あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

加害者が被害者面する心理について

2015-04-24 01:06:12 | 人間の心理について
私は最近「加害者が被害者面する」為に、その被害にあっている
身内の話だが、酷い話だ

で、その身内とはB型の女で
B型の最大の特徴である
「自分が正しいと思わないと生きていけない」論理に従い
自分が悪いのに、私を悪者にして自己正当化を図り
私が悪者にされてしまっているのだ

たまらん
私は元々人間が嫌いなのだけど、その理由の一つに
これら、邪悪な謀(はかりごと)をするから、というのがある

その点、動物はここまでえげつない事をしないから
いい

人間のわがままと、利己心と、汚さとずるさと、
嫌いですね

だから、人間が嫌いという人の方が信用できる気がする
多分正解

私の勘はよく当たるから
たまらん

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エホバの証人 >次はあるでしょうか?

2015-04-22 11:18:43 | 宗教関係
エホバの証人が最後に来てから、一ヶ月10日を過ぎました
下記は3月11日に書いたものですが

>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>15/01/20
>15/01/27
>15/02/24
>15/03/10
>次はあるでしょうか?

3月10日に来た時には、メインの女性の表情が心なしか暗かったです
相手は私を誘おうとしていましたが、
私は内心相手を洗脳?から解こうとしていましたが、
多分自分ではしかとは気づかないまでも・・

私はその教義の矛盾を突いて話をしていました
悪気があったわけではなく、矛盾は矛盾であり
間違いは間違いだと思うからです

     

もう、来ないかも知れません
来るのが疲れた、という感じでした
はい
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仏教の修行とは、体育会系なのだろうか?

2015-04-07 15:54:57 | 宗教関係
昨夜テレビで「ぶっちゃけ寺」という番組をやっていた
今調べたら、これからレギュラー番組になるそうで
毎週月曜、テレ朝夜7時だそうだ

何だか一見世俗的そうな僧が出ていたけれど、
何で日本のお坊さんって、あんなに聖職者風ではないのか、と思う

簡単に書くけれど、昨日の坊さんの修行、若いお坊さんだけど
掃除が修行というのは、一石二鳥でいいなぁ、と思うけれど
何であんなに過激に掃除をしなければならないのか
何故あんなに忙しく床を拭かなければならないのだろうか?
ああいう掃除のどこが修行なのかさっぱり納得が行きません

この間書いた「永平寺」の修行は静謐でいいとか書いたけれど
それも、似た部分はあった
階段の拭き掃除の過激な事
若くなければ出来ません、っておかしくないですか?

体力を鍛える事が仏教の修行であるのなら
体育系の運動部とさして違いはないじゃないですか?
前にも書いたけれど、千日何とかという修行の阿闍梨というのもそう
山を駆けまわっての体力修行
それでは、いかに尊いお坊さんとて、体力がなければ下位なんですか?とか思う

果たして仏陀がそんなことを修行と言ったのか?
例えば音を立てずにご飯を食べること
なるべく早く食べ終えること



その為に昨日のお坊さん
ご飯を噛まずにほぼ丸呑み
あれ、一生やってられますか?って思います
一生修行と称してご飯を噛まずに食べる事は出来ないでしょうが?
おかしいですよ

納得行きません
誰か教えて下さいまし
コメント (2)
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「法然・親鸞の仏教と現代 下」2011/2/11 東京新聞 「生きる」より

2015-04-03 10:47:01 | 宗教関係
愚者の自覚で 連帯感の再構築を [下]

 1201年、「修行しても煩悩を抑制できない我が身は地獄へ往(ゆ)くしかない」と比叡山で苦しんでいた29歳の親鸞は山を下り、「極楽往生には専ら『南無阿弥陀(なむあみだ)仏』と唱えればよい」と説く69歳の法然の弟子となる。

 親鸞は、法然の主著である『選択(せんちゃく)本願念仏集』の書写を許され(許されたのは数人)有力な弟子の一人となるが、1206年に京都東山の鹿ケ谷にあった法然の弟子の安楽・住蓮(じゅうれん)の草庵で後鳥羽上皇が寵愛していた松虫・鈴虫が出家し、上皇の逆鱗に触れるという事件が起こり、翌年、安楽・住蓮は死罪、法然は讃岐に、親鸞は越後に流されたため、親鸞は35歳までの五年余りの間だけ、法然の傍で教えを受けたことになる。



