昨年の暮れ、「絆」という字で示されたように、震災により
被災された方々への支援、助け合いが広がり、人の心の
温かさ、気遣い、思い遣り、人と人との繋がりというものに
痛感させられた。
日常の中にも、当たり前のように気遣い、思い遣りが溢れ
れば、もっともっと皆が幸せになれると思うのだけれど、そう
いう事に気付かないのか、或いは、自分さえ良ければいいと
いう自分中心の振る舞いなのか、そういう事が目について
仕方がない。
電車の中で、もう少しどちらかに詰めて座ってやれば、もう
一人座ることが出来るのにと思う事がよくある。
また、右折する車は、もう少し中央に寄って右折を待って
やれば、後続の直進車が通り抜けることが出来るのにと
思う事もよくある。
地下道で、傘を手に持ち、腕の動きに任せて、大きく振っ
て歩いている人をよく見掛ける。
また、傘を脇に抱えたままエスカレーターに乗り、後ろの
人の目の前に傘の先が向いているというのも、よく見掛
けるが、どちらも他人に迷惑を掛ける行為であり、何より
危険極まりない。
道路の分離帯に、空き缶、ゴミ袋等が捨てられている
光景もよく目にする。自分の車の中は綺麗になって満足
なのかもしれないが、捨てられた空き缶、ゴミ袋等を拾う
人がいることに気付いてほしいものだ。
一部の人が、ちょっとした気遣い、思いやりというものに
気付いてくれさえすれば、「絆」が広がり、もっともっと
皆が幸せになれることを確信して止まない。