ、長くなるのでこの辺で終わります

五木寛之さんの「ゆうどきネットワーク」のお話はここまでで終わります
五木さんは、渾身の力で「親鸞」三部作を完成なさいました
本当に有り難うございました
大変な労苦だったと思います
そして、これを書くことは五木さんにとって、
大変重要なことであったのだろうと思います
本当に有り難うございました。
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17 《清潔にしすぎる・・》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-08 12:18:15 | 五木寛之さんと親鸞他
「清潔にしすぎる、雑草のように育てて欲しいですね。(笑)」
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「今日は五木寛之さんをお迎えしてお伝えしてきましたがたくさんのお便りが届きました。
これはほんの一部ですよ。

メッセージを紹介していきます。
学生時代、ずいぶん「青春の門」に浸(ひた)った、本も買ったし、映画も見に行った、でも、信介にはなれなかった。
「青春の門」は僕の20歳の原点である。

神奈川県40代の方からです。
五木寛之さんの死ぬ時は1人という言葉に同感です。
孤独を楽しむことも大切です五木寛之さんに孤独を楽しむテーマで書いていただきたいと思っています。

そして質問です。
私は37歳の主婦です、
高校生のときに心の病気にかかりましたが「生きるヒント」を支えに元気に生きることができました

小学生の子ども、今育てていますが、本当に今の子どもたちは忙しすぎると思います。
子どもを取り巻く現状にどんな危機感を抱かれますか。」

五木寛之 「そうですね。あまりにも過保護と言っても、おかしいですけれども、昔は“子供は風の子”と言って放っておいても育つ、まあ、道に落ちたものを拾って食べてみたり、そんな事が平気なことがありましたけど。

僕は、抵抗力が落ちているんじゃないかと思います。
免疫力というかね。

だから、少々ばい菌が付いたものでもちゃんと食べるみたいなものがね。

亡くなった免疫学者の多田富雄さんが手を洗い過ぎてはいけないと仰っていました。
清潔にしすぎる、雑草のように育てて欲しいですね。(笑)」


 


番組キャスター 「なかなか世の中が変わってきていますけれどもそういう心持ちが必要ですね。」

五木寛之 「なんとかなるものですよ。なんとかなるけん。」(笑)

(続く)
------------------------------------------------
>「なんとかなるものですよ。なんとかなるけん。」(笑)

そうなんですかね(笑)
心配性の私にとっては、中々難しい考え方ですが

フッと思って五木さんの血液型を見てみました
思った通り「O型」でした
ちょっと話が飛びますが
===========
文学者の血液型
A型
夏目漱石、谷崎潤一郎、芥川龍之介、坂口安吾、司馬遼太郎、松本清張
三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、小松左京、村上春樹、福田和也、阿部和重
B型
大岡昇平、椎名麟三、吉行淳之介、安岡章太郎、筒井康隆、坪内祐三
O型
川端康成、江戸川乱歩、横溝正史、五木寛之、唐十郎、谷川俊太郎
渡辺淳一、星新一、村上龍、田中康夫、島田雅彦、辻仁成
AB型
志賀直哉、太宰治、安部公房、森敦、石原慎太郎、柄谷行人、平野啓一郎
============
神経質そうな夏目漱石はA型ですね
川端康成はO型だそうですが、自殺した・・
五木さんの力強さはO型の性格から来ているのかも知れない・・・?
とか、思ってしまいました

子供をあまりに清潔志向で育てるのは
動物としての生命、とかいう問題からすると
間違いかもしれないと思います
アレルギーの問題もそうみたいです
1~2才頃までに犬や猫と一緒に育てると
アトピーとかになりにくいとか聞いたことがありますし
回虫を飼えという話もありますね(体内に)

結局今の風潮が果たして正しいのかどうかという話になります
私は正直言って今の世の中の「感性」みたいなものに違和感があって
今の世の中に適合しない感じがします
やたら「除菌除菌」と騒ぎまくり、
あれが汚い、これが汚いなどと喧伝する
あれは、薬品会社の陰謀かもしれません・・
某◯林製薬などの新製品、いい加減にせいや、
という感じの除菌グッズを後から後から発売していますが
ああ言う一種の暗示広告みたいなものに脅かされて不安になっていく
それが、又々商業主義に乗せられているだけなのに
布巾が汚い、便座が汚い、タオルが汚い、スポンジが、たわしがetc.

そんなことを言って、強い洗剤を使い、強い薬品を使い
それらを水や大気に垂れ流していく
これは、環境汚染そのものではないかと思うのです
自分だけきれいに清潔にしたつもりが、
環境汚染となって帰ってきて、人間の体を蝕んでいく
煽りを食った自然派の人達はいい迷惑です

私は食器を石鹸で洗っていますが、よく落ちます
石鹸って案外洗浄効果が高い事に気づきます
殆ど中性洗剤を使ってないのですが、十分に足りてます
結局、除菌だの清潔だのと言いながら
自分で自分の首を絞めているようなものだと思うのです
もう少し自然に還らないと、色々な意味で怖いです
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16〈笑う事だけが・・〉 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-07 20:38:07 | 五木寛之さんと親鸞他
「笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「更に、この男性は五木寛之さんの“憂愁を大事にする”という言葉も、非常に共鳴されているということなんです。これはどういうことですか。」

五木寛之 「戦後、私たちはどちらかというと、プラス思考、一辺倒でやってきたというところがありますね。

笑い、ユーモアの文化があって、明るく前向きに生きている限り人生うまくいくという発想でね

暗い気持ちになりがちになると、マイナス思考になってはいけない
というふうに自分自身を叱咤激励(しったげきれい)しながら、涙とか泣くとか悲しみから逃れようと生きてきたような気がするんです。

でも本当はそうではなくて、柳田國男が「涕泣史談(ていきゅうしだん)」という本の中で、“日本人は泣くことを最近は忘れている”というふうに指摘していますけれども、

泣くと言う事は、日本人は、スサノオノミコト(素戔男尊、日本神話に登場するアマテラスオオミカミの弟神)

みたいな荒ぶる神でも、海を枯らし、林を枯らすほど、豪快に泣いた訳ですし、日本人は泣くと言う事を大事にしてきた国民なんですね。

だから、時には、どうにもならない時に涙をこぼして、“わあー”と、泣くとか、悲しむとか、そういう事は、歌謡曲や演歌的な世界で、普通はマイナス思考だと言われるでしょ、でも、そんなことはないですよ。

悲しむのは大事なことで、喜ぶ事と、悲しむ事、笑う事と、泣く事、プラス思考とマイナス思考。

笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」

    