 平安時代には空海の教えを受けた嵯峨天皇が818年に出した死刑停止の宣旨により810年の「平城太上(へいぜいだいじょう)天皇の変(薬子(くすこ)の変)」に際し薬子の兄の藤原仲成が死刑になってから1156年の「保元の乱」の折に平忠正や源為義が斬首されるまで346年も公的な死刑が執行されず、これは近代以前の世界に例のない事実なのだが、僧が死罪にされるほど上皇の怒りは激しかったのである。
1200年、鎌倉幕府によって既に専修念仏は禁止されていた。万人の平等(全ての人間は凡夫である)を説く法然の仏教は為政者にとって受け入れ難いものであったと思われる。

 親鸞は越後に流された後、暫くして関東に移り、63歳の頃に京都に戻って晩年は著述活動と関東の門弟との間の手紙のやりとりなどで過ごし、90歳で入寂する。
現存する親鸞の手紙は80歳代に書かれたものが殆どであるが手紙には「浄土宗の人は愚者になって往生する」などの法然の言葉が度々登場する。
また、親鸞の主著である『教行信証して日本に興し、阿弥陀仏が選択された本願をこの悪世に広めた」と法然を讃たたえている。
親鸞が生涯に亘(わた)って法然の教えを伝えようと努めたことがよく分かる。

 日本史の教科書では法然が開いた浄土宗と親鸞が開いた浄土真宗があると教えられるが、親鸞がいう真宗というのは法然が開いた浄土宗のことであり、自身が浄土宗と異なる真宗を開いたという意味ではない。
また現在の浄土宗はもともと法然の弟子の弁長を派祖とする浄土宗鎮西派と呼ばれる一派にすぎない。
現在の浄土宗と真宗は共にもともと法然の浄土宗の一部なのに、法然・親鸞の仏教を一体的に説かずに法然と親鸞の違いを強調しているのは誠に残念である。

 『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえも往生を果たすのだ、ましてや、悪人が往生を果たすことはいうまでもない)」も親鸞独自の言葉ではない。
これは法然から親鸞へ、親鸞から唯円へと伝えられた人間観を端的に示すもので、他人事として、あの悪人こそが往生しやすいと言っている訳ではなく、この文の続きを読むと「阿弥陀仏の根本の願いは私ども悪人を成仏させる点にあるのだから、他力をたのむ悪人こそが正真正銘、浄土に生まれて必ず仏となる種の持ち主なのである」と書かれている。
つまり、自身を悪人、自己中心的な愚か者と自覚した人こそが、他力(阿弥陀仏)を頼み、往生成仏する人だという意味なのである。

 仏教では、愛は地球を救わない。自己愛、家族愛、愛国心が他者や隣人との争い、他国との戦争の原因である。
愛は喜びをもたらす、生きてゆく原動力であると共に、苦や悲しみに身を置く種となる。
近年の日本では家族愛だけを大切にしすぎてきたことが、地域住民のつながりを壊し、最後の頼りの家族に理解してもらえず、仏や死別した肉親に浄土から拝まれている自分であることが信じられないので、孤立感を持ち、絶望して自暴自棄になる方が多いという現実を生み出していると思う。

 法然・親鸞は、生涯、人間は自己中心性から逃れることができないが、自身が自己中であることをよく自覚して生きることが大切だと説いた。
専修念仏の僧が凡夫人間観と阿弥陀仏の慈悲を説き続け、「俺も自己中な阿呆(あほう)やけど、お前も自己中な阿呆やな」という上方漫才に示される愚か者同士の共感を広げ、凡夫が互いに笑い合い、時に不条理と出合わねばならないことを悲しみ合いながら、殺された家族も阿弥陀仏の浄土で菩薩や仏となっておられることを御遺族が信じていただければ死刑のない日本に戻れるのではないかと夢見ている。合掌

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かじた・しんしょう 京都・鹿ケ谷の法然院貫主。1956年、京都市生まれ。大阪外国語大ドイツ語科卒。きょうとNPOセンター副理事長。著書に「法然院」(淡交社)「ありのまま~ていねいに暮らす、楽に生きる~」(リトルモア)など。
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「法然・親鸞の仏教と現代 上」2011/2/5 東京新聞「生きる」より

2015-04-02 13:11:06 | 宗教関係
自力と他力 人間は全て凡夫・愚者 [上]

 1167年、平清盛が太政大臣となり平家の絶頂期を迎えるが、18年後の1185年、清盛の三男の宗盛は壇ノ浦の戦に敗れて処刑され、平家の時代が終わる。
1192年、源頼朝が鎌倉幕府を開くが27年後の1219年、頼朝の次男の実朝は甥の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺されて源氏の嫡流が絶え、北条氏の世となる。
「驕(おご)る平家は久しからず」といわれるが、「驕る源氏もまた久しからず」。この激動の時代に法然と親鸞の師弟は生き、他力本願念仏を広めていったのである。



