あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

五十肩(本当は、石灰沈着)その後

2016-04-28 14:13:51 | 健康
一昨日、又整形外科に行ってきました
骨粗鬆症の検査に必要な尿持参と、その後の肩

まだ、2割位肩の痛みが残っていて、
手を上げたり、後ろに回したりなどすると、ひっかかりが・・
何となくまだ痛みが残っているという感じなのですが
その旨お医者さんに報告
ついでに「坐骨神経も痛いのですが」と
でも、お医者さんは何もする気なしで
「痛み止めが出ていますが、あれは一番軽いものですから
それを飲めば、坐骨神経の方も・・・」
肩の注射はなしで、坐骨神経も「ついで」の事なので
そのまま、診察のみでした

お医者さんの腕には湿布薬が・・・
(腕が痛いんだ・・・)と見てましたが
診察を終えてお医者さんに
「先生も腕が痛いのですか?」と笑いながら言うと
困ったように笑いながら
「あぁ、どこかいい整形外科を教えて下さい」(笑)

この間、テレビで歯医者にインタビューする番組で
「あなたよりも、もっと腕のいい歯医者を紹介して下さい」
というのが、あってあれ、本当なんですね
歯医者がかかる歯医者がいい歯医者さんだって
するとインタビューされた歯医者さんは苦笑いをしながら
少しだけ気を悪くした様子もありながら
自分よりも腕とか知識のある歯医者さんを
その理由を述べながら紹介していました
整形のお医者さんはそんな番組でも見ていたのでしょうか

と、いうわけで何だかすっきりしない感じですが
普通の五十肩なら、こんな簡単には治らないのですから
贅沢を言ってはいけないのかもしれません
鈍い痛みが残っています

    又 藤が咲いていました



今度は藤色に混じって、白の藤です
3~4分咲きという感じですが、それなりに綺麗でした
   空をバックにやや逆光ですが



ここの所季節の変わり目のせいか、体調不良の人が多いです
無理をせずに、体調管理に気を付けたいものですが
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「自称平和運動家」は“平和ボケ” 

2016-04-25 21:18:58 | 平和について
「自称平和運動家」は“平和ボケ” 無責任な発言や行動を軽蔑する
zakzak より
2015.02.25 連載:ニッポンの新常識 ケント・ギルバート

 日本の「自称平和運動家」が皮肉のつもりで、「米国人は戦争が好きだから…」などと言うことがある。完全に「平和ボケ」である。無知と曲解にあきれるしかない。

 彼らが愛してやまない日本国憲法第9条は、強すぎた旧日本軍にGHQ(連合国総司令部)が科した宮刑(きゅうけい=去勢する刑罰)である。後に過ちが修正されて自衛隊が創設されたが、国の規模に比べると人員が少ない。自衛官の知人が1人もいない日本人は多いと思う。

 加えて、日本は軍事に関する教育や報道に偏向がある。だから米国人の方が軍隊や戦争を身近に感じていることは確実だ。

 私の父と伯父は朝鮮戦争時に徴兵され、20代の数年を軍人として過ごした。父が最前線に派遣され、戦死していたら私はこの世に生まれていない。

 私自身は軍隊を経験していないが、18歳の時に徴兵の登録を行った。抽選結果と戦況次第では、1971年に宣教師として初来日する代わりに、兵士としてベトナム戦争に参加していた。

 戦死、あるいは手や足を失って帰還した先輩は何人もいた。ジャングルで戦う自分の姿は想像できなかったが、「もし、抽選で選ばれたら、精いっぱい戦うしかない」と考えていた。

 24歳の時には、沖縄の在日米軍嘉手納基地に半年間住んだ経験がある。義弟は陸軍に入り3年間は沖縄勤務だった。現在も親戚には複数の現役軍人がいる。友人や、その子供が軍人になったケースは数えきれない。

 つまり米国人にとって軍隊とは、家族や友人の集合体なのだ。戦争になれば家族や友人が戦地に赴き、悲惨な体験をしたり、死ぬかもしれない。米国人が戦争を好きになれるはずがない。

 例えば、フランクリン・ルーズベルト大統領は第2次世界大戦への参戦を望んでいた。しかし、米世論はそれを許さなかった。だからこそ彼は日本を執拗に挑発し、真珠湾の先制攻撃へと追い込んだ。米国人も日本人も彼にだまされたのだ。そして今でも、だまされたままの国民が日米双方に多い。

