あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

仏教の修行は「掃除」が一位

2016-03-01 14:08:55 | 宗教関係
この間書いた仏教の修行の話ですが
 仏教と掃除について

私は掃除があまり好きではありません
掃除をするには箒(ほうき)を使ってやります

掃除機はありますが、あまりというか殆ど使っていません
理由は、掃除機の後ろからゴミが(埃が)出るように思うのと
部屋には「ユウレイグモ」と呼ばれるようなクモがいるからです
掃除機でゴミと一緒にクモを吸い取ってしまったら
可哀想だと思うので
しかも、小箒で少しずつゴミを掃くもので

いっかな掃除は進まないのです

ですが、この有馬頼底住職の
「一 掃除」
を知ったためか
ゴミを見たら「修行 修行」と思いながら
マメにゴミを掃除する気になってきました
ですが、相変わらず小箒で掃いていますので中々進みませんが

「掃除は修行」
「掃除は修行」

いいですね~
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仏教と掃除 について

2016-02-15 12:47:12 | 宗教関係
有馬頼底住職の「原発を誤ったら・・・」
その2の中に書かれていた以下の言葉には驚きました

^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 修行ではぞうきんがけが大切でした。
一 掃除
二 信心 というて。
掃除ができないとだめ。
今でもしますよ。
朝の四時半か五時に起きてね。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
1,が掃除で、2,が信心
普通は、1が信心で2が掃除ではないかと訝(いぶか)りますが
仏教の信心よりも、何故に掃除が優先するかという疑問を私は抱きます

以前も永平寺のことを書いたことがありましたが
その他にも、やたら坊さんの修行が「掃除」なのが気になって
しかも、その「過激な掃除法」には、本当に疑問が生じて
何であんなに「命がけ」みたいな掃除をするのだろうと・・
NHKで昔放送した永平寺の修行僧達のドキュメンタリー
あれが私は大変好きで、心に残る映像の数々

http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010214_00000
これ↑なんですが
1977年放送のドキュメンタリー 私の大好きなものです

静かな雪の中の厳しい修行・・
やたらめったらの無茶苦茶激しい掃除風景が出てくるわけで

ずっと気になっているのが、
「何でお坊さんの修行は掃除ばかりなの???」
ということです
ここで有馬頼底住職の口から出た言葉

一に掃除で、二に信心

つまり、信心よりも掃除が先に来るということ
ここでそれを断言されましたので妙に納得したりして
そうなんだ、信心よりも掃除が大事なのだ
だから、あんなに修行僧は掃除ばかりするのか・・

では、仏教における掃除とは何なのでしょうか?
ネットで調べたところ、
「掃除をする事はチリや垢を取ること」
すなわち、掃除をすることは
「心のチリや垢を取ることに繋がる」
心のチリや垢とは「煩悩」のことであり
それが修行に繋がる・・というような事が書かれていました

こんな言葉もありました

一、作務(さむ) 二、勤行(ごんぎょう) 三、学門(がくもん)

面白いですねえ
私の家は掃除が行き届かなくて散らかっています
それには事情もあるのですが、それでも
全く掃除の時間がないというわけではありません
掃除がしてないと、物がきちんと処理できていないと
心が穏やかにはなりません
心の落ち着きを得るためにも掃除は必要なのですが

この間、Eテレの「団塊スタイル」という番組に
五木寛之さんが出演しました
このブログでも何度も取り上げている五木さんです
仏教とも密接な関係にある五木さんです
「親鸞」を小説にし、
人生の一期間休筆して龍谷大学に学んだ五木寛之さんですが
五木さんは髪の毛を滅多に洗わないのでも有名です
で、その番組で言ったこと
「長生きの秘訣はなんですか?」との問に
「部屋を散らかしておくことではないでしょうか?
下着やら何やら散らかり放題の部屋を人に見られたくない
何かあって人が入るようなことになったらみっともないから
だから、元気で生きていなければならない」
というような内容のことをおっしゃっていました
これは又違った視点からの掃除の話にはなりますが

ところで、話は少し変わりますが、以前から疑問に思っていた
「過激な仏教修行僧の修行」について、です
以前も何度も書いたのですが、
この記事にはコメントをくださった方がいました
「仏教の修行とは、体育会系なのだろうか?」
今回調べたところ、釈尊は「中庸」を唱え
行き過ぎた事はよくない、なにごとも程々がいい
と教えたそうです 
      
では、後世のこの激しい体育会系の修行は一体何なんだ?
という話になりますが、これは後世の人達が
自分達の思惑や方針を持って、釈尊の教えとは遊離した
勝手な定義付けをした宗教の形なのではないかということです
これは、イスラム教の「ジハード」ということにも繋がった話ですが
前から問題に思っていた「宗教の敵を殺せば天国にいける」
それが「ジハード」であり、マホメットの教えであるという
何とも納得の出来ない教義の話です
これも、やはり違うのですね
イスラムの人を戦争に駆り立てる為の
「大義名分」であるということです
マホメッドはそんな事を言ってはいないのです
ですが、戦争には大義が必要です

日本でも天皇陛下の為に、という大義名分をもって
多くの人達に戦死の大義を与え、納得させた
話が大分逸れてしまいましたが
このことも私は大変引っかかっている話なのです
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「原発を誤ったら何千の命が死ぬ」4 有馬頼底