番組キャスター 「そう言われればね。わざと元気に、元気に、」
「無理して紛(まぎ)らわせる事はない、と。」

(続く)
-----------------------------------------------
明るい・笑う・元気、などのメジャー指向を善しとする風潮
また、そうでなければ「いけない」というような傾向
私は以前から疑問に思っていましたが、
五木さんのおっしゃることに、
やはり、そうだったのか、という感じです

これって、結構テレビの中の世界からの「強制」みたいなものではないのか
そう思いました
けれど、柳田國男さんが指摘した時代とは?
「 1962年8月8日(満87歳没)」
これでは、あながちテレビの影響とばかりも言えないようです

ですが、視聴率第一のテレビ界において
「明るい・笑い・元気」というようなメジャー系のものが
求められるのは、当然といえば当然の話です
ですが、テレビ他のマスメディアが大きな影響力を持っている事実
知らず知らずの内に、それが一種の価値観となって
体に染み込んでいくのではないかと思います
それらの商業主義から来る一定の意図を持った価値観が
人の心を支配していく、そんな気がずっとしていました

人と自然の関わりが希薄になり、重きを置かれていくのが
ひたすら「人間関係」の事に集中していく
そんな気がするのです
だから、「公園デビュー」の話もそうですし、
学校のいじめも旧来よりも悪質に、数も増加しているのではないか
いじめは昔からあったと思いますが
そのいじめが生死に関わるほどになってきた事実もあります

マイナーなことを悪とし、皆一列に同じでなくてはいけないと
誰が言ったのか
又、誰もが社交性があって明るくなければいけないと
誰が言ったのか

最近時々聞く「私など生きている価値がない」とかいう言葉
「生きている価値があるかどうか」を一体誰が決めるのか?
本人が「自分は生きている価値がない」などと思ったとして
一体、本人にもそういうことを決める権限があるのか?
そんな風にも思ってしまいます
傲慢ですよね

又弱いことを悪とする風潮もあります
私もそう思っていました
それが以前にも書いた遠藤周作氏の「沈黙」という小説です
生きていく為に役に立つ能力のみを善とし、それ以外を悪とする
これは、正しい考え方でしょうか?
ですから、戦時中障害者を要らないものとし、排除することを国が考えた
障害児童を疎開から外してしまった、そういうこともあったのです

人を、生き物を、経済効果のみでその価値を計る
これは、間違いです
だから、人が人として生きていくための悲しみをすら
悪として排除しようとしているのが、今の日本人なのでしょうか?

ただ、私が最近テレビを観て思うのは、
「悔し泣き」がその位置を大きくさせてきていることです
嬉し泣き、悲しいから泣く、悔しさで泣く
スポーツの世界、での話ですが
もう何度も何度も悔し泣きを見せられていると
正直ウンザリしてくるのです
何故か、それはただひたすら
「自分の為だけに泣いている」からなのだと思うのです
美しくないのですね、その涙だけは・・・
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15 “どうにかなるけん”“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-06 22:22:01 | 五木寛之さんと親鸞他
「九州のほうではね“どうにかなるけん”、と言うんですよ。」)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「では、ここからは五木寛之さんにいろんな質問を伺いたいと思います。
まずは50代の男性からです。

苦境にある時に、どのようにその苦境に向かっていけばいいのかという切実な質問からです。

私自身、50を過ぎてリストラにあい、この春から半年ほど、無職のまま、就労できない日々を過ごしてきました。

何につけても自信喪失で、精神的にもポキッと折れてしまうのではという不安を抱え、そこから自分を解放する為に、どうすれば良いのだろうと考え続けています。どう向き合えばいいですか。」

五木寛之 「大変ですよね。
誰でもそういうことはあると思うんだけれども、九州のほうではね

“どうにかなるけん”、と言うんですよ。

いろいろ人が心配することの、実際には10分の1か、10分の2ぐらいしか起こらないという本が話題になったことがありますけどね。

明日は、明日の風が吹くというか、なんとかなりますよというそういうことでしょうね。」

(続く)
---------------------------------------
さっぱりとした回答ですね

>いろいろ人が心配することの、実際には10分の1か、10分の2ぐらいしか起こらないという本が話題になったことがありますけどね。

そうなんですか
私は小心な心配性のたちなものですから
いわゆる「悲観論者」みたいなところもあります
大体がAB型の人が豪胆だとかは聞いた事がないですけれど

心配性の人は、後から後から悪い事が起きた時の事ばかりを考える
楽観的な人は、起きうる中のいい方をも考える
つまり、悪い事も起きるかもしれないけど、
いい事が起きるかも知れないよ、と言って
いい方へと考えていく

私の考え方は、最悪のことを考えておけば
いいことが起きた時は、得をした気分になり
もしも、悪い事が起きた時は「やっぱりね・・」と
自分を慰められるかもしれない、とかいう・・・
一言で言えばセコい考え方ではありますが

ただ、一つ助言を受けたのは、
「いいことをイメージしていた方が、いい事が起きる確率が高くなる」
つまり、良いイメージを持つとそれが向こうからやって来るんだとか?
呼び寄せ効果とかいうものでしょうか?

五木さんの「どうにかなるけん」という九州にある言葉は
先に話をなさった「他力の力」に近いようにも思います
考えても最後は運命が・・・





ボルシチの素みたいなものを売ってたので
「S&B 世界の食卓から ロシアの家庭料理 ボルシチ」
買って作ってみました。味は・・・(笑)
私には合いませんでした
つまり、もっと口に合うのであれば今頃
カレーなどと同じに、日本人の食卓によく乗る食べ物になっていたのかも
ジャガイモ、玉ねぎ、人参、蕪、牛肉、ビーツが材料でした
本物の味を知らないので、これがうまく出来たのかは不明ですが
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14《親鸞はストイック》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-05 11:53:01 | 五木寛之さんと親鸞他
「親鸞は非常にストイックな人でね。厳しく自分を律する人ですけどでも私はどちらかというと、本当に、いいかげんな人間で。」
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「みんな同じ命は同じ、ということなんですね。
私も、そういうふうに読んだ記憶があります「青春の門」は。
そして最新作「親鸞」について多くのメッセージをいただきました。

98歳の祖母が、読みたいからと、白内障の手術をしてまで読んだ」

五木寛之 「それはうれしいですね。」

番組キャスター 「さらにこちら先ほど、山本さんもおっしゃっていました。

私が人生で初めて、真面目に最後まで読み通した作品です。
完結編となると、五木先生と親鸞が徐々にダブって見えてくる。

五木先生は、もう、親鸞の立場に立って、物事が見えているんじゃあないか、そう、私は感じます。
こういう感想をお持ちの方も多いんですね。」

番組キャスター 「ですってよ。」

五木寛之 「いやーそれは全然違う。」(笑)

