安藤裕子 / はじまりの唄
NHKステージ101最終回―涙をこえて
ステージ101、好きという訳ではなかったけれど割とみていたぞ。
あ、太田裕美だ、・・・・・それに谷山浩子って・・・。
知らなかった。
石川セリ・・あて名のない手紙
Czecho No Republic - Hi Ho (Lylic Video)
☆昔書いたやつです。(*´з`)
1980の年、私は大学生になった。
大学生になってみたものの、これといった目標もなく、友人も作るつもりもなかった
人間不信に陥っていた。だからこれからの4年間、誰にも知られずひっそりと過ごそうと決めていた。
ただ、その当時私は学生寮といってもおかしくないような共同アパートに住んでいたので、私の思惑とは裏腹に全ての人間関係をシャットアウトするには至らなかった。
最初の1か月はアパートの住民と一緒に夕食をつくったりした。
酒をのんだり、お互いの部屋を行き来もした。
はたから見ると充実した人間関係を築いていたように見えたろう。
しかし最初こそそうであったが、私の人間嫌いのむんむんする匂いがいつしか住民を遠ざけたのだろうか、次第に私を誘うものはいなくなり、そして私はまた一人になった。
まあ、これでよかったと私はほっとし、一人の時間を楽しむことにした。
一人で酒を飲み、一人で夕飯をとった。
余った時間は読書の時間にあてた。
一人でいることに何の不都合も感じていなかった。
そんな状況下、ある日突然、人の訪れることのなくなった私の部屋のドアをノックしてくる者がいた。
二階に住んでいたハニ君だ。
ハニ君は私の顔を見るなり、一言こういった。
「ロックは好きかい」
私は目を丸くした。
そんな私の様子に悪びれもせず、彼は勝手にしゃべりはじめた。
「なんかさあ、お前影があるからきっとロックが好きなんだと思ったんだ。ほら、やっぱロックって反体制だろ、やっぱりさあロックはお前みたいな奴を呼び寄せるのよ。おれ、ローリング・ストーンズが好きなのよ、お前はちょっと偏屈そうだからキンクス辺りかな、キンクス知ってる?”you really got me "、知ってるだろ?」
「・・・・・」
「これさあ、お前ロックが好きならきっと読みたいと思ってさあ、持ってきたのよ、置いていくから読みな」
「・・・・・・ありがとう」
「じゃあな」
言いたいことだけ言うとハニ君はさっさと自分の部屋へ帰って行った。
彼が置いていったのは、当時ロック青年のバイブルと言われた「ロッキング・オン」という月刊雑誌だった。
私はその雑誌のページを繰ってみた。
途中で目に止まったのはストーンズの記事・・・。
私はその記事を夢中になって読んだ。
そして、恥ずかしながら涙がこぼれたのだった。
本当は一人が好きではないということに気付いた瞬間だった。
衝撃的なハニ君との出会いによって私のその後の大学生活はハニ君一色になってしまった。
部屋を行き来してはロック論を交わしたりした。
一緒にライブに行ったりもした。
時には池袋あたりで酒を一緒に飲んだりした。
彼が、3年になり居を移しても(彼は学年が一つ上だったのだ)その関係は崩れることはなかった。
3年間、ほぼ毎日彼の顔を見ない日はなかったと言えばいいすぎかな。
今そのことを思い出すと、ハニ君との出会いは本当に当時の自分にとって偶然ではなく必然的なことだったと思う。
卒業してから彼は地元鹿児島に戻っていき、その後結婚式に招待された以外は会ってはいない。
年賀状を毎年取り交わすことしかない状況ではあるが、最近とみに彼に会いたくてしようがない。
いつかまた鹿児島に行き、彼に会ったら私は彼にこういうのだ。
「今でもロックは好きかい」
NHKステージ101最終回―涙をこえて
ステージ101、好きという訳ではなかったけれど割とみていたぞ。
あ、太田裕美だ、・・・・・それに谷山浩子って・・・。
知らなかった。
石川セリ・・あて名のない手紙
Czecho No Republic - Hi Ho (Lylic Video)
☆昔書いたやつです。(*´з`)
1980の年、私は大学生になった。
大学生になってみたものの、これといった目標もなく、友人も作るつもりもなかった
人間不信に陥っていた。だからこれからの4年間、誰にも知られずひっそりと過ごそうと決めていた。
ただ、その当時私は学生寮といってもおかしくないような共同アパートに住んでいたので、私の思惑とは裏腹に全ての人間関係をシャットアウトするには至らなかった。
最初の1か月はアパートの住民と一緒に夕食をつくったりした。
酒をのんだり、お互いの部屋を行き来もした。
はたから見ると充実した人間関係を築いていたように見えたろう。
しかし最初こそそうであったが、私の人間嫌いのむんむんする匂いがいつしか住民を遠ざけたのだろうか、次第に私を誘うものはいなくなり、そして私はまた一人になった。
まあ、これでよかったと私はほっとし、一人の時間を楽しむことにした。
一人で酒を飲み、一人で夕飯をとった。
余った時間は読書の時間にあてた。
一人でいることに何の不都合も感じていなかった。
そんな状況下、ある日突然、人の訪れることのなくなった私の部屋のドアをノックしてくる者がいた。
二階に住んでいたハニ君だ。
ハニ君は私の顔を見るなり、一言こういった。
「ロックは好きかい」
私は目を丸くした。
そんな私の様子に悪びれもせず、彼は勝手にしゃべりはじめた。
「なんかさあ、お前影があるからきっとロックが好きなんだと思ったんだ。ほら、やっぱロックって反体制だろ、やっぱりさあロックはお前みたいな奴を呼び寄せるのよ。おれ、ローリング・ストーンズが好きなのよ、お前はちょっと偏屈そうだからキンクス辺りかな、キンクス知ってる?”you really got me "、知ってるだろ?」
「・・・・・」
「これさあ、お前ロックが好きならきっと読みたいと思ってさあ、持ってきたのよ、置いていくから読みな」
「・・・・・・ありがとう」
「じゃあな」
言いたいことだけ言うとハニ君はさっさと自分の部屋へ帰って行った。
彼が置いていったのは、当時ロック青年のバイブルと言われた「ロッキング・オン」という月刊雑誌だった。
私はその雑誌のページを繰ってみた。
途中で目に止まったのはストーンズの記事・・・。
私はその記事を夢中になって読んだ。
そして、恥ずかしながら涙がこぼれたのだった。
本当は一人が好きではないということに気付いた瞬間だった。
衝撃的なハニ君との出会いによって私のその後の大学生活はハニ君一色になってしまった。
部屋を行き来してはロック論を交わしたりした。
一緒にライブに行ったりもした。
時には池袋あたりで酒を一緒に飲んだりした。
彼が、3年になり居を移しても(彼は学年が一つ上だったのだ)その関係は崩れることはなかった。
3年間、ほぼ毎日彼の顔を見ない日はなかったと言えばいいすぎかな。
今そのことを思い出すと、ハニ君との出会いは本当に当時の自分にとって偶然ではなく必然的なことだったと思う。
卒業してから彼は地元鹿児島に戻っていき、その後結婚式に招待された以外は会ってはいない。
年賀状を毎年取り交わすことしかない状況ではあるが、最近とみに彼に会いたくてしようがない。
いつかまた鹿児島に行き、彼に会ったら私は彼にこういうのだ。
「今でもロックは好きかい」