2016-02-10 15:29:43 | 宗教関係
有馬住職の話 つづき 最終章です

      

ー 今は原子力発電所の再稼働や集団的自衛権に反対されてます。
 
殺生をしてはいけない、というのが仏教の原点。
これがなければ仏教の意味はないんです。
虫でも爬虫類でもみんな命の輝きがある。
皆成仏するんです。
原子力発電所は命を奪う結果になる。
だからだめなんです。
原子力発電所は一つ間違ったら何千の命が死ぬんです。

     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ー 有馬さんにとって悟りとはなんですか。

 (一度経験すれば煩悩がなくなるような)悟りなんてないんです。
自分は何ものか。
両親から生まれる前の人格は何か。
永遠の命なんです。
地球に生かされているんです。
そういうことにはっと気付く瞬間がある。
自覚する。
それが悟り。
自覚なんて何十回とある。一遍じゃない。
 私たちの宗派では、十二月一日から八日まで座禅をする。
不眠不休です。
耐え難いのが睡眠欲。
これを克服する。
三日目くらいが一番しんどい。
八日目にはすべてのものが新鮮に輝いて見える。
私は十三回したが、この体験は素晴らしいですよ。

     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  以上で記事は終わりです
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「原発を誤ったら何千の命が死ぬ」3 有馬頼底

2016-02-09 14:05:35 | 宗教関係
  有馬頼底(らいてい)住職の話 つづきです その3

    

ー 古都税問題では妥協しなかった。

 あれはね人頭税なんですよ。お参りに来た人から税金を取る。
寺から取るんじゃないんです。寺は痛くもかゆくもない。
寺は税金の取り立て役なんです。
それはどうしてもできない。
門を閉めました。
金閣、銀閣、清水の三カ寺が閉めると、観光的には
京都の全部の寺が閉めたのと同じ。
観光客ががばっと落ちて、土産物屋さんもだめに。
そのとき、ある国会議員が来て言うんですよ。
「寺は門を閉めると収入が一銭もないでしょ。
銀行は一切お金を貸しませんよ」と。
私は「金目当てでしてるんじゃない。一銭もなくて結構だ。
いざとなればお布施を集めに托鉢をする」。
追い返しました。
政治家がこんなレベルなんですよ。
 古都税問題が収束し、門を開けたら観光客がいっぱい来た。
神社仏閣あっての京都なんです。古都税なんかすると、
例えば市バスの赤字分くらいは解消されるかしらんけど
京都へはだれも来なくなるよと。
           
     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ー 逆に揮毫(きごう)料を申告しなかったとして、
大阪国税局に申告漏れを指摘され、批判されました。

 文化財を守るために使った。
相国寺から流出したものを買い戻したり、
美術館に入れる作品を購入したりした。
個人的には一銭も使っていないよ。
ぜいたくするわけでもない。
(つづく
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「原発を誤ったら何千の命が死ぬ」2 有馬頼底 

2016-02-08 14:47:54 | 宗教関係
続きです  

ー 中国の臨済宗ゆかりの寺の再建にも力を注いできた。

 中国はね、八十回以上行っている。相国寺の名前をもらった
開封の大相国寺をお参りに行ったときのこと。
案内を願うと、「ここはお参りするところではない」と言うんですね。
「表の看板を見てこい」と。
それで看板をもう一度見ると、共産党の事務所になっていました。
まあ、中を見るのはかまわないということで、
でも、本心ではやっぱり寺として復興してもらいたいということで、
中国仏教協会の力添えを得て復興した。
このほかにも、寺の復興資金をつくるために、
臨済宗の各宗派管長と茶の湯の裏千家、表千家の家元に
書を書いてもらい、販売したりした。
それを北京に行って寄付した。
 そしたら「これは共産党に対する政治献金として受け取ります。
寺の復興は(日本からの寄付ではなく)わが政府が
責任を持ってやります」と。
「何でもええやないか、復興するなら」と思いましたけど。

      ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 ー 八歳で寺に入った。きっかけを教えて下さい。

 母親の実家は徳川家康の生みの母に連なる家系でね、
絵ばかり描いていた。おやじは母を女として認めていない。
女のはしごをしていた。ろくなやつじゃないですよね。
小さいときは母親の実家の蔵に入って遊んでいた。
おもしろい絵とかがいっぱいあるんですよ。
大人たちが私を捜しても見つからない。
夕方になると蔵から出てきた。
「どこ行っとった」と聞かれると「蔵へ」と。
骨董が好きな、変わった子どもでした。
両親が離婚するとき、私をどうするかが問題でね。
私にどうしたいと聞かれた。
私は「一休さんのようになりたい」と言うてしもうたんです。
で、寺に入れられたんです。
 修行では、若いころはずいぶん仕込まれました。
師匠なんて殴る蹴るは当たり前。
ぬれぞうきんで殴られると、本当に痛い。
箒(ほうき)の柄のほうで殴りよるんです。
たまったものではないですよね。
でもそれがなかったら今の私はない。
武家の子どもは常に一人で何でもできるように仕込まれるんです。
師匠もね、一人前にしてやらないかんと。
おかげで私は貧弱な子から強く、頑丈になった。
虐待とは違いますよ。
虐待やったら、私は逃げ出していた。
師匠は涙を流しながら殴るんです。
弟子は分かるんです。
山門の柱にも何度もくくられました。
道行く人がね「小僧がくくられちょる」と見ていく。
「助けてやろうか」と言う人もいたが、連れの人が
「ほっておきなさい」と。
一時間ごとに師匠が見に来ていました。
で、変な話ですが、時間がたつとくくられたところが
自然とだんだんほどけてくるんです。
でも師匠が出てきたら、くくられたふうに装う。
そういう知恵も出てきましたね。
 修行ではぞうきんがけが大切でした。
一 掃除
二 信心 というて。
掃除ができないとだめ。
今でもしますよ。
朝の四時半か五時に起きてね。
 (つづく
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「原発を誤ったら何千の命が死ぬ」 金閣寺・銀閣寺住職 有馬頼底 