 美作(みまさか)の国(現在の岡山県)の地方豪族の家に生まれた法然は、比叡山延暦寺の僧となるが、自力の修行による成仏を断念し、「自身を含め、いかなる人間でも仏に成れる道はないものか」と二十代半ばから比叡山西塔黒谷の経蔵に籠こもる。
二十年近くかかって七世紀の中国の僧、善導の著作中の「本願念仏」の教えに出合い、これこそ末法の世(自力修行しても悟ることができない時代)に生きる人間が仏になるのに相応(ふさわ)しい教えだと感動した法然は1175年、四十三歳の時に比叡山を下りて浄土宗を開く。
それまでの仏教では仏に成るためには戒を持ち、経を唱え、坐ざ禅をし、山を駆け巡るなど、自力であらゆる修行を実践しなければならなかった。
比叡山の僧、源信の「往生要集」に親しんだ貴族たちは、仏像を造り、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などを建て、心に浄土や阿弥陀仏を瞑想するという自力修行としての観念の念仏によって極楽へ往(ゆ)き生まれることを願っていたのである。

 法然は、「阿弥陀仏は平等に一切の生きとし生ける者を成仏させようとの慈悲の心から本願を立てて極楽を構えられたのだから、寺院の建立や難しい修行の実践が極楽往生の条件ではなく、本願を信じて『南無阿弥陀仏』(限りない命の、真理に目覚めた存在に任せきる)と唱えれば必ず往生できる、阿弥陀仏が大昔に極楽を建立したときに全ての生き物に宛てて招待状を発送済みだから、招待状のお返事を出しさえすれば(『南無阿弥陀仏』と唱えればよい)」と説いた。
それまでは人間は聖人と凡夫の区別があるとされてきたが、人間は全て仏と比べれば凡夫というしかない、その凡夫を憐あわれんで阿弥陀仏は極楽で待っていてくださるのだと言い切ったのである。



 この革命的な教えには、自力修行によって成仏を目指している比叡山や奈良の僧たちから当然、大きな反発が起こる。しかし、法然は自力修行の僧を否定した訳ではない。
自分は自力による成仏を断念したから他力信心による往生成仏を選択しただけのことであり、僧は自身が信じる仏の道を歩めばよい。
自身の信心には執着するが、他者の信心には寛容であることが法然仏教の尽きない魅力である。

 現代日本では、私ども僧が長らく説法をさぼってきた所為で「他力本願」が他人の力を宛てにしてこの世を暮らすという意味で使われることが多い。
僧として誠に申し訳ないことである。
「他力」は他人の力ではなく阿弥陀仏の本願の力という意味だから、誤解ばかり受けている「他力」は、「仏力」と言い換えた方がよいかもしれない。

 800年前の日本人は仏教徒であり、善人か悪人かの基準は不殺生戒などの戒めが守れるかどうかであった。
「戒行において一戒をも持てず」が法然・親鸞の凡夫・愚か者・悪人の自覚であった。
現代日本における善人か悪人かの基準は法律を破ったかどうかであるから、殆どの日本人は自分が善人である、少なくとも悪人ではないと思っている。

 自分は悪人だから自分に何が起こっても「自業自得」だというのが800年前の謙虚な日本人であったが、自分は善人なのにどうしてこんな酷い目に遭うのかというのが現代の傲慢(ごうまん)な日本人である。
この世は不条理であり、自分の常識では納得できないことと出逢であわねばならないからこそ神仏や極楽を信じる宗教が必要とされてきたということを僧として改めて説いてゆかねばならないと思っている。合掌

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かじた・しんしょう 京都・鹿ケ谷の法然院貫主。1956年、京都市生まれ。大阪外国語大ドイツ語科卒。きょうとNPOセンター副理事長。著書に「法然院」(淡交社)「ありのまま~ていねいに暮らす、楽に生きる~」(リトルモア)など。
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「永平寺」NHKアーカイブス

2015-04-01 16:43:28 | 宗教関係
下記は、かつて放送されたNHKのNHK特集の番組紹介です
「永平寺」
http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010214_00000

放映日は1977年とあります
私はこの番組を見ました
大変印象深い番組で、その静謐さに「憧れ」ました
凄く印象に残った番組でした
昨年この番組をアーカイブの放送で録画したのですが
テレビを替える必要があって、ビデオも共になくなってしまいました
大変残念です

    
この階段をうら若い僧たちが、勢いよく拭き掃除に励むのです

  永平寺

前に書いたのはキリスト教「アッシジのファランチェスコ」であり
今度は仏教の「永平寺」ですから・・
永平寺の宗派は「曹洞宗」なんだそうです
詳しいことは知りませんし、深い関心もありません。。でしょうか

私が何故宗教に興味を持ち、関心を持つのか
多分、本気で宗教を信じようという気のないかに思える私の
「真の狙い」は、何なのか?ですが
どうも、その「雰囲気」に惹かれるのではないか、などと思うのです
つまり、邪道?とでも言うのでしょうか?