 ところで軍人とは、祖国や国民を守るためなら自分の命を危険にさらす覚悟を持った、尊い存在である。だから米国人は誰もが軍人を尊敬し、感謝する。子供たちは単純にカッコいいと憧れる。

 ところが、日本の「自称平和運動家」には、自衛官や在日米軍軍人への尊敬や感謝がない。自衛隊と在日米軍がなければ、日本に敵意と侵略意思を抱く某国は、明日にも空爆や海岸線侵攻を始めるかもしれない。

 自分たちの生活が軍隊の抑止力で守られている現実を「自称平和運動家」は認めない。彼らの言動が日本を危機にさらし、他国を利する行為だと理解できないのか。いや、それこそが彼らの真の狙いだと疑っている。

 私は「自称平和運動家」の無責任な発言や行動を軽蔑し、激しく非難する。

           

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。

------------------------------------------------------
4/19分の文にコメントをいただいた方より紹介された
ケントギルバートさんのブログから
元記事を掲載させてただきます

私は常に戦争反対の立場ですが、自国を守るという事には
何をどうしたらいいのかという問題が残ります
戦争をするという行為ではなく、自国を守るためには
どうしたらいいのかという事ですが

それにしても、第二次世界大戦の発端がこんな事だったとは
今もって誰も知らないのではないでしょうか?
まだまだ分からない事ばかりです
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又、五十肩(みたい)になりました

2016-04-24 00:57:17 | 健康
一昨日の夜から、右肩がだんだん痛くなり
昨日はかなり動かすのに痛みが出てきて
医者にいかなければまずいだろうなぁ・・と
以前二度ほど左肩が痛くて大変だった事がありました
その時に整形外科に行って、レントゲンを撮ったら
「石灰が溜まっている」という診断で
注射を一本打ってもらいましたが、
それで痛みはなくなりました
ネットで調べたら「石灰沈着」というのだそうで
正確には五十肩というのではないようです

昨日午後、整形に行って診てもらいました
三年前の秋だったと思いますが、左肩が痛くて
注射で治してもらいました
「今度も溜まったかな?」とお医者さんは言いましたが
レントゲンを見ると溜まる箇所にはないそうで
でももう少し下の肩の部分に何となく白く写っているんだそうです
それで、「又注射を打っておきましょう」
という事で注射を一本打ってもらいました
大分痛みは治まり、今日は半分くらい
今は夜になって8割位治った感じです
やっぱり石灰沈着だったのかもしれません

二年前には頚椎を傷め、一ヶ月位牽引で通いました
整形外科にはあまり縁がなかったのですが
寄る年波ですか、何度か行くようになりました
骨粗鬆症は、いつ検査しても境界線で、
二年前からサボって薬を飲まなかったのですが
昨日検査したら、やっぱり「境界性」上にマークが(笑)

いつか、薬局で薬をもらう時に薬剤師さんが
「こういう風に緩やかで変化のない人は
酷い骨粗鬆症にはならないと思う」と言われましたが
確かに二年薬をサボっても、またしても境界線上で
お医者さんが苦笑してました
「ほら、薬を飲まないから悪化した」と言えなかったようです
母が転んで大腿骨骨折してますので、娘の私も似るようですが
今のところは大丈夫みたいです(ヤレヤレ

    藤がきれいに咲いていました
   
   房が短めですが
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民主主義のルール破壊 「戦える国」に変質 志田陽子