2016-02-04 14:53:00 | 宗教関係
「あの人に迫る」 東京新聞 2015年4月5日付 朝刊

ありま・らいてい
1933年東京都生まれ。久留米藩主有馬家の子孫。父は男爵。
学習院の幼稚園では、現在の天皇陛下の遊び相手の一人に選ばれる。
両親の離婚のため8歳で大分県の禅寺に入る。
55年に臨済宗相国寺僧堂に入門。
布教活動を担う教学部長に38歳で抜てきされ、
その後承天閣美術館長などを歴任。
88年に京都仏教会理事長に、95年に相国寺派トップの管長に就任した。
同時に金閣寺、銀閣寺の住職を兼ねている。
「人も虫も鳥もあらゆる生命を奪ってはいけない」との信念から
原子力発電や集団的自衛権に反対している。
主な著書に「禅と茶の湯」(春秋社)
「禅僧が往く」(日本経済社)など。
       
   

臨済宗相国寺派トップで、
金閣寺、銀閣寺の住職も兼ねる有馬頼底管長(82)は、
もの言う高僧として知られている。
一九八〇年代の古都税紛争では、寺院を拝観停止し、
京都市と徹底的に争い、廃止に追い込んだ。
今は命を大切にする仏教の立場から、
原子力発電所再稼働や集団的自衛権に反対する。
一方で、相国寺承天閣美術館をオープンさせるなど、
文化振興にも力を入れる。

(以下対談)

ー 文化財保護に力を入れてます。

 中国河南省の専門石窟へ行った時にびっくりしたのですが、
壁がごっそりはぎとられて、そこにあったはずの彫刻が消えて、
代わりに写真が置かれていた。海外へ流出したのですね。
それの実物を米国の美術館で見たことがある。
やはりあるべきところにないといけないと感じた。
振り返って相国寺はどうかというと、人ごとではない。
雪舟の水墨画など、重要な作品が流出しています。
 きちんとしなくてはいけないと感じて承天閣美術館をつくった。
創建六百年の記念事業で。円山応挙の牡丹孔雀図、
七難七福図などの名品を散逸させてはいけない。
伊藤若沖(じゃくちゅう)や長谷川等伯の作品も。
 若沖というと、明治時代の廃仏毀釈(きしゃく)の時代、
寺を維持するのが大変だった。なんとかしなくてはいけない、と
若沖の作品「動植綵絵」(どうしょくさいえ)を明治天皇に献上した。
要するに買ってもろうた。で、一万円をいただき、
相国寺はなんとか境内を保てた。
寺にとっては若沖さまさまなんです。
 (つづく
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「エホバの証人」 この暑さの中 来ました・・!

2015-07-14 13:39:04 | 宗教関係
「エホバの証人 諦めたのは何故?」

15/05/18記↑ですが、↓
>>>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>>>15/01/20
>>>15/01/27
>>>15/02/24
>>>15/03/10
>>>次はあるでしょうか?

>もう、完全に来ないと確定しましたが、
最後に来た日から4ヶ月経って、この猛暑の中来訪・・

エ「ご無沙汰していますー」
私「えっ?何で?」
エ「新しいお話があるので」
私「もう、来ないと思ってたのに。何で来たんですか?」
エ「来るなとおっしゃっていたので。でも、近くに来たので寄ってみました」

全然めげてないです、というか
顔に出来ていた出来物が良くなっていて、それを言うと
「よく覚えてますね。胃腸の調子が良くなったので」
胃から来てたんだ・・・。

で、新しい話とは、医師による解説動画がアップされたので
見てくれ、と
何がどうあろうと、輸血禁止の時点でアウトだと言いました
大体イエスが「血を避けよ」と言った言葉が
どーして、輸血禁止になるのか理解できない

そうしたら「ソーセージに血を入れない」とか何とかで
話が分かれたとか言ってましたが
「そもそも聖書を読んでいないで批判するのはおかしい」
とか言うのですが
まず、たくさんあるキリスト教の宗派?で?
輸血禁止と言ってるのはエホバの証人だけじゃないですか?
おかしいでしょう
師匠は一緒で弟子の解釈が違うのであれば、どちらかが間違っているし
多数決ではないけれど、あまりにエホバの証人の主張は特殊で
輸血禁止で血しょうはいいとか、勝手なことを言ってまんがな

キリストの時代に輸血はなかったのに
何で輸血禁止にするのかわからん
それが「血を避けよ」と言った言葉に由来するとか

私の主人曰く「感染症防止の言葉ではないか?」
血によって感染する病気はありますよね
昔はそれらを特定することも出来なかったはず
だとしたら、血を避けるのは賢明な予防法かもしれません
それを、輸血も以前は肝炎やエイズなどの感染症をチェックできずに
悲惨な事故は起きましたが、今はある程度のチェック機能は働いている
それを、何だというのだ?