番組キャスター 「違いますか。」

五木寛之 「全然違いますね。あの人は非常にストイックな人でね。
厳しく自分を律する人ですけどでも
私はどちらかというと、本当に、いいかげんな人間で。」

番組キャスター 「そうかな?連載を書き続けているのはストイックだと思いますよ。」

五木寛之 「それだけなんですよ、それしか能がなくて。
こんな人間で、ごめんなさいという感じで書いているんですよはっきり言って、本当にそうです。ええ。」

   

(続く)
------------------------------------------
五木さんの「親鸞」を事情があってまだ全て読んでいませんが、
第一作は読みました
活劇あり、女あり、陰謀あり、の、大変ドラマチックな読み物でした
その中の親鸞像で感じたことですが、
五木さんは
「あの人(親鸞)は非常にストイックな人でね」
とおっしゃっていますが、その親鸞像は、
己の様々な感情に突き動かされる性格
それと仏教の戒律とのはざまで、非常に悩みぬいた人として描かれています
師事する法然との性格の差は歴然として
その法然の、おおらかな性格との対比も書かれています

親鸞がストイックにならざるを得なかった事情というものが
その辺りにあるということなのでしょう
親、先祖からの血筋、というようなものも幼少時には書かれています
それらの血をどのように「抑えこむか」というものも
親鸞の仏教人としての葛藤にあったものと思われます

法然は妻帯していません
親鸞は妻帯をしました
それについて、師匠に当たる法然は
「(親鸞の)思うようにしていい」
というようなことを述べたような気がします
この辺りに親鸞がどういう人であり、
どういうことに悩んだかを推測する事ができます

五木さんは、何故その親鸞がストイックであったと述べたのか
それは、そういう自分を御する?律する、能力においてというような
そういう意味において、そういう表現したのかな、とも思います
続く
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13【馬鹿も利口も命は・・】“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-04 18:07:05 | 五木寛之さんと親鸞他
「馬鹿も利口も命はひとつたい」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「ここからは、リポーター佐伯さんに加わっていただきます。」

佐伯  「実は、「ゆうどき」では五木寛之さんの好きな本、そして魅力、さらに五木寛之さんに伺いたいことをNHKのネットクラブを通してアンケートを行いました。
五木寛之さんの読者の方、NHK「ラジオ深夜便」のファンの方などすごい数が来たんですよ。

その数、370以上の方から回答いただきました。
いろいろご紹介していきます。ありがとうございます。

まずはこちら、五木寛之さんの好きな作品ベスト3です。

1.青春の門

2.親鸞

3.生きるヒント

青春の門は、九州の炭鉱地帯、筑豊に生まれ育った主人公が人生に悩みながら成長していく長編小説。
たびたび、映画やドラマ化もされています。

    

父、繁蔵の言葉  「馬鹿も利口も命はひとつたい」が残っています。

どうしょうもない時、余計な事を一切考えず、がむしゃらに足を踏み出したい時、後押ししてくれる言葉。

五木寛之さん、これ馬鹿も利口も命はひとつたいというのは、どういう意味でお書きになったんですか?」

五木寛之 「僕はもう作品の中で、名文句とか名言は殆ど無いんです。
自分で貧弱だなと思いますが、これは地元で昔から言い伝えられている言葉なんで。

川筋気質といいますけれども、筑豊の労働者や炭鉱で働く人の間で、何かの時に、ふっと出てくる言葉なので私が作った言葉ではありません。

長く生きている言葉というのは何かあるんじゃないかなというふうにね思うところが、ありますけれどもね。」

(続く)
-------------------------------------------------------
命と隣り合わせの炭鉱で働く人たちから
言い伝えられている言葉だそうですが
大きな炭鉱事故のあったことを思い出すと、切実な響きに感じます

ですが、今ここに命の危険と隣り合わせでないかに見える私達でも
その限られた時間をどう過ごすかも、
たった一つ与えられた命の貴重さを考えなければいけないのだとは思いますが
私などは、やはり漫然と生きている、というしかない日常です

この言葉の中にあるのは、「人は平等」であると共に
「命あっての物種」ということも含まれているのでしょう
五木さんにとっては、色々含みのある言葉と思いますが
どんな所のどんな人にも与えられた一つの命
粗末に扱われている世界の実情を思う時
それぞれに大切な命なのに、あまりに悲惨な戦場となっている国を思うと
この平和を守ることのいかに大切かを思います

中東のあの逃げ惑う人々を映像で目にする時に
人間の愚かさに、言葉もない気がします
五木さんの心の傷も、戦争がもたらしたものです
何故、戦争がなくならないのか
それこそが、人間の愚かさの証明のような気がします
続く
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12 「お薦めの本は・・」“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-03 12:07:01 | 五木寛之さんと親鸞他
「学校の教科書みたいに、これとこれが代表作で読みなさいというのはないと思います。」
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五木寛之さんの印象を東京・神田で聞いてきました。

「最近は、教訓的な良い人になってしまって若い頃の反逆精神が随分変わったと思いますけれども素敵な作家だと思っています。」

「82になって、この年齢まで書き続けるエネルギーというか次から次へ新しいテーマを持ってらして・・・」

番組キャスター 「五木寛之さんに、とことん伺います。やはりファンの方よく見ていらっしゃいますね。いきなりですけれども次世代の人たちが読むベスト3は挙げられますか?」

五木寛之 「いや、どうなんですかね。たくさん部数が出たから読まれているということでもないでしょうし。

時間をかけて、長い間にロングセラーになったものもあります。瞬間風速でぱっと売れたものもあります。」

番組キャスター 「若い人に読んでもらいたいとなると、どうなんでしょうか。1冊だったらどうですか。」

五木寛之 「いやー何ですかね、自分ではもう。あれ、ということもね

出来の悪いばかな子どもこそ可愛いというのがあるでしょう。
世間で顧みられなかったような作品にも愛着があるものがありますよ。」

番組キャスター 「いいと思ったものを読みなさいということですか。」

五木寛之 「まあね、これも出会いですから、いろんな機会で偶然に勧められたとか

手に取ったとかいうことでね、出会うこともありますし。
学校の教科書みたいに、これとこれが代表作で読みなさいというのはないと思います。」

番組キャスター 「ということですって。」

(続く)
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「ということ」なんだそうです
お子さんのいない五木さんに取って、
ご自分がお書きになった本は、
「自分の子供のようなもの」なんだそうです
ですから、その中から幾つかをあげろと言われても
「みんな可愛い」という親の気持ちになるのではないかと
後から思いました



