からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

杏子屋娘

2020-02-03 | 音楽
杏子屋娘   南壽あさ子






to U Salyu



Nico "Femme Fatale"




戦争と「男女差別」みたいな傾向のものは下手をすれば自分の中の考えにおいてバランスを崩すことになり得る可能性があるので、あまり読まないし避ける傾向にある私だけれど、これは読むべきだと思った。漫画でもいいし、原作の著書でもいい。読もうと思う。
                     ☟
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/wars-unwomanly-face?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter

この女性ジャーナリストの本は、「その苛烈な内容から「祖国を中傷している」「表に出すべきものではない」と大きな非難を受け、何度も出版を拒まれた。祖国ベラルーシでは、長い間出版禁止にされてきた問題作だ」という。

それを聞いてそういえば日本でもここ数年そのように批判された、いや、中傷された「もの・こと」がいくつかあったような気がする。

それは優れた「もの・こと」であるはずなのに何故中傷されなければならないのか不思議に思った。

この本を読めば少しでもその理由の一端が判るかもしれない。
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anamu&maki (アナム&マキ) - 無口な夜 (silent night)

2020-02-03 | 音楽
anamu&maki (アナム&マキ) - 無口な夜 (silent night)



石川ひとみ 南こうせつ 伊勢正三 なごり雪



至上のパパ  鹿の一族



Elliott Smith : Angeles, (Paranoid Park, 2007)



七日の席に呼ばれた。

喪主が挨拶をした。

あれ?手に持った原稿に目を落としたままの故人をしのぶ言葉・・・。

そう言えばここ数年そういうのが目立つ、結婚式の挨拶もみんな原稿を手に持って読んでいるという傾向があるような。

6年前、父の七日のときには前の日に挨拶の言葉を必死に憶えた。当日は原稿など持たない。

何故かというと、親戚・知人・友人の前に出て話をするということは、一種の社会人としての試験のようなものだからだ。

要するに、その話す様子を見て皆は「立派になって」とか「さすが○○に勤務している部長さんだ」とか判断するわけである。

勿論、そういったことだけではないけれど、ともかく原稿を持つということはそれだけで印象が悪いといったところがあった。

どうして許されるようになったのだろうか・・・。

それとも過去のそれらはうちの地方だけの暗黙のルールだったのか?


あー、そういえば我が国の「あの人」はいつも発言するとき原稿を読むだけだなぁ、と気が付いた。

しかも、漢字の読み方も度々間違える。

もしかしてその影響?

・・・・いや、そんなことないか。



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