ああ言えばこう言う式の返答が返って来るようになってきました
例えば私が
「この一点が(輸血禁止)なければ、もう少し何とかなるかも」
と言えば
エ「それは聖書に書いてある通りにしているだけだ」
私「その一点がなければ布教ももう少し楽なのに」
エ「不利なのにやっているのは、何故だと思いますか?」
・・・・・

エホバの証人をやっていることによる家庭不和の話がネットにあって
それを尋ねたら「大丈夫です」
私「ご主人は入っているのですか?」
エ「いえ、入ってないです」
私「仏教ですか?」
エ「・・・(私)さんと同じ無宗教です」
私「ご主人は反対しないんですか?」
エ「色々勉強しています」

私の感想
「ご主人はやめさせようとして説得に失敗し、
それがどんなものか散々調べて、
まぁ、仕方がないか、と諦めた」

ですね。
いつも二人でセットで来ますが
今日来た人は初回と同じ取り合わせ
メインの人はいつも同じで、主たる人がいつも話をする
もう一人は、後ろに控えて頷いたりニコニコしたりしてますが
どうにもこうにも「信仰心厚く」私の手には負えません
何でこの人たちは、このような宗教に取り憑かれているのだろうか?
何か悩み事でもあったのだろうか?
もしも、今度来たら聞いてみようか?
冬か秋か、来ないか知れないけども・・・

あぁ、今日は
「ポジティブになれば病気にもならない」
とか言ってましたが、それは、事実みたいですが
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エホバの証人 諦めたのは何故?

2015-05-18 11:38:10 | 宗教関係
4月22日に来ないと書いたのが下記の日程

>>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>>15/01/20
>>15/01/27
>>15/02/24
>>15/03/10
>>次はあるでしょうか?

もう、完全に来ないと確定しましたが、
何故熱心なエホバの証人の勧誘が止まったのか
二、三回「もう来なくていいですよ」と笑顔でご辞退はしましたが
そこを何度も来るのが彼らの手法のようですが
でも、来なくなりました

私は彼女たちが来る度に、いろんな宗教の話を少しずつしました
イスラム教もキリスト教も仏教も、みんな何だか変ですと
どこかおかしいのか、ろくに宗教のことなど知らない私ですが
まず、イスラム教の「ジハード」とかいうもの
宗教は人を殺すために作られたものではないはずです
又、キリスト教など「血塗られた歴史」とかいうものがあるそうで
又、日本の仏教など惨々たる有様で「葬式仏教」と呼ばれています
中には、熱心な仏教徒もいるでしょうが
私の周りにはそういう人はいません

争いの為にあるのが宗教かと思われるほど
宗教による弾圧や戦争は多いようです
為政者による宗教弾圧ではなく、異教徒間の弾圧です

そして、エホバの証人の教義はと言えば、何だか変
しかも、勝手な教義を作り、勝手な決まりを作る
それが、果たしてキリスト教なのか
キリストが教えた内容なのか
まさに、後世の人達が自分達の好きなように教義を変え
それを門徒に強要してきただけではないのか

私は永平寺の若僧の修行の場を見るのが好きなのと
それが、本当の仏教の教えにかなったものかのかは別問題
掃除が修行というまことにおかしな話
その掃除を物凄いスピードでするのが修行ってウソでしょう

ところで、この間Eテレの「100分で名著」という番組で
仏陀の最後の言葉とかいうのをやってましたが
驚きましたね、非常に「世俗的なこと」を述べているのです
しかも、私にはあまり釈然としない内容で

そして、仏陀は食中毒で亡くなるのですが
それを事前に予測して知っていた上での言動が語られる
ウソでしょうよ
キリストの奇跡は信じないわけではありませんが
この食中毒で死ぬのを何日後とか知っていて
その食事を供した者を責めるな、とか言ったという話
ウソでしょう。。。
これ、お釈迦様が食中毒で亡くなったのは
あまりな亡くなり方、とか思った弟子が作ったつくり話でしょう
どう考えてもそうとしか思われません
こんな内容が仏陀の言葉として伝えられているなんて、
これ一つ取っても想像できますが
色々な教義とかいうのの全てが「元祖」が言った事とは思われない

でも、あの仏陀の最後の言葉とか言う、亡くなる時以外の言葉も
何だか聞いてがっかりしてしまいました
つまんない処世術にしか聞こえなかったのです、私には
その二回目だか(計4回、25分が四回で100分です)
私は他の事をしていてよく聞いてなかったのですが
(つまらなさそうな内容、録画してあるのでいつか見ますが)
主人は「面白かった」と言ってました

で、話が戻りますが、そのような疑問をずっと言い続けていたわけです
エホバの証人の彼女に
多分、もしかして、彼女たちはその教義のおかしな部分を
一生懸命説明し、聖書の中の言葉を持ち出して私に説明するものの
本当は、「ウソかも知れない」とかかすかにでも
思っている可能性があるのではないかと思いましたが
それをずっと説明し続ける事に疲れたのか
まるまる洗脳されているわけでもないのではないかとも思いますが
どうなんでしょう
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エホバの証人 >次はあるでしょうか?