今年も花柚子(姫柚子)がなりました
反対側に結構ついています
今年は随分暑かったので、やはり水切れがあったのかもしれません
ですが、今年も道行く人に何度か褒められました
「凄く成ってますね~」と・・・
続く
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その11【誰が悪人か・・】 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-02 12:07:12 | 五木寛之さんと親鸞他

「1人の人間が生きて行くということは周りの人間に迷惑をかけながら、それを支えてくれる人たちと一緒に生きている訳です」)
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「正直自分の人生を描いているという意識はないんですか?」

五木寛之 「まあ、自分の人生というものが、果たしてあるのかないのか。自分の人生と言いますけど、人間は人間関係の中で生きている訳ですから

1人の人間が生きて行くということは周りの人間に迷惑をかけながらそれを支えてくれる人たちと一緒に生きている訳ですから

沢山の人たち、例えば背の高い大きな植物が育っていく為には、ススキとか周りの植物を、枯らして生きていく訳ですね。

同じように、一人の人間が、世の中で日の当たるところを歩いて行くということは沢山の人、周りの人に迷惑をかけながら、その人達を押さえつつ、自分が前に出る訳ですよ。

だから、競争社会では、前に出る人は皆、悪人(笑)、
成功したと言われる人は全部悪人だと、心の底では思っていますね。(笑)」



番組キャスター 「今でも?」

五木寛之 「それは、そのとおりだと思います。さっきの孤独死の話に戻りますけれども人に知られず、ひっそりと生きている人たちが正しい生き方なんだろうと思います。世に栄える人はみな悪人だと思いますね。」

番組キャスター 「今日は又この後もおつきあい頂きますがひとまず、ありがとうございます。」

(続く)
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「人に知られず、ひっそりと生きている人たちが正しい生き方なんだろうと思います。」
これは、以前どこかで別の人が言っていた言葉

「一家を一生懸命に支えて地道に働いているお父さんが一番偉い」
というような事なのだと思います
それは、男性に限らずとも、ということでしょうが
こと、悪人云々の話になった場合、悪をなすのは男が多いですから
又、良くも悪しくも男が社会の中心になっているのは
紛れもない事実です

ただ、「世に栄える人はみな悪人」という断定も凄いものだと思います
私などは、そんなこともないだろう、とか思ってしまいますから
まぁ、「栄える」の意味が、経済的なものだとすると
そうなのかもしれませんし

ですが、大学の教授とかも、中身の実力ではなく
社会的実力?そういうことから昇進していくらしいのです
醜い世界らしいです
私の知り合いに某有名W大学の教授の奥さんがいますが
以前そう言ってました
学校の校長なども似たりよったりと聞きました
修羅場を見た五木さんの言葉ですから、
実感を伴ったものなのではないかと思うのです
中島みゆきの「地上の星」みたいなものでしょうか
続く
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その10[何の為に書くか・・] “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-01 13:47:23 | 五木寛之さんと親鸞他
「人は生きていくうえで何か1つぐらいは、こんな人間だから、やらなくてはいけないんではないか、とか思うところがありますね。」
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


番組キャスター 「親鸞完結篇」で思いましたのは私には、てれ隠しのように聞こえたんですが「親鸞」を書ききろうというその根っこにあるもの、何なんですか。

五木寛之 「それはやっぱり、いろいろありますよ。やりかけた仕事だからちゃんとやろうとかね。

これ以上書く力はないんだけれども、頑張らなくちゃとか、読みたいと思って待っている人がいるんじゃないか、とかいろいろなことがありますよね。

だから、やっぱり小説を書いたり絵を描いたりすることは自己表現をしたいという気持ちが根底にあるんでしょうけれども、それだけではないような気がします。

人は生きていくうえで何か1つぐらいは、こんな人間だから、やらなくてはいけないんではないか、とか思うところがありますね。」

(続く)
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「親鸞」    2008年9月1日~2009年 8月31日東京新聞連載
「親鸞 激動編」2012年1月1日~2012年12月12日東京新聞連載
「親鸞 完結編」2013年7月1日~2014年 7月 6日東京新聞連載

「作品紹介」より
最初の作品『親鸞』では、京都を舞台に比叡山で修行に励みつつ煩悩に苦しむ、8~35歳の若き日の親鸞が青春群像劇として生き生きと描かれました。
次に前作『親鸞 激動篇』。越後へ追放され、そして関東を流浪する親鸞。土地の人々と交わるなかで、師の教えに追いつき追い越そうと苦悩する、36~61歳の姿が活写されました。
そして待望の第三部では、親鸞は京都へ帰還します。最も多くの業績を残したといわれる61歳から90歳までの、師を超えていく聖人の軌跡が、活気あふれる群像劇として綴られるのです。
------------------------------------

私は、最初の連載から読み始めましたが、
「できれば続編を書きたい」というのが、
最初の親鸞を書き終えた五木さんの言葉でしたが
書き終えた時の年齢が、77才、書けるかな、書いて欲しいな
淡い期待と共に、続編を希望した私でしたが
最初を書き終えた後の五木さんの体力の問題
確か3日位動けなかったとか、
新聞連載は体力との闘いでもあり、希望は希望のまま、と

ところが、続編を書くというので、大変驚きました
そして、それが終わったあと、第三作の最期まで書くと
ウワァ~、というのが正直な感想でした
そして、今年82才を目前にして、完結編を書き終えた五木さん
もう、頭の下がる思いでした
私は色々あって、まだ読んでいません
毎日の新聞連載のページを抜いて保存してあります
これから、暫く経ってから読もうと思っています

五木さんは多くの人に読んで貰おうという意図からか
ネットでも読めるようにしました
又、もう文庫本も出ています
挿絵は「山口晃」さん
素晴らしい細密画を見ることができます
新聞の連載は、毎日の絵がそのまま保存できます
さすがに、単行本はそこまで挿絵を入れることは無理ですので
新聞の切り抜きならではの長所もあるわけです


11月17日
今年やっと咲いた、たった一つの
最初で最後のヘブンリーブルーです
よく頑張った、と 
続く

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その9『他力の力・・』“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-29 20:07:02 | 五木寛之さんと親鸞他

「旨(うま)くいった時は周りの他力のおかげで旨くいったと思って、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。」
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター  「それは「親鸞」を書くにあたってどこか通じるものがあるんですか。」

五木寛之 「どこかで通じているんじゃあないだろうか、と、自分で何でも世の中を動かしていると思いませんから、自分自身さえもこんなふうにコントロールできない人間ですからね。

別に宗教くさい意味で言ってるのではなくてこう、色んな大きな周囲の力とか、そういうものがあって初めて実現することですから、

いいかげんに聞こえるかもしれないけれども旨(うま)くいった時は、ああ、周りの他力のお陰で旨くいったと思い、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。