2016-04-19 14:18:45 | 平和について
言わねばならないこと 71 東京新聞 16年04月19日付 朝刊
   ~~~ 9・19を忘れない ~~~

   民主主義のルール破壊  志田陽子

 ナチス・ドイツは戦前、国家の意向に合わない
芸術家の作品を集めて退廃芸術展を開き、
「独国民にふさわしくない作品だ」として
さらしものにした。一九五〇年代に
レッド・パージ(赤狩り)があった米国では、
政府にとって好ましくない価値観を持つ人の名が
集会で取り上げられた。
対象となったのは報道メディアや映画人だった。

 卒業式で国歌斉唱しないと述べた大学の学長が、
文部科学省から「恥ずかしいと」批判される。
政府にとって困ったことを言う報道番組は
与党議員に批判される。やりかたはソフトかもしれないが、
独や米であったことと本質は同じだ。

 国民が真に望む事柄であれば、
現憲法との同一性を破壊しない限度内で憲法を変えることは
憲法自身が認めている。しかし、その前提として、
自由な言論が保障され、ひとりひとりが
自律的な判断をできる環境にあることが必要だ。
言論の自由がない状態で投票が誘導されれば、
それは民主主義とはいえない。

 公権力は圧倒的に強い。しかし、批判が高まれば
選挙を通じて政権はひっくり返る。
これは民主主義のプロセス。時の政権が政権交代を恐れて
批判を封じるのは、自分たちが選ばれていることの
正統性を否定することになる。

 安全保障関連法の成立の仕方を
「クーデターだ」という憲法学者もいる。
立憲的・民主的なプロセスを外した「ルール破壊」が起きたと。
今の言論環境のまま改憲に進むなら、
その延長線になってしまう。
ましてや改憲議論が本格化すると、言論環境は
もっと厳しくなるだろう。
だからこそ、いま言わなければならない。

     
憲法学者 志田陽子 さん
 しだ・ようこ 1961年生まれ。
武蔵野芸術大教授(法学)
表現の自由や著作権法を中心に、法の問題を研究。
   ------------------------------
以上、今朝の新聞記事からです
戦後70年を過ぎ、あれだけ戦争を拒否していた日本が
そして、言論の自由はもはや当たり前のものと
なっていたはずなのに、あれよと言う間に、
言論統制の話が出てくることに
まるで夢を見ているような気がします
これが民主主義国家ですかね?
現憲法はアメリカからの押し付けで、
日本が作ったものではないから改憲しようって?
日本が作ったらどんな憲法になっていたのですかね?

安倍総理は、自身が敬愛する祖父の
岸首相でも言わなかったようなことを平然と言う
もう、無茶苦茶でんがな、という気しかしません
安倍首相は「独裁者」の姿勢です
日本には民主主義は根付かないのかもしれない

日本人の体質そのものが、軍隊主義なのではないかとさえ思います
柔道界・相撲界等のあらゆる体罰、暴力体質
部活による教師からの殴打に起因する生徒の自殺
自衛隊内での虐め自殺、
その他もろもろの体罰主義、これらは
軍隊におけるそれと性質は同じです
だから、安倍首相の独裁感覚にも緩いのではないのかと思います
国民の中に、そういうものがある限り民主主義は根付かない
日本人って、そういう民族なのでしょうか?
コメント (8)
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「洗濯物をたたむほどのことに人生はあるか」和田重良

2016-04-14 13:14:51 | 異議あり
〈 今週のことば 〉  

「洗濯物をたたむほどのことに人生はあるか」
    (詩人 ・ 山尾三省)

  2015年12月26日(土)東京新聞  和田重良 

 掃除や炊事、食後の後片付けなどの「生活」を
子どもたちと一つ一つていねいにしてゆくことを
「せいかつぎょう」と位置付けて、
そこに向き合うことを「行」としてきました。
 しかし、子どもたちのシャツやパンツ、
家内や自分の洗濯物を取り込んで「たたむ」となると
多少の惨めさや気恥ずかしさがわいてくるものです。
冬の日が山にすっかり入ってしまえば寂しさもあって
「こんなこと、いい大人がすることか」
と感じていたころにこの詩に出会ったのです。
 「そうか、洗濯物をたたむという人生があるのだ」
と知ってみたら、冬の陽光をたっぷりと吸い込んだ
子どもたちのシャツやパンツがとてもありがたい存在で、
一枚一枚たたんで仕舞うことが
「行」の根本だと納得しました。
以来「せいかつぎょう」の本質は
「人生が浮つかないためのものだ」と知ったのです。

   和田重良 (NPO法人くだかけ会代表)
----------------------------------------
以上、新聞からの引用です

うーーーーーん、とこの記事を読んで
何かの違和感を感じた私でした

まず、この詩を書いた人は男であるということ
そして、その言葉を「今週のことば」として取り上げ、
そこから得たものとして書いている筆者も
男だということ

まず、です
このことばの言っている意味って何だ?ということ
そうしたら、元の詩を見つけました
以下に引用します

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
洗濯物 山尾三省

    洗濯物をたたむほどのことに
    人生はあるか
    三年間かけて