2015-04-22 11:18:43 | 宗教関係
エホバの証人が最後に来てから、一ヶ月10日を過ぎました
下記は3月11日に書いたものですが

>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>15/01/20
>15/01/27
>15/02/24
>15/03/10
>次はあるでしょうか?

3月10日に来た時には、メインの女性の表情が心なしか暗かったです
相手は私を誘おうとしていましたが、
私は内心相手を洗脳?から解こうとしていましたが、
多分自分ではしかとは気づかないまでも・・

私はその教義の矛盾を突いて話をしていました
悪気があったわけではなく、矛盾は矛盾であり
間違いは間違いだと思うからです

     

もう、来ないかも知れません
来るのが疲れた、という感じでした
はい
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仏教の修行とは、体育会系なのだろうか?

2015-04-07 15:54:57 | 宗教関係
昨夜テレビで「ぶっちゃけ寺」という番組をやっていた
今調べたら、これからレギュラー番組になるそうで
毎週月曜、テレ朝夜7時だそうだ

何だか一見世俗的そうな僧が出ていたけれど、
何で日本のお坊さんって、あんなに聖職者風ではないのか、と思う

簡単に書くけれど、昨日の坊さんの修行、若いお坊さんだけど
掃除が修行というのは、一石二鳥でいいなぁ、と思うけれど
何であんなに過激に掃除をしなければならないのか
何故あんなに忙しく床を拭かなければならないのだろうか?
ああいう掃除のどこが修行なのかさっぱり納得が行きません

この間書いた「永平寺」の修行は静謐でいいとか書いたけれど
それも、似た部分はあった
階段の拭き掃除の過激な事
若くなければ出来ません、っておかしくないですか?

体力を鍛える事が仏教の修行であるのなら
体育系の運動部とさして違いはないじゃないですか?
前にも書いたけれど、千日何とかという修行の阿闍梨というのもそう
山を駆けまわっての体力修行
それでは、いかに尊いお坊さんとて、体力がなければ下位なんですか?とか思う

果たして仏陀がそんなことを修行と言ったのか?
例えば音を立てずにご飯を食べること
なるべく早く食べ終えること



その為に昨日のお坊さん
ご飯を噛まずにほぼ丸呑み
あれ、一生やってられますか?って思います
一生修行と称してご飯を噛まずに食べる事は出来ないでしょうが?
おかしいですよ

納得行きません
誰か教えて下さいまし
コメント (2)
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「法然・親鸞の仏教と現代 下」2011/2/11 東京新聞 「生きる」より

2015-04-03 10:47:01 | 宗教関係
愚者の自覚で 連帯感の再構築を [下]

 1201年、「修行しても煩悩を抑制できない我が身は地獄へ往(ゆ)くしかない」と比叡山で苦しんでいた29歳の親鸞は山を下り、「極楽往生には専ら『南無阿弥陀(なむあみだ)仏』と唱えればよい」と説く69歳の法然の弟子となる。

 親鸞は、法然の主著である『選択(せんちゃく)本願念仏集』の書写を許され(許されたのは数人)有力な弟子の一人となるが、1206年に京都東山の鹿ケ谷にあった法然の弟子の安楽・住蓮(じゅうれん)の草庵で後鳥羽上皇が寵愛していた松虫・鈴虫が出家し、上皇の逆鱗に触れるという事件が起こり、翌年、安楽・住蓮は死罪、法然は讃岐に、親鸞は越後に流されたため、親鸞は35歳までの五年余りの間だけ、法然の傍で教えを受けたことになる。



 平安時代には空海の教えを受けた嵯峨天皇が818年に出した死刑停止の宣旨により810年の「平城太上(へいぜいだいじょう)天皇の変(薬子(くすこ)の変)」に際し薬子の兄の藤原仲成が死刑になってから1156年の「保元の乱」の折に平忠正や源為義が斬首されるまで346年も公的な死刑が執行されず、これは近代以前の世界に例のない事実なのだが、僧が死罪にされるほど上皇の怒りは激しかったのである。
1200年、鎌倉幕府によって既に専修念仏は禁止されていた。万人の平等(全ての人間は凡夫である)を説く法然の仏教は為政者にとって受け入れ難いものであったと思われる。

 親鸞は越後に流された後、暫くして関東に移り、63歳の頃に京都に戻って晩年は著述活動と関東の門弟との間の手紙のやりとりなどで過ごし、90歳で入寂する。
現存する親鸞の手紙は80歳代に書かれたものが殆どであるが手紙には「浄土宗の人は愚者になって往生する」などの法然の言葉が度々登場する。
また、親鸞の主著である『教行信証して日本に興し、阿弥陀仏が選択された本願をこの悪世に広めた」と法然を讃たたえている。
親鸞が生涯に亘(わた)って法然の教えを伝えようと努めたことがよく分かる。