ですから、成功した時は、できるだけ自分の力じゃないと思いますし旨くいかなかった時は、他力の風が吹かないんだよと、こう言っておれば、それでいい、という、実に安易な、本格的な他力の思想とは全然次元の違う、俗な話ですけれど、そういうふうに思ったりしますね。」

(続く)
-----------------------------------------------------
他力 ウィキペディアより

他力(たりき)は、仏教用語の1つで、自力に対する語。自己に備わった能力を使うことを「自力」、仏・菩薩などの働きを「他力」という。

しかし、縁起を根本とする仏教の考えからすれば、自己の行為(業)は全て「他力」とも考えられる。従って、どの仏教宗派でも「他力」は説かれている。

行に関して「自力」・「他力」を区別する場合、上記の考え方から行者の心構えの問題とする。

なお、浄土宗・浄土真宗でいうで「他力」とは、「他」とは阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の「他力」はこの意であり、他人の助力などの意ではない。

-----------------------------------
親鸞は浄土真宗であり、親鸞のいうところの「他力」とは、
阿弥陀如来の力のことですが
五木さんは、その本格的な他力の話ではないとは言っていますが
同じような感じがします
必ずしもそれが「阿弥陀如来」ではないけれど、
というような意味でしょうか

よく小説家が「書きながら、勝手に筆が進んでいく」
「誰か他の人から書かされているような気がする」、などと言いますが
色々な意味で、何かもそのする事が己れ一人から出たものではない
そんな事もあるのではないでしょうか?

意識と無意識というものがありますが、
本人が意識しないで分かっていること
それが、勝手に表に現れてきて、不思議な思いに捉われる
そんなこともあるかもしれないですし
本当に何かの啓示によって、
突き動かされることもあるかもしれない
この世には分からない事がいっぱいありますから
何もかもが自分だけから出たものとは限らない
他力という言葉の中に、そういう思いがあるのかもしれません

続く
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その8[君看双眼色・・] “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-28 23:23:51 | 五木寛之さんと親鸞他
「古い言葉で、“きみ看よ、双眼(そうがん)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり”、という言葉があって、僕は好きなんですよ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「お話を伺っていて「親鸞」を読んだ時のことを思い出したんですけれども「親鸞」をお書きになったことと・・・」

五木寛之 「非常によく分かるんです。自分の存在というものは一応、外に見せる部分ではそれなりに体裁よく生きているけれども、実は、悪にまみれた何とも言えないひどい人間だということが分かっているんですよ。

そういう人間は許されないだろうというふうに心の底で思いつつ青春時代を過ごしていますから本当に青春をおう歌する瞬間はなかったですね。

ずっと、どこかに自分は許されない悪人だと思い込んでいるからそこに“悪人もちゃんと救われるんだ”ということを言われると“ええ!”というそういうショックですよね。」

番組キャスター 「下重さんが、五木寛之さんに、何かこの人は何かあるな、陰があるとおっしゃったことと「親鸞」を読んでいると、親鸞の目の奥には暗さがある、とか、何か、あれ!これって、五木寛之さんと何かつながるものがあるのかな?と、ちらっと思ったんですけれども。」

五木寛之 「日本全国、各地に、そういう人達が、ものすごく実はたくさんいて、皆、やっぱり・・・古い言葉で、“きみ看よ、双眼(そうがん)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり”、という言葉があって、僕は好きなんですよ。

“語らざれば、憂(うれ)い無きに似たり” 何もその事をつらかったとか、大変だったと言わずに、いつも静かにニコニコと笑っていらっしゃる。

だから、何の憂いもなさそうに見えますね、という話なんですね。
そういう人が実は、日本全国に沢山、あって、それぞれが家族にも子どもにも親にも言えないことを胸に抱えて生きているんだと思いますね。」

(続く)
------------------------------------------------------
>“悪人もちゃんと救われるんだ”

親鸞の「悪人正機説」のことです

語りたくない、語れない
おそらくは、本当に辛い体験は言葉に表すことによって、
尚辛い思いをする、
又、他の人に話すことへのためらいは、その体験の重さによって尚
口をつぐみたくなるということなのだと思いますが
五木さんは、結局本当の事は何も語らないままなのだと思います

ただ、その片隅のような言葉を発してくれたおかげで
五木さんの苦悩の一端を知ることができたのだと
「語らざれば、憂い無きに似たり」
五木さんそのものに思えました
続く



イルミネーションです 
私には、木がさぞかし迷惑をしているだろうとしか思えないのですが・・
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その7 (悪人だけが・・) “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-11-27 14:25:31 | 五木寛之さんと親鸞他
「出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「戦争に関しては、ここにきて、いろいろな体験だとか陸軍海軍のこととか、今の若い人に残しておかないといけないということで語る人が増えてきましたよね。」

五木寛之 「それはある意味被害者としての歴史なんですけれども私たちは、3人のうち1人が生き残る為に他の2人を蹴落としてでも生きてくる、という事をして生き残った人は、自分が悪人だと思っているんですよ、心の中で。

清い人は全部、残されたというね。
人を、押しのけて前に進んでいくようなエゴの強い、そういう悪人だけが生き残ってきたという感覚があるもんですから、そういう自分が許せないじゃあないですか。」

番組キャスター 「今でもですか?」

五木寛之 「皆さん、そうだと思いますよ。心の中でね。
だから、無事に引きあげてきて良かったというだけではなくて心の中に、何か、こう。

だって、北朝鮮だけでも、あの当時、置き去りにされたり、手渡されたり、売られたりした子どもたちが、どれだけ、今、何も知らずに何千人何万人という数じゃないでしょうか。

その経緯も知らずにね、赤ん坊のまま置かれていた人がいっぱい、いる訳ですから。
何か、無言のプレッシャーを日夜感じますよね。

出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」

(続く)
--------------------------------------------
「弱肉強食」という言葉があります
人がその生命を脅(おびや)かされる事態になった時
人は自分を救う為にあらゆる事をして生き延びなければなりません
そこに現れるのは「弱肉強食」という、強い者が勝つ状態です
あるいは、悪い者が勝つ、
五木さんの場合、人を押しのけなければ生きられなかった
弟妹を抱え、彼らの命も守らなければならなかった
そこに現れるのは「阿鼻叫喚」とも言える図だったのではないでしょうか

「善い人、清い人」はみな死んでいったそうですが
(五木さんでは「残された」という言葉になっています)
人に譲っていたら脱落してしまう、生きるか死ぬかの世界に
優しい人間は=弱い人間ということになってしまいます

今世の中は「自己中」のあふれる世になっています
だから、そういう人達の発想からすれば、
「馬鹿な奴が負けるのだ、人を押しのけられない人間は弱い奴だ
だから、自分は生き残った勝者だ。負けた奴はバカなんだよ」と