    そんなことを考えていた


    この頃は
    もう考えない
    夕方
    よく乾いた洗濯物を取り入れ
    まだ陽の匂いの残るそれらを 正座して
    一枚一枚
    なるべく丁寧にたたんでゆく


    その日
    その秋(とき)の私の人生が一枚一枚たたまれて
    さわさわとそこに重ねられて


    山にはもう
    十三夜の月が出ているのだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
元の詩を書いた人(山尾三省)その感想を書いた人(和田重良)
どちらも洗濯物をたたむという行為をする故に
その思うところを書いています

で?
「洗濯物をたたむほどのこと」って、どういう意味でしょうか?
それが「惨めで気恥ずかしい」又
「物思うこと」を要することなのでしょうか?
そこに「こんなこといい大人のすることか」とか
「人生」とかいうことばが出てくることの「不快さ」です

はっきり言わせていただきます
「おんどりゃー、お前ら女をどこまで馬鹿にすれば気が済むのだ!!」

「いい大人のすることか」ですか
和田重良という人は、親の代からの教育者なんだそうです
へ~~~~~~~???

毎日のように洗濯物をたたんでいる女は
「いい大人のすること」ではない「惨めで気恥ずかしい」ことを
ずっとずっとやっている、やらされている?           
     
取り敢えず、ここまでにします
又続きを書くかもしれません
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乃木神社 枝垂れ桜 と 漱石

2016-04-07 15:15:27 | 


先週の日曜日に乃木神社の枝垂れ桜を見に行きました
寒い日が続いたため、まだまだ咲き始めで満開ではありませんでした
境内では骨董市が開かれていましたが、
特に買いたいようなものはなかったです
結構人が出ていました

その後、近くに修道院があったので寄りました

庭に色々な花が咲いていましたが、かわいいこのピンクの花は
何の花かわかりません
春は名のみの・・今日も肌寒いです
修道院には小さなマリア像がありました

乃木神社には「宝物殿」という部屋があって
中には乃木さんの産着も飾られていました
自害した刀と、奥様が自害された短刀と
何とも言えない気分です・・
明治天皇が亡くなられて、その葬儀の日ですか
自害されたのは

そう言えば、夏目漱石の「こころ」の先生も
明治天皇に準じて自殺したのでしたっけ?
ウィキペディアにこう記載されていました
「漱石が乃木希典の殉死に影響を受け執筆した作品である。」

「こころ」については色々な思いがあります
Kの自殺について、心やましい思いを抱かない人間がいるでしょうか?
少なくとも私はそうです
永遠に解決しない問題のような気がします
開き直りさえしたら楽になるのでしょうが・・
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「平和の俳句」 まとめてご紹介 3月26日~3月31日

2016-04-04 13:10:02 | 平和について
「平和の俳句一覧」 中日新聞からです



~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月26日

今現(げん)に九条貫く天皇あり


 斎藤信子(66) 横浜市中区

 <金子兜太>潔い句だ。作者の気持ちの込め方も、その対象の天皇のお姿も言動も、まことに潔い。今次大戦を深く悔いて、平和を願う天皇皇后。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月27日

我々は丸裸だった過去がある

 稲本八重子(80) 愛知県江南市

 <金子兜太>作者は「戦争と伊セ湾台風でございます」と添え書き。諧謔(かいぎゃく)の味。
 <いとうせいこう>八十歳女性の、骨太な一句。その過去を忘れることなかれとの強い言葉だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
     3月28日

下萌(したもえ)がもちあげている平和です


 進藤ユミコ(67) 埼玉県狭山市

 <いとうせいこう>凍(い)てついた土を盛り上げて、春を示すのは下から下から生え出(い)ずる小さな草の力。平和はひとにぎりの人々が作るものではない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月29日

日の丸の和を的とする弓始め


松上(まつうえ)孝(75) 三重県亀山市

 <金子兜太>日の丸の和を的とは含蓄あり。元日、和を狙って始まる。
 <黛まどか>寒気の中、日の丸と弦音が印象的で、作者の平和への覚悟が窺(うかが)える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
    3月30日

戦後という時いとおしむいとおしむ


 手塚立夫(たつお)(69) 千葉県八街(やちまた)市

 <いとうせいこう>何度もなでさするように、この時を大切にする。壊されぬように。
 <金子兜太>戦後七十一年。平和の恩寵(おんちょう)を山と頂いてきた。二度と戦争なぞあるな。
~~~~~~~~~~~~~~~~
    3月31日

