テレビを大きなのに替えたせいでか、
あるいはその為だけではないのかわかりませんが
テレビを見ていると、そのアップの多用にウンザリさせられる
これでもか、これでもか、とアップを写され
見ているこっちは頭がクラクラする
日常では、ものを見るのには、そこそこの距離から見る
よほど何かの理由がない限り、そばに寄っては見ない
ところが、テレビは違う
料理番組から、顔から、ドアップを平然と繰り返し
心穏やかにはものを見ることが出来ない
大体料理を見るのに、
まるで対象物に目をくっつけたかのような距離から見るだろうか?
それをカメラだからと言って、周辺のものを全て排除して
対象物だけをドデカイ大きさで見せられることの苦痛
このことについて、誰か何か書いてないかと
「テレビ アップの多用」で検索してみたら
ありました、記述が
その一部を抜粋しここに貼ります
その題名は「テレビ局が作る不自然な映像」
----------------------------------------------------------
[事例2]:「寄り」が多すぎる絵作り
テレビ番組で特徴的な絵作りの一つに「寄り(アップ)の絵が多い」ことがある。
人物の表情のアップ、物品のアップ、場所の一部分のアップ、等々、
とにかく被写体に寄りまくってアップで撮影することに固執している。
その結果、ほとんどアップの場面が連続するシーンが多くなる傾向にある。
これもまた視聴者側からはストレスになる。
視る側からすればアップよりもまずその場の全体を映してほしいと思うものだ。
状況把握にはまず全体像、だからだ。
しかしテレビ屋はアップで撮影し、一部分しか見せようとしない。
そもそもテレビ局は視聴者を馬鹿と規定して、
そこから発想する番組作りをしている。
映像のカメラワークにもその思想は反映されているのだ。
アップが多用されるのは視聴者に考える隙を与えず、
常に「これを見せたい」ことがはっきり伝わるからである。
視聴者の程度が低い事を前提とした考え方である。
また、テレビ屋がアップにこだわるのは歴史的な経緯もある。
昔はアナログNTSC(アナログテレビ放送の規格名であり、
画質はSD放送と同じ。画角4:3)だったので
現在(HD放送)と比較すると解像度が低く(画素数が少ない、と同義)、
アップで撮影しないと何を映しているかわかりにくかった、という事情がある。
特に昔は受像機はすべてブラウン管という真空管の一種を使っており、
それに映像を映し出していたので、いわゆる大画面テレビが作りにくかった。
(37インチのブラウン管もあったが、滅茶苦茶重かった)
一般家庭で普及していた最も多いサイズは14~16インチ程度であろう。
この時代のラーメン屋に置かれていたテレビも14インチが多く、
客はその小さな画面で番組を見ながらラーメンを食べていたものだ。
そんな小さいサイズで視聴する事を前提とすれば、
たしかに引きで全体を映しても何を見せたいのか伝わりにくかったであろう。
いきおい、寄り(アップ)の映像が多用されるようになったのは必然と言える。
しかし現在はデジタルハイビジョン放送(HD放送。画角16:9)の時代である。
SD放送に比べれば情報量は飛躍的に多くなり、
引き(広角)で撮っても充分な情報量が確保されるようになったし、
逆に引きの絵(広角映像)の美しさがアピールできる時代になったのだ。
そのような放送インフラが画期的に変化した時代に、
未だに旧態依然のアナクロな撮り方をしているのが現在のテレビ屋なのだ。
テレビ屋は、地デジ(HD放送)の時代になっても頭の中はNTSC
(SD放送)のままで進化していないのであろう。
HDを生かした絵作りがきちんとできなければおよそプロとは言えない。
せっかくの16:9の広い画角と緻密な解像度を生かした映像を創ってもらいたいものである。
--------------中略----------------------------
これらは「テレビ屋のおかしな映像」「おかしな操作」のほんの一例にすぎない。
ここから見えてくるのは演出者もカメラマンもその他の現場スタッフも含めて「感性が貧弱」であることだ。
感性を磨き続けている人間なら絶対にこうはしないだろう、という悪い例をテレビ屋は作り続ける。それは既に致命的なレベルに達している。
以前から書いているテレビ業界の質の劣化は
こうした制作に携わる人間の仕事にも現れているのである。
下衆を極めた鬼畜外道な連中だ。
テレビは終わっている。
---------------------------------------------------
以上が引用ですが、
やはり、この方が書いているようにテレビのサイズが変わって
画面が大きくなった事も一因にはなっているようです
あのドデカイテレビ画面にドアップの連続をされると
目がチカチカしてくるような気さえします
頭の中で画像がまとまらなくなるのです
失礼な写し方だとずっと思っていましたが
そして、カメラマンがバカなのか感性が鈍いのかと思っていましたが
どうやらそのようらしいですね
そういう画面の連続に出会った時は、もうチャンネルを替えます
とてもではないですが、お付き合い出来かねます
話題がそれますが、CMはうるさいばかりのふざけた映像ばかり
昔はCMが楽しみでもあった時代もありました
CMで笑えた時代はかなり遠くなり
今はCMを見る度にその騒々しさとふざけた作りと
自分だけを見せたいお馬鹿な若い女の(子の)映像ばかりで
もう結構です、とテレビ離れは当然の話だと思います
番組の宣伝の為に女優や男優を交えさせ
公も私もグチャグチャ
節操のない世の中になってますが、
これが当たり前と思っている世代は
楽しいものを少し見知る事が出来な難い時代にいるのだろう、と
それで、ハロウィンの「仮装大会」のようなものに
走るのではないかと思うのですが
あるいはその為だけではないのかわかりませんが
テレビを見ていると、そのアップの多用にウンザリさせられる
これでもか、これでもか、とアップを写され
見ているこっちは頭がクラクラする
日常では、ものを見るのには、そこそこの距離から見る
よほど何かの理由がない限り、そばに寄っては見ない
ところが、テレビは違う
料理番組から、顔から、ドアップを平然と繰り返し
心穏やかにはものを見ることが出来ない
大体料理を見るのに、
まるで対象物に目をくっつけたかのような距離から見るだろうか?