戦争で生き残った人達がインタビューで答える時に
今はもう90才位のお年寄りになっていますが、
その長生きをしてしっかりした頭の人達が何を言うか
「申し訳ない。生きて帰ってしまった」
一体何なのでしょう
せっかく生きて帰って無事に暮らすことが出来て
その事を喜び生きてもらいたいと思うのに
戦後70年近くなる今もなお、その懺悔のような気持ちのままで
自分が悪いわけではないのに、死んだ戦友に申し訳ないと
その気持ちをずっと70年近く抱えたままで生きているなんて・・・
そう思わないわけにはいきません
戦争を始めたのは、市井の人達ではないはずです
ただこの心情は、本当にそういう立場にあった人でないと
自分が実際そういう立場に立ってみないと
わからないものなのかもしれません

五木さんの場合、少年であったわけで
立場は少し違いますが、真っ当にやっていては生きられない状況下で
そういう状況下で生きていくしかない少年のしたことを
その後本当に70年間もの間、一生を縛り付ける呵責の念と共に過ごす
五木さんは、ご自分を悪人だとおっしゃっていますが
では、どうしたらよかったのか、譲って死ねばよかったのか?

このブログで前に書きましたが、コルベ神父の話
コルベ神父が身代わりになった男性は、
94才まで長生きしたそうです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 その後の長い間、コルベ神父のことを思うたびに、自責の念に駆られました。私は自分の命を救うために、彼の死の宣告書にサインしたのです。しかし今は、彼のことを思うとき、私には彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます。おそらく彼は、僧侶である自分の居場所は、死にゆく者と共にあると考えたのでしょう。実際彼は、最期の最期まで彼等と一緒だったのですから。
1977年に最初の妻へレナを亡くしたガイオニチェクは、のちに二番目の妻ヤニーナと再婚。1995年3月13日にポーランド南西部の Brzeg で、94歳の天寿を全うしました。 コルベ神父に命を救われてから、じつに53年と7ヶ月が経っていました。

未亡人となったヤニーナ・ガイオニチェクはこう語ったそうです。 「夫は常にコルベ神父の存在を感じていて、適切な時が来たらコルベ神父が迎えに来てくださると信じていました。そしてとうとう夫は、コルベ神父の元に旅立ったのです。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同じような気持ちを持っていても、日本人と少し違う感じ方をしているように思いました
「彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます」
このケースは、彼は自分で頼んだわけではない、という前提がつきます

「“副所長のフリッツの命令で、収容棟長が餓死刑にする囚人を任意に選び始めました。彼に指差された私は、絶望のあまり叫んだのです。もう一度妻に、子供に会いたいと・・・。すると別の囚人が一歩前に進み出てきて、私の代わりになることを申し出ました。コルベ神父のことを、私はほとんど知りませんでしたし、彼がドイツ語で話したのもあって、その時起こっていたことをすぐには理解できませんでした。私が生きて、代わりに誰かが自発的に、私という他人のために、自分の命を差し出すなんて――これは夢かと思いました。私はコルベ神父に何を言う間もなく、自分の立っていた場所に戻されましたので、コルベ神父に目で感謝を伝えることしかできませんでした。ニュースはまたたく間に収容所中に広まりました。私は救われたのです。彼の犠牲のおかげで、私は彼がしたことをこうして伝えることができます。」

彼はコルベ神父に言うに言われない感謝をしていたことと思います
一生の間です

人の善悪と弱肉強食
これ、どこかの何かが・・と思ったら
夏目漱石の「こころ」です
先生は「K」を出しぬいて?だまし討ちにして?
奥さんを手に入れることになった
結果「K」は自殺した

この永遠の課題のようなもの
私には中々わかりません
続く

  
何年か前に買った小菊ですが
調べてみると「泡黄金菊」という菊のような感じです
背が高く、花は小さく、ですが、黄金という感じもする菊です
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6 《お前、生き残れ・・》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-11-26 16:43:06 | 五木寛之さんと親鸞他
「実際には引き揚げの事は、100分の1も書いてないんです。これから先も中々、書く機会はないだろうー、と思いますけどね。」
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五木寛之さんは、33歳になって 「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビューを果たします。
さらに、翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。
「青春の門」や「風に吹かれて」など立て続けに小説やエッセーを発表し
時代を代表する人気作家になります。







しかし頂点に上り詰めたように見えた五木寛之さんでしたが
心の中には強いわだかまりを抱いていたのです。




五木寛之さんは人気絶頂だった39歳の時すべての執筆を断り休筆を宣言します。
48歳になると再び休筆してしまいます。

五木寛之  「フラッシュバックと言うか、引き揚げの時、敗戦前後の事が凄い生々しくよみがえって来てもうやれない、という気持ちになって又、休んだんですよ。」

2回目の休筆に入った五木寛之さんは、京都にある龍谷大学の聴講生になりました。
仏教史を学び、隠れ念仏や親鸞・蓮如の理解を深めます。

そして、この時、五木寛之さんは他力という思想に惹(ひ)きつけられます。




51歳で執筆を再開したあと五木寛之さんに変化が起こります。
長い間封じ込めてきた引きあげの記憶を書くようになるのです。

そして69歳になった2002年。
終戦直後に亡くなったお母さんの事を初めて書きました。

【ここから過去の映像の引用です】

五木寛之  「心に封印をしていた部分について
“そんなふうに自分を責めなくていいんだよ”
“その事はちゃんと話していいんだよ” というような
何か、声なき声が聞こえたような気がしたんですね。

“お前、生き残れ”と誰かに言われたみたいな気がする
“生き残って、その事を語れ” というふうに誰かに言われて
その荷物を託されたような気がしているんです。」

【ここから再び、スタジオに戻ります。】

五木寛之  「なんか他人(ひと)の事みたいですね。感じとしては。」(笑)

番組キャスター  「引きあげのことを書いたのは、声なき声を聞いて書かされた、書いていいよと、言われた。これは、どういう事なんですか?」

五木寛之  「でもね、実際には、ほんの“とば口”を書いただけで、又引き返したんです。書いてないんです。実は。

入り口の、ほんの一部分だけを書いて、やっぱり書けないという、そんな感じになってね、それ以後ほとんど触れていません。

かつて引き揚げの歴史というのは、戦争の歴史の中でも大きな部分だから、引き揚げ記録センターのようなものを作ろうと思ったんですよ。

それで、昔、デンスケと言いましたよね。
録音機を担いで、いろいろ、旧満州とか、凄惨な戦争体験をされたであろう、と思われる人に話を聞こうとするんですけど、

皆さん、“まあ、色々ございました”、と言うくらいで、“今は何とかやってますから”、ということで、話して下さらないんです。

逆に、凄く、目で見たように雄弁な方の話は、他人の経験と自分の体験が入り交じったりとか、起承転結がうまく行き過ぎているとか、そういう感じがして、

一寸、信頼できないところがあって、これは駄目だと思ってね、結局、このまま、皆、人は語りたくないことは心の中に封じて、それで仕方がないんだなあ、と、

自分もそれについて、無理をして、書いたり語ったりすることをやめて、実際には引き揚げの事は、100分の1も書いてないんです。
これから先も中々、書く機会はないだろうー、と思いますけどね。」