学童の疎開の空にさくら咲き


 林美佐保(みさほ)(82) 東京都大田区

 <黛まどか>親から離れ学童疎開でやってきた地にも春が来た。空を埋めるように咲き始めた桜は、子供たちの寂しい心を埋めてくれたに違いない。
--------------------------------------------------------
又まとめて掲載しました

一番上の句ですが、選者の金子兜太さんの言葉
「悔いて」について・・
--------------------------
今現(げん)に九条貫く天皇あり

 <金子兜太>潔い句だ。作者の気持ちの込め方も、その対象の天皇のお姿も言動も、まことに潔い。今次大戦を深く悔いて、平和を願う天皇皇后。
--------------------------
昭和天皇の政治責任について、私は書いた事があります

金子兜太さんの言葉が何を意味するのかは
正確にはわからないのですが、「悔いる」という意味は何なのか?
始めたくはなかった戦争を、軍部が始めた
ネットやテレビなどから得た色々な話によると
軍人の中にも、又天皇をはじめとする様々な人々の
努力にも拘らず、戦争へと走っていく力を止める事が出来なかった
そして、それらの背景には「騙されて」「扇動された」
多くの一般の人達の後押しの感情があった

天皇陛下は「立憲君主」であって、「専制君主」ではない
そう聞きました
私は色々な知識はないままに、わかることとして
天皇の名の下に戦争を始め、天皇を利用して
国民に戦争の正義を謳った者達がいる、そう思っています
「物言えぬ天皇」という立場
しかも、国民の天皇に対する気持ちを利用して
戦争を正義にした者達の、天皇は犠牲者だと思えます

ですので、天皇が「悔いる」という意味がわかりません
最初から戦争を反対し、戦争にならないよう願った天皇が
何を悔いるかと言ったら「戦争を止められなかった」ことしかありません
ですが、軍部の暴走を誰が止められたのでしょうか?
軍部の中でさえ、戦争を止めようと努力した人達が多くいたそうです
ある意味、日本人も怖い人種だと思っています

隣国の韓国や中国は、今も尚
そういう日本を恐れているとの話も聞きます
確かに・・神風特攻隊の精神は怖いです
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「平和の俳句」 まとめてご紹介です

2016-04-01 16:12:01 | 平和について
「平和の俳句」を毎日書くことができませんでしたので
まとめて掲載させていただきます 
   
    

「平和の俳句一覧」 中日新聞からです
↑の各々の俳句をクリックすると、選者の評と共に出てきます
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月20日

置炬燵(おきごたつ)戦死の父の額の下


  高橋弘光(77) 川崎市

 <黛まどか>戦死した父の記憶は朧(おぼろ)げだが、 
       家族が集う居間でいつも遺影が見守ってくれている。
       炬燵を囲む家族が増える幸せを感謝する作者。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月21日

戦よあるな空地(あきち)に土手につくしんぼ


  高橋政雄(68) 埼玉県川口市

 <金子兜太>平和だからこそ春の大地に土筆(つくし)が生える。
       土筆よ平和よありがとう。
 <黛まどか>いざ戦になれば、空地も土手も焦土と化す。
       「つくしんぼ」は平和の象徴。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月22日

蚤(のみ)を取る猿はゆっくり平和なり


奥山和子(61) 三重県大紀町

 <金子兜太>  「ゆっくり」なものなり「平和」は。国会審議を焦るときは危ない。
 <いとうせいこう>それはコミュニケーションである。親子の兄弟の夫婦の。その時間。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月23日
壕(ごう)を出てこの世のあくび草いきれ


  広瀬昭和(のりかず)(76) 愛知県みよし市

 <いとうせいこう>蛙(かえる)も蛇もあるいは私たちも、こうして平和を謳歌(おうか)したいのだ。
 <黛まどか>無事壕を出た作者を抱き留めたのは草いきれ。命の実感。
 <金子兜太>戦争のときの防空壕の暑苦しさ辛(つら)さ。二度とあんな思いはしたくない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
     3月24日

ひとひらの平和の俳句花吹雪


 新倉(にいくら)泰雄(64) 神奈川県横須賀市

 <黛まどか>平和を讃(たた)える一句一句はやがて美しい花吹雪に。本企画への挨拶(あいさつ)句。
 <金子兜太>「ひとひら」から「花吹雪」へと詠んだ例はあるが、
       この句は時代状況に反応し、成功している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
     3月25日

愛した人の幻を見たデモの列


  田中絢子(あやこ)(75) 愛知県春日井市

 <いとうせいこう>かつての誰かか、今の子供だろうか。目指す未来の中におぼろに。
 <金子兜太>平和を願うデモにいて、六〇年安保闘争で一緒の愛人を思う。平和よ。
   
--------------------------------------------------
3月25日までの分を掲載しました
色々な視点からの平和への思い
立場や年齢や環境など、様々な違いが出ていて興味深く思われます
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