それをカメラだからと言って、周辺のものを全て排除して
対象物だけをドデカイ大きさで見せられることの苦痛
このことについて、誰か何か書いてないかと
「テレビ アップの多用」で検索してみたら
ありました、記述が
その一部を抜粋しここに貼ります
その題名は「テレビ局が作る不自然な映像」
----------------------------------------------------------
[事例2]:「寄り」が多すぎる絵作り
テレビ番組で特徴的な絵作りの一つに「寄り(アップ)の絵が多い」ことがある。
人物の表情のアップ、物品のアップ、場所の一部分のアップ、等々、
とにかく被写体に寄りまくってアップで撮影することに固執している。
その結果、ほとんどアップの場面が連続するシーンが多くなる傾向にある。
これもまた視聴者側からはストレスになる。
視る側からすればアップよりもまずその場の全体を映してほしいと思うものだ。
状況把握にはまず全体像、だからだ。
しかしテレビ屋はアップで撮影し、一部分しか見せようとしない。
そもそもテレビ局は視聴者を馬鹿と規定して、
そこから発想する番組作りをしている。
映像のカメラワークにもその思想は反映されているのだ。
アップが多用されるのは視聴者に考える隙を与えず、
常に「これを見せたい」ことがはっきり伝わるからである。
視聴者の程度が低い事を前提とした考え方である。
また、テレビ屋がアップにこだわるのは歴史的な経緯もある。
昔はアナログNTSC(アナログテレビ放送の規格名であり、
画質はSD放送と同じ。画角4:3)だったので
現在(HD放送)と比較すると解像度が低く(画素数が少ない、と同義)、
アップで撮影しないと何を映しているかわかりにくかった、という事情がある。
特に昔は受像機はすべてブラウン管という真空管の一種を使っており、
それに映像を映し出していたので、いわゆる大画面テレビが作りにくかった。
(37インチのブラウン管もあったが、滅茶苦茶重かった)
一般家庭で普及していた最も多いサイズは14~16インチ程度であろう。
この時代のラーメン屋に置かれていたテレビも14インチが多く、
客はその小さな画面で番組を見ながらラーメンを食べていたものだ。
そんな小さいサイズで視聴する事を前提とすれば、
たしかに引きで全体を映しても何を見せたいのか伝わりにくかったであろう。
いきおい、寄り(アップ)の映像が多用されるようになったのは必然と言える。
しかし現在はデジタルハイビジョン放送(HD放送。画角16:9)の時代である。
SD放送に比べれば情報量は飛躍的に多くなり、
引き(広角)で撮っても充分な情報量が確保されるようになったし、
逆に引きの絵(広角映像)の美しさがアピールできる時代になったのだ。
そのような放送インフラが画期的に変化した時代に、
未だに旧態依然のアナクロな撮り方をしているのが現在のテレビ屋なのだ。
テレビ屋は、地デジ(HD放送)の時代になっても頭の中はNTSC
(SD放送)のままで進化していないのであろう。
HDを生かした絵作りがきちんとできなければおよそプロとは言えない。
せっかくの16:9の広い画角と緻密な解像度を生かした映像を創ってもらいたいものである。
--------------中略----------------------------
これらは「テレビ屋のおかしな映像」「おかしな操作」のほんの一例にすぎない。
ここから見えてくるのは演出者もカメラマンもその他の現場スタッフも含めて「感性が貧弱」であることだ。
感性を磨き続けている人間なら絶対にこうはしないだろう、という悪い例をテレビ屋は作り続ける。それは既に致命的なレベルに達している。
以前から書いているテレビ業界の質の劣化は
こうした制作に携わる人間の仕事にも現れているのである。
下衆を極めた鬼畜外道な連中だ。
テレビは終わっている。
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以上が引用ですが、
やはり、この方が書いているようにテレビのサイズが変わって
画面が大きくなった事も一因にはなっているようです
あのドデカイテレビ画面にドアップの連続をされると
目がチカチカしてくるような気さえします
頭の中で画像がまとまらなくなるのです
失礼な写し方だとずっと思っていましたが
そして、カメラマンがバカなのか感性が鈍いのかと思っていましたが
どうやらそのようらしいですね
そういう画面の連続に出会った時は、もうチャンネルを替えます
とてもではないですが、お付き合い出来かねます
話題がそれますが、CMはうるさいばかりのふざけた映像ばかり
昔はCMが楽しみでもあった時代もありました
CMで笑えた時代はかなり遠くなり
今はCMを見る度にその騒々しさとふざけた作りと
自分だけを見せたいお馬鹿な若い女の(子の)映像ばかりで
もう結構です、とテレビ離れは当然の話だと思います
番組の宣伝の為に女優や男優を交えさせ
公も私もグチャグチャ
節操のない世の中になってますが、
これが当たり前と思っている世代は
楽しいものを少し見知る事が出来な難い時代にいるのだろう、と
それで、ハロウィンの「仮装大会」のようなものに
走るのではないかと思うのですが