 日本史の教科書では法然が開いた浄土宗と親鸞が開いた浄土真宗があると教えられるが、親鸞がいう真宗というのは法然が開いた浄土宗のことであり、自身が浄土宗と異なる真宗を開いたという意味ではない。
また現在の浄土宗はもともと法然の弟子の弁長を派祖とする浄土宗鎮西派と呼ばれる一派にすぎない。
現在の浄土宗と真宗は共にもともと法然の浄土宗の一部なのに、法然・親鸞の仏教を一体的に説かずに法然と親鸞の違いを強調しているのは誠に残念である。

 『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえも往生を果たすのだ、ましてや、悪人が往生を果たすことはいうまでもない)」も親鸞独自の言葉ではない。
これは法然から親鸞へ、親鸞から唯円へと伝えられた人間観を端的に示すもので、他人事として、あの悪人こそが往生しやすいと言っている訳ではなく、この文の続きを読むと「阿弥陀仏の根本の願いは私ども悪人を成仏させる点にあるのだから、他力をたのむ悪人こそが正真正銘、浄土に生まれて必ず仏となる種の持ち主なのである」と書かれている。
つまり、自身を悪人、自己中心的な愚か者と自覚した人こそが、他力(阿弥陀仏)を頼み、往生成仏する人だという意味なのである。

 仏教では、愛は地球を救わない。自己愛、家族愛、愛国心が他者や隣人との争い、他国との戦争の原因である。
愛は喜びをもたらす、生きてゆく原動力であると共に、苦や悲しみに身を置く種となる。
近年の日本では家族愛だけを大切にしすぎてきたことが、地域住民のつながりを壊し、最後の頼りの家族に理解してもらえず、仏や死別した肉親に浄土から拝まれている自分であることが信じられないので、孤立感を持ち、絶望して自暴自棄になる方が多いという現実を生み出していると思う。

 法然・親鸞は、生涯、人間は自己中心性から逃れることができないが、自身が自己中であることをよく自覚して生きることが大切だと説いた。
専修念仏の僧が凡夫人間観と阿弥陀仏の慈悲を説き続け、「俺も自己中な阿呆(あほう)やけど、お前も自己中な阿呆やな」という上方漫才に示される愚か者同士の共感を広げ、凡夫が互いに笑い合い、時に不条理と出合わねばならないことを悲しみ合いながら、殺された家族も阿弥陀仏の浄土で菩薩や仏となっておられることを御遺族が信じていただければ死刑のない日本に戻れるのではないかと夢見ている。合掌

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かじた・しんしょう 京都・鹿ケ谷の法然院貫主。1956年、京都市生まれ。大阪外国語大ドイツ語科卒。きょうとNPOセンター副理事長。著書に「法然院」(淡交社)「ありのまま~ていねいに暮らす、楽に生きる~」(リトルモア)など。
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「法然・親鸞の仏教と現代 上」2011/2/5 東京新聞「生きる」より

2015-04-02 13:11:06 | 宗教関係
自力と他力 人間は全て凡夫・愚者 [上]

 1167年、平清盛が太政大臣となり平家の絶頂期を迎えるが、18年後の1185年、清盛の三男の宗盛は壇ノ浦の戦に敗れて処刑され、平家の時代が終わる。
1192年、源頼朝が鎌倉幕府を開くが27年後の1219年、頼朝の次男の実朝は甥の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺されて源氏の嫡流が絶え、北条氏の世となる。
「驕(おご)る平家は久しからず」といわれるが、「驕る源氏もまた久しからず」。この激動の時代に法然と親鸞の師弟は生き、他力本願念仏を広めていったのである。



 美作(みまさか)の国(現在の岡山県)の地方豪族の家に生まれた法然は、比叡山延暦寺の僧となるが、自力の修行による成仏を断念し、「自身を含め、いかなる人間でも仏に成れる道はないものか」と二十代半ばから比叡山西塔黒谷の経蔵に籠こもる。
二十年近くかかって七世紀の中国の僧、善導の著作中の「本願念仏」の教えに出合い、これこそ末法の世(自力修行しても悟ることができない時代)に生きる人間が仏になるのに相応(ふさわ)しい教えだと感動した法然は1175年、四十三歳の時に比叡山を下りて浄土宗を開く。
それまでの仏教では仏に成るためには戒を持ち、経を唱え、坐ざ禅をし、山を駆け巡るなど、自力であらゆる修行を実践しなければならなかった。
比叡山の僧、源信の「往生要集」に親しんだ貴族たちは、仏像を造り、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などを建て、心に浄土や阿弥陀仏を瞑想するという自力修行としての観念の念仏によって極楽へ往(ゆ)き生まれることを願っていたのである。

 法然は、「阿弥陀仏は平等に一切の生きとし生ける者を成仏させようとの慈悲の心から本願を立てて極楽を構えられたのだから、寺院の建立や難しい修行の実践が極楽往生の条件ではなく、本願を信じて『南無阿弥陀仏』(限りない命の、真理に目覚めた存在に任せきる)と唱えれば必ず往生できる、阿弥陀仏が大昔に極楽を建立したときに全ての生き物に宛てて招待状を発送済みだから、招待状のお返事を出しさえすれば(『南無阿弥陀仏』と唱えればよい)」と説いた。
それまでは人間は聖人と凡夫の区別があるとされてきたが、人間は全て仏と比べれば凡夫というしかない、その凡夫を憐あわれんで阿弥陀仏は極楽で待っていてくださるのだと言い切ったのである。