本気で宗教を知りたいとも思わず、信じる気もなく?
私の母は宗教を嫌っていました
そして、母の父と兄は、御嶽山信仰だったそうです
朝方念仏を唱えていたとか?
ところが、私の母は一応お寺や神社に神妙に手を合わせはするのですが
信心はしないです
その性格の一部が似ているのかもしれませんが
私もどうやら本気で宗教を信じようという気はなさそうです

でも、何と言うかその雰囲気が好きなんですね、多分
修行とか、禅とか、静謐さとか、ストイックなところとか
前にも書いたような気がしますが、鈴木大拙の「禅とは何か?」という本も
若い頃買いました 大して読んだ記憶もないですが
夏目漱石が色々な事に煩悶し、禅寺の門を叩いたそうですが
結局得るところなく戻ったとか
多分、私も宗教に何らかの救いを求めて興味を持っているのだと思います
ですが、信心深くはなく、自分を救いたい、何から?
煩悶から?

他からの引用です「ストイック」
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ストイックの意味とは
様々な場面で耳にする「ストイック」と言う言葉ですが、
結構意味を知らない人も多いようです。
本来「ストイック」が持つ意味や一般的な使い方を知っておくと良いでしょう。

<ストイックの意味>
「ストイック(stoic)」とは、
元々ストア学派の哲学者、またストア学派風の克己禁欲主義・厳粛主義を信奉する人のことです。
そのストア学派の禁欲主義的な幸福論から、
「自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとするさま」
などの意味を表します。

一般的には、
「自分に厳しく欲望に流されない人」や、
「禁欲的」という意味になります。

<ストイックの使い方>
・彼のストイックすぎる生活の根本を探る。
・ストイックな姿勢を示す。
・彼女は仕事へのストイックさがすごい。

自分を追い込み、困難な目標を立て仕事をする感じを「ストイックに仕事をする」と言います。
自分に厳しい人を「あの人はストイックだ」と言います。・
ただ、口癖のように「ストイック」を連呼するのはおすすめできません。
周りの人が苦笑することにもなるので、ポイントを抑えて使いましょう。
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こんな感じでしょうか?
ついでと言っては何ですが「静謐」
三省堂 大辞林より↓
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せい ひつ 【静謐】 ( 名 ・形動 ) [文] ナリ
1,しずかでおだやかな・こと(さま)。 「海上至て-なりしに/花間鶯 鉄腸」
2,世の中が治まっている・こと(さま)。静穏。 「世情は-に戻った」
[派生] -さ ( 名 )
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だそうです
多分その静けさみたいなものや、禁欲的な部分に惹かれるのだと思います
つまり、世の煩雑さを私が嫌っているのか
あるいは、そういうものに乱され易いと思われる自分が嫌なのか、です

ストイックになることによって、何かの「悟り」でも得られるか、とか
あるいは、自分が楽に生きられる方法を見い出せるかとか
それは、夏目漱石のように「願望」でしかないのかもしれません

何故なら、バチカンのあの汚れとか世俗性とか
又、仏教界も似たようなものでしょうが
肝心の宗教家が汚れているのでは、救いもへったくれもないではありませんか?

そう言えば、五木寛之の親鸞、まだ全部読んでませんが
新聞の切り抜きはたくさん溜まっていますが
親鸞は本気の宗教家だったようです
ですが、己の欲望の強さと正直さとの葛藤が並大抵のものではなかったようです
人間に聖人を求めるのが無理なのか
アッシジのフランチェスコは40代で亡くなっていますね
ですが、ストイックも極めれば、
場合によっては「異常性」にも見えてきますし
難しいです
やり過ぎて、死んでしまうキリスト教の殉教者もいかがなものかと思いますし

即身仏と即身成仏との違いは以前書きましたが
どうか、生きたままでミイラになるのは止めて下さいと思います
聞いた方は、心穏やかではいられませんから
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