(続く)
-------------------------------------------------
私は新聞小説「親鸞」を読みながら、その書き手の
五木寛之さんのことにも思いを馳せずにいられませんでした

そして、朝鮮からの引き揚げに際してのことについて、
それが、どんなにか12才位の少年にとって過酷な出来事だったのか
又、封印されていたお母さんや、それにまつわるお父さんのこと、
五木さんが、どうやってどんな風に生き延びて、又
その感性で何を見聞きし行動しどう考えたか
その断片のようなものが「運命の足音」という本には書かれていたのですが
あまりに簡単に、サラっと書かれていて、詳細は分からず仕舞い
というか、今回五木さんがお話なさっているように
「100分の1も書いてない」
おそらくそうなのだと思いました、だから本を読んでも拍子抜けして
何が書いてあるというのだろう?という感じでした

ですが、おぼろげながら、この平和に浸かった私が想像するに
その想像したことが起きたのは間違いない事実かもしれません
昨日、そのことについて少し検索してみましたが
思ったよりも過酷な現実と向き合って、弟妹を庇いながら
必死で生き抜いてきた五木少年の姿がおぼろげながら浮かんで来
又、お母さんに起きたこと、お父さんがその後腑抜けのようになって
全くの力にもならなかったこと
周りの状況、善い人、良い人がみな脱落して死んでいったこと
悪どいことをしなければ、生き抜けなかったこと
それが、生きて行くための生存競争であったにしろ
大きな拭い去れない程のダメージをもたらしてしまったこと

などなどを考えた時に、外見から見た五木さんとは違った面が見えてきて
痛ましいとでもいうような
こんなことを言う事自体が不遜ではないかと思いますが
まぁ、もし自分がその立場であったなら、と
傍観者のようなことは言えないのですが
それでも、そういう目に遭わないで済んで来たことは
単なる運であったと
「運命の足音」という題名はまさにそういうことなのでしょう
ご両親がかの地に渡らなければ起きなかったことなのですから

ある精神科医のHPにありましたが、おそらく五木さんのおかれた状況は
PTSDなどというものが生易しいとすら思えるほどの
生死をかけた体験であったのだろうと書かれていました
何故五木さんが親鸞を書いたのか、何故五木さんは
人々の励ましや生き方の本を書いてきたのか
その理由が、自らの過酷な精神面での体験から得たものを
人々に伝えたいと

五木さんは、そういう事情で大学を卒業できず中退しましたが
その学んだ学科は「露文科」つまり対象はロシアだったのです
「敵を知る」そして、理解する、ということを
したかったのではないでしょうか?
なんとか自分の気持の持って行き場を探し続けて来たのではないか
そして、五木さんは一生この出来事を体に背負ったまま
辛く重い道を歩き続けるのだろうと思います
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(その3,4 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-24 19:51:29 | 五木寛之さんと親鸞他
「ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。」
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五木寛之 「うまくまとめるものだね。」
番組キャスター 「そうですか。」

五木寛之 「実際には、あんなふうなとんとんとうまくいく日々ではないんですけど。
じたばたして、もっと、みっともないところも沢山あるけれども、今のVTRだけ見ると、流れるように暮らしているように見えて編集の威力はすごいね。」

番組キャスター 「でも9500回以上で40年近く、ちなみにきょう新聞に出たのは金沢シリーズです。
ハロウィーンでびっくりしたあたりにお書きになったのかもしれませんね。」

五木寛之 「ちょうどそうなんです。
今度また長浜というところに行きます。」

番組キャスター 「滋賀県の長浜ですね。」
五木寛之 「そうです。」

番組キャスター 「どうなんでしょうか、9550回、40年ぐらい書き続けることの意味は何でしょうか。」

五木寛之 「この連載は長いだけがとりえですからね。(笑い)
だらだらと長くやっている今ブログとか、いろいろ流行ですけれども、もう40年前にやっている活字のブログみたいなものです。
日々の暮らしのいくら食べてそれがいくらだったとか、偉そうな理屈までね、何でも毎日書くんです。

やっぱり、時には、これで仕事しなきゃいけないのかという中に大体、昨夜もおとといも12時30分ぐらいに入ってるんですよ。
本当は、夜中の12時ぐらいまでに入れると翌日に駅のキオスクに新聞が並ぶ、という際どいことをずっと繰り返しているんですよ。

幸運としか言いようがないですよね。
それでもって、事故が起きなかった。
高熱を出したとか。機械の都合で届かなかったとか、

兎に角、担当の愛場さんが入社以来原稿を受け取るところから社員生活をスタートして、定年退職をして、今も編集委員として会社に残って僕の原稿をね。
日々、一日1回ですからストックはゼロですから。ストックゼロというのが、すごいと思います。」

番組キャスター 「毎日書くのはエネルギーがいることだと思います。」

五木寛之 「途中で嫌になることもありますし、書くことが何もないよと言って机の前で2、3時間ボーッとするときもありますしね。

取り敢えず、ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。

自分の力とか、それだけじゃあ出来ない。
新聞社もあって、担当者もいて色んなスタッフもいて、僕の事務所のスタッフとかそういう人たち

みんな1つの原稿を首を長くして毎日待っているわけですから、
兎に角、やらなきゃあで、あっという間に40年近く38年ですか。経ちましたけれどもね。」

番組キャスター 「誰も五木寛之先生ごくろうさまでしたと言わないんでしょう」

五木寛之 「ハハハ(笑う)、僕はあんまりそういうのが、あれ、苦手なので本当に電話とファクシミリだけで仕事をしているという感じです。」



(続く)
-------------------------------------------------------------
(その4「“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。」

五木寛之 「僕は、パーティーにも出ませんし、文壇とのおつきあいもあまりないし、まあ、仲のいい同世代の方たち、少しずつ去っていかれますしね。

別に、孤独とは思わないんですよ。
1人で字を書いていても、何処(どこ)かに読んでくれている人がいるんだな、そういうふうに思いながら。」

番組キャスター 「ということは、連載がまだ続いてますよね。
それって五木寛之さんが毎日世の中とつながっているということなんですかね。」

五木寛之 「そうですね。今、わりと孤独に弱い人が多くて、フェイスブック、インターネット、とか、いろんなものに発信していますけれども、別に世の中とつながっていなくてもいいんですよ。
“自分が世界” というふうに思ってね。