 この革命的な教えには、自力修行によって成仏を目指している比叡山や奈良の僧たちから当然、大きな反発が起こる。しかし、法然は自力修行の僧を否定した訳ではない。
自分は自力による成仏を断念したから他力信心による往生成仏を選択しただけのことであり、僧は自身が信じる仏の道を歩めばよい。
自身の信心には執着するが、他者の信心には寛容であることが法然仏教の尽きない魅力である。

 現代日本では、私ども僧が長らく説法をさぼってきた所為で「他力本願」が他人の力を宛てにしてこの世を暮らすという意味で使われることが多い。
僧として誠に申し訳ないことである。
「他力」は他人の力ではなく阿弥陀仏の本願の力という意味だから、誤解ばかり受けている「他力」は、「仏力」と言い換えた方がよいかもしれない。

 800年前の日本人は仏教徒であり、善人か悪人かの基準は不殺生戒などの戒めが守れるかどうかであった。
「戒行において一戒をも持てず」が法然・親鸞の凡夫・愚か者・悪人の自覚であった。
現代日本における善人か悪人かの基準は法律を破ったかどうかであるから、殆どの日本人は自分が善人である、少なくとも悪人ではないと思っている。

 自分は悪人だから自分に何が起こっても「自業自得」だというのが800年前の謙虚な日本人であったが、自分は善人なのにどうしてこんな酷い目に遭うのかというのが現代の傲慢(ごうまん)な日本人である。
この世は不条理であり、自分の常識では納得できないことと出逢であわねばならないからこそ神仏や極楽を信じる宗教が必要とされてきたということを僧として改めて説いてゆかねばならないと思っている。合掌

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かじた・しんしょう 京都・鹿ケ谷の法然院貫主。1956年、京都市生まれ。大阪外国語大ドイツ語科卒。きょうとNPOセンター副理事長。著書に「法然院」(淡交社)「ありのまま~ていねいに暮らす、楽に生きる~」(リトルモア)など。
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「永平寺」NHKアーカイブス

2015-04-01 16:43:28 | 宗教関係
下記は、かつて放送されたNHKのNHK特集の番組紹介です
「永平寺」
http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010214_00000

放映日は1977年とあります
私はこの番組を見ました
大変印象深い番組で、その静謐さに「憧れ」ました
凄く印象に残った番組でした
昨年この番組をアーカイブの放送で録画したのですが
テレビを替える必要があって、ビデオも共になくなってしまいました
大変残念です

    
この階段をうら若い僧たちが、勢いよく拭き掃除に励むのです

  永平寺

前に書いたのはキリスト教「アッシジのファランチェスコ」であり
今度は仏教の「永平寺」ですから・・
永平寺の宗派は「曹洞宗」なんだそうです
詳しいことは知りませんし、深い関心もありません。。でしょうか

私が何故宗教に興味を持ち、関心を持つのか
多分、本気で宗教を信じようという気のないかに思える私の
「真の狙い」は、何なのか?ですが
どうも、その「雰囲気」に惹かれるのではないか、などと思うのです
つまり、邪道?とでも言うのでしょうか?

本気で宗教を知りたいとも思わず、信じる気もなく?
私の母は宗教を嫌っていました
そして、母の父と兄は、御嶽山信仰だったそうです
朝方念仏を唱えていたとか?
ところが、私の母は一応お寺や神社に神妙に手を合わせはするのですが
信心はしないです
その性格の一部が似ているのかもしれませんが
私もどうやら本気で宗教を信じようという気はなさそうです

でも、何と言うかその雰囲気が好きなんですね、多分
修行とか、禅とか、静謐さとか、ストイックなところとか
前にも書いたような気がしますが、鈴木大拙の「禅とは何か?」という本も
若い頃買いました 大して読んだ記憶もないですが
夏目漱石が色々な事に煩悶し、禅寺の門を叩いたそうですが
結局得るところなく戻ったとか
多分、私も宗教に何らかの救いを求めて興味を持っているのだと思います
ですが、信心深くはなく、自分を救いたい、何から?
煩悶から?

他からの引用です「ストイック」
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ストイックの意味とは
様々な場面で耳にする「ストイック」と言う言葉ですが、
結構意味を知らない人も多いようです。
本来「ストイック」が持つ意味や一般的な使い方を知っておくと良いでしょう。

<ストイックの意味>
「ストイック(stoic)」とは、
元々ストア学派の哲学者、またストア学派風の克己禁欲主義・厳粛主義を信奉する人のことです。
そのストア学派の禁欲主義的な幸福論から、
「自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとするさま」
などの意味を表します。

一般的には、
「自分に厳しく欲望に流されない人」や、
「禁欲的」という意味になります。

<ストイックの使い方>
・彼のストイックすぎる生活の根本を探る。
・ストイックな姿勢を示す。
・彼女は仕事へのストイックさがすごい。

自分を追い込み、困難な目標を立て仕事をする感じを「ストイックに仕事をする」と言います。
自分に厳しい人を「あの人はストイックだ」と言います。・
ただ、口癖のように「ストイック」を連呼するのはおすすめできません。
周りの人が苦笑することにもなるので、ポイントを抑えて使いましょう。
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こんな感じでしょうか?
ついでと言っては何ですが「静謐」
三省堂 大辞林より↓
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せい ひつ 【静謐】 ( 名 ・形動 ) [文] ナリ
1,しずかでおだやかな・こと(さま)。 「海上至て-なりしに/花間鶯 鉄腸」
2,世の中が治まっている・こと(さま)。静穏。 「世情は-に戻った」
[派生] -さ ( 名 )
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だそうです
多分その静けさみたいなものや、禁欲的な部分に惹かれるのだと思います
つまり、世の煩雑さを私が嫌っているのか
あるいは、そういうものに乱され易いと思われる自分が嫌なのか、です

ストイックになることによって、何かの「悟り」でも得られるか、とか
あるいは、自分が楽に生きられる方法を見い出せるかとか
それは、夏目漱石のように「願望」でしかないのかもしれません

何故なら、バチカンのあの汚れとか世俗性とか
又、仏教界も似たようなものでしょうが
肝心の宗教家が汚れているのでは、救いもへったくれもないではありませんか?

そう言えば、五木寛之の親鸞、まだ全部読んでませんが
新聞の切り抜きはたくさん溜まっていますが
親鸞は本気の宗教家だったようです
ですが、己の欲望の強さと正直さとの葛藤が並大抵のものではなかったようです
人間に聖人を求めるのが無理なのか
アッシジのフランチェスコは40代で亡くなっていますね
ですが、ストイックも極めれば、
場合によっては「異常性」にも見えてきますし
難しいです
やり過ぎて、死んでしまうキリスト教の殉教者もいかがなものかと思いますし

即身仏と即身成仏との違いは以前書きましたが
どうか、生きたままでミイラになるのは止めて下さいと思います
聞いた方は、心穏やかではいられませんから
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「バチカン」2

2015-03-31 11:20:20 | 宗教関係
http://globe.asahi.com/feature/article/2015031200005.html





聖職者と呼ばれる人達の、一般の人よりも世俗的・悪と感じられる文章です
情けない
これが「宗教」の名の下のインチキです
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「バチカン」と「アッシジのフランチェスコ」

2015-03-30 12:03:44 | 宗教関係
聖フランチェスコです(ウィキペディアより↓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3

今日、猫の缶詰を取り寄せた中に、緩和材として入っていた小型の新聞
The Asahi Simbun GLOBEと書いてある新聞でしたが
その中に「改革なるか「バチカン銀行」という記事があって
----------引用↓-----------
バチカンの暗部といわれるのが、法王庁の資産を管理・運用してきた宗教専業協会、通称「バチカン銀行」だ。マフィアなど闇の世界の資金洗浄(マネーロンダリング)に使われているとの疑惑が絶えない。現法王フランシスコは、その改革にも取り組むが、文字通り「命がけ」だともいわれる。

サンピエトロ広場に一歩足を踏み入れれば、そこはイタリア捜査当局の手の届かない別の国、バチカン市国だ。イタリアのマフィアや保守政治家にとって、税逃れの手段として「うまみ」がある。

バチカン銀行が生まれるきっかけとなったのは、1929年のラテラノ条約だ。独立国の権利を得るのと引き換えに広大な法王領を放棄した。その見返りにイタリア王国から賠償金として支払われた現金7億5000万リラが原資となった。

71年にバチカン銀行総裁となった米国人の大司教ポール・マルチンクスは、伊アンブロシアーノ銀行の頭取ロベルト・カルヴィらと組み、資金洗浄や不正融資を行ったとして捜査対象となった。

78年に就任した法王ヨハネ・パウロ1世は、バチカン銀行の改革を表明した。だが就任34日目の9月28日、宮殿内で急死してしまう。法王はマルチンクスの更迭を決めていたとされる。翌年には、バチカン銀行について調べていたイタリアの捜査担当者らの暗殺が相次いだ。
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ネットで調べたら載っていました。
http://globe.asahi.com/feature/article/2015031200005.html

この記事を読んで思い出したのが、前述の「アッシジのフランチェスコ」でした。

     
騎士として出征したものの戦わずして帰還したフランチェスコの像(イタリア、アッシジ)


以前も何度か書きましたが「ブラーザーサン・シスタームーン」という映画
聖フランチェスコの映画でしたが(私は見ていません)
清貧の限りを尽くし、動物や植物をこよなく愛し、己の欲望はなく?

     
着ていたものを全部脱いで父に返し、世俗とのきずなを完全に絶ったフランチェスコ。

キリスト教の悪の部分を削ぎ落した聖人の姿を見るような気がします
宗教によって起きる、弾圧や戦争、略奪、惨殺
これは、宗教本来の姿とは思われません
宗教という名の下に起こされた人間の欲望の全てでしかない

ですが、人間の本当の姿とは、正悪混沌とし
又、個人の資質によっても、その割合は違うと思います
ですが、これが人間だという確たるものはない
けれど、宗教が人間の欲望の手下に、あるいは具として使われる事の悪こそが
人間の邪悪な部分の最たるものではないかと思います

ですが、この聖フランチェスコも又
人としてこの世に生きることの煩雑さには悩まされたようです
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