ですからNHKで番組をよくつくって、“孤独死”というのが社会のテーマになって、大話題になりましたけれども、“孤独死”というものは無いんだと思うんだ、人間というのは死ぬ時は孤独なんだから、どんなに周りに人に囲まれて家族から見送られようと、死ぬ時は孤独なんですから。

だから、敢えて“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。

ですから、今、ちょっと、孤独を恐れ過ぎているのではないか、誰かとつながっていなければいけないのではないか、絆(きずな)というものを作らなければいけないのではないか、というような、強迫観念があるのではないかなあ
“人は1人でもいい”、そういう感じがしますけどね。」



(続く)
-----------------------------------------------------------
五木さんが何故親鸞を書くに至るようになったかのきっかけについて
親鸞の有名な言葉があるそうです
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教えに『悪人正機説』があり
歎異抄第3章に『善人なおもって往生をとぐ いわんや悪人をや』
という一文があるのですが、五木さんの過酷な引き揚げ体験が
その後の全ての生き方や、考え方に影響を及ぼした
そして、そこにある「罪悪感」が根底にあり
自分をどう見つめていくかの課題になって行ったのだと思います
五木さんにその引き揚げ体験がなかったら、
その後の生き方において、これほどの重圧はなかったものと考えます
「自分は悪人である」そう五木さんは思い込んでいます
私からすると、それでは「ほぼ全ての人間は悪人である」
ということになってしまうのですが
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“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演(その2

2014-11-23 19:22:03 | 五木寛之さんと親鸞他
「今、生きることが大事だけれども、どのようにこの世から去っていくか、ということは、非常に大変な事のような気がするんです。」

番組キャスター
「きょうのお客様、ハロウィーンの仮装にびっくりの五木寛之さんです。
よろしくお願いします。」
五木寛之
「よろしくお願いします。」
番組キャスター
「驚きますよね。」
五木寛之
「驚きました。
すっかりハロウィーンが定着したような感じですね。」
番組キャスター
「たまに、渋谷でも見かけますからね。
金沢でもあったということですね。」
「きょうは五木寛之さんへのこんな質問、こんなお便りということでメッセージお便りを募集しております。」

「それでは五木寛之さんのプロフィールからご紹介していきます。
1932年福岡で生まれ、生後まもなく朝鮮半島へと渡ります。
終戦をピョンヤンで迎えますがすぐに日本に戻ることができず2年後に日本に戻ります。
その後、早稲田大学に進学しますが25歳でやめ、さまざまなアルバイトや仕事に就きます。

33歳のとき、「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー
翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞します。

さらに、1969年には「青春の門」の連載を開始。
数多くの作品を発表してきましたが、39歳から50代にかけ2度の休筆をされています。
そして浄土真宗を開いた親鸞の人生を描いた歴史小説「親鸞完結篇」がまもなく出版されるということで注目を集めています。」

そのように作家として精力的に活動されている五木寛之さんですが、どんな日々を送っていらっしゃるのでしょうか、取材させていただきました。

この日五木寛之さんがやってきたのは岐阜の講演会場です。
五木寛之
「こんにちは、五木寛之です。」

会場には各地から1,700人を超える人が駆けつけました。
テーマは、心の風景。
会場の雰囲気を確かめながらアドリブで話すのが五木寛之さんの流儀です。
五木寛之
「今、生きることが大事だけれども、どのようにこの世から去っていくか、
ということは、非常に大変な事のような気がするんです。」

聴衆
「いろんな自然災害や、思いもよらない事件が起こっている中で、
やっぱり、生きていくことや、死んでいくということを
私達の世代でも真剣に考えていかなくてはいけないと思いました。」

五木寛之さんは講演会やテレビ、ラジオの仕事も執筆同様に大切にしています。
「ラジオ深夜便」には20年以上も前からたびたび出演しています。
五木寛之
「お疲れさまでした。」
番組キャスター
「またよろしくお願いいたします。」
五木寛之
「大変ですよ
でも、ずっと、ラジオ深夜便は長年やってますから、
生活習慣の一部になっているから(笑い)
それと、聴いている人がもの凄い全国に多いんでね。
何処に行っても言われるんで、やりがいがありますよ。」

五木寛之さんには40年近く日曜と祝日を除く毎日続けている仕事があります。
新聞(日刊ゲンダイ)コラムの執筆です。

この日は講演会の開始前控え室でペンを走らせていました。
五木寛之
「新聞は古い記事を載せるものではなくて、
新しい記事を載せるものだ、そういう考え方があるものですから、
冷蔵しておいた記事じゃあ駄目だろう、
今日のことは、明日(載せる)
新幹線の中とか、喫茶店とか、何処でも書きますよ。」

この連載は2回目の休筆をしていた間も続けました。
コラムは9500回以上も続き、日々、世界最長記録を更新中です。

新聞社では担当者が原稿を待っていました。
この日は夜10時に送られてきましたが取材先の海外から原稿が届くこともあります。
編集委員の愛場謙嗣さんは1975年10月の連載開始直後からずっと五木寛之さんのコラムを担当してきました。
愛場謙嗣
「40年近く連載していただいて、一度も穴があかなかったという事は
驚異的な出来事だと思います。
こちらも一生懸命考えて、意見を持っていけば、
五木寛之先生は、ちゃんと、それに応えてやってきている。
偉そうに、“これをやれ”とみたいな雰囲気は一回もないですね。」


(続く)
---------------------------------------------------
私は五木寛之さんの名はずっと知っていましたが、
それは、新聞の広告など載っているものですから
誰もが目にする機会は多いと思いますが
ですが「青春の門」など、なぜか読みたくなかったですね
何となくかったるい感じがしました
私が読んでいたのは「どくとるマンボウ航海記」とか
エラリークイーンとか、横溝正史とか・・畑違いというか
五木さんのものは、重たいというか、疲れるだろうとか
敢えて読もうとする気にはなりませんでした

で、身近な新聞小説でしたが、題名が「親鸞」ですから
さして興味も引かなかったのです
ところが、その牛の場面の迫力と摩訶不思議な雰囲気に呑まれて
ずっと読んでいきました

その後、友達にその話をしたら、彼女曰く
「以前『蓮如』という五木寛之の本を読んだことがあり
又、三國連太郎の映画も見た
エロエロの話ばかりでウンザリした
蓮如の小説はあまりに酷いので捨てた」とのこと

この辺りから、五木寛之と親鸞、及び蓮如について
少し調べたり読んだりし始めました 
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