田舎の道草

田舎の道草徒然日記

シマウマに隠された思い遣り

2020-11-29 | 日記
ついこの間まで、歩くのに日蔭にしようか
日向にしようかと迷っていたものだが
今は、日蔭には目もくれず、小春日和には
日向を探し好んで歩くそんな季節になった

街路樹の枝先の葉が、懸命にしがみ付くも
北風はそれを舞い散らす。
ああ無情なれど、散った葉は、落ち葉達に
迎え入れられ、一緒に「カサカサ」と音を
立てて踊りだす。とても楽しそうだ。

今年ももう残すところ1か月となった。
歳のせいか、この、時の流れが早い、実に
早く感じられる。何でだべ。

作詞 秋元 康氏の「川の流れのように」の
「おだやかに この身をまかせていたい」の
歌詞が妙に心にしみる。

一滴から始まり激流を下り大海に注ぐ川に
人生を重ね、例えることが多い。
とすれば、歳を重ねてきた今、おだやかに
流れる下流あたりだろうに、時の流れが
それを阻む。
おだやかにこの身をまかせてみたいものだ

LINEを見ていた母ちゃん、突如大笑いをし
ボッチの肩を何度も叩きながら笑った。
「ヤ~ダ~わだス、『〇〇しました』を
『〇〇しましま』って書いて送ったみたい」
ダド。

これに返信した息子のLINEには、シマウマ
のスタンプのみ。
母ちゃんこのシマウマのスタンプの意味が
暫らく解らずにいたが「〇〇しましま」の
誤字を気付かせてくれたようだ。
大笑いは、誤字を送ったことの苦笑とシマ
ウマの意味が理解出来たことへの満足感が
複雑に入り混じった、そんな笑いだった。

それにしても、誤字を直接指摘せず、シマ
ウマにする息子、その慈愛にも似た思いやり
に息子を誇りに思った瞬間だった

ボッチはと入歯(言えば)「〇〇しましま」
にも気付くことなく、シマウマを見た時、
今日の競馬ジャパンカップ頑張るぞと意気
込んでしまった。 「シマッタ~!!」

馬の数え方は、一頭、二頭、三頭に非ず
正しくは一着、二着、三着。
「ここは誰、ボッチは何処 どんだケー」
状態なれど、こうなったらジャパンカップ
頑張るぞ~!!



川の流れのように(川流不息):鄧麗君 テレサ・テン (歌詞中譯│對應曲:雙手的溫柔-江美琪)


「愛しき日々」堀内孝雄

ボッチは「老いてきたのではない子供に戻っているのだ」

2020-11-22 | 日記
この歳になると、「老いているのではない子供に戻っている」
という言葉が妙に気になり出してくる。
子供の頃の出来事がやけに想い出されてくるのも
これも子供に戻り始めて来たことへの証となるのだろうか。

子供の頃、炬燵に入り、背に親の温もりを感じながら
手袋で指人形を作ってもらい、遊んだことを想い出した。
その人形は、毛糸の手袋で出来ていて、手袋のどの指だったかを結び
手首の部分を折り返してかぶせ帽子としていた。
そんな指人形を2本の指で操って遊び、人形との会話は
子供心におおいに盛り上がっていたことを想い出す。

「てぶくろ」の反対は何~だ、と親に問い
「ろ・く・ぶ・て」の返事に、6回肩を叩いてやり
小さな親孝行と得意気になって繰り返したことも想い出す。

YouTubeの動画で指人形の作り方を確認することが出来た。
他にもいろいろな指人形の作り方が載っていた。
子供の頃に、これらの指人形で遊ぶことが出来たのなら
話題は限りなく広がりをみせていたに違いない。

実際に軍手を持ち出して指人形の作り方を真似てみた。
帽子の後ろから手袋の中指を出してみたら
髪の毛一本縛りの女性が出来た。
この指人形と大人の会話が楽しめそうな予感がするのは、
こんなボッチは、また子供にも戻りきれていない
ということになるのだべか。


手袋人形の作り方













「五本指の靴下が履きにくくなってきたな~」

2020-11-15 | 日記
朝晩の冷え込みに耐えかねてとうとう上下のヒートテックの世話になった。
それも厚手のやつで、もうこのシーズン手放せそうにもない。
秋の美味しい食べ物で食欲を満たし、肥(こえ)と共に越冬のための準備は万端整った。

5本指の靴下を履いているが、近頃、履くのに時間を要するようになった。
「靴下の5本指?」足の指で人を指さないから「指」とは言い難い。
足の「人差指」で人を指しては相手に失礼だし
足の「薬指」で薬を塗るのも難儀なことだ。
ましてや「小指」を立て、「恋人」の合図とするのもまた違和感がある。

「あなたが~噛んだ 小指が痛い
きのうの夜の 小指が痛~い
そっとくちびる~ 押しあてて~
あなたのことを しのんでみるの~
私をど~うぞ ひとりにしてね
きのうの夜の 小指が痛~い~」(伊藤ゆかり「小指の想いで」)
などは、足の指であっては決してならない。

足の指で「ジャンケン」をしたことが懐かしい。
「グー」「チョキ」「パー」いずれも技術を要する。
今は「もう秋~」もとい、もう指がつりそうで怖いもとい「もう出来ない」。

そんな訳で(そんな訳がない)足の一番目を第1趾(だいいっし)、第2趾、
第3趾、第4趾、五番目を第5趾とも呼ぶらしい。

本題の「五本指の靴下が履きにくくなってきた」の話に戻そう。
以前は、五本指の靴下に対し、5本指自らが、自らの役割として自覚し、
納まるべき靴下の指先に、我先にと納まっていたものだが
今は、5本の指先を靴下の指先の入り口のところまで、手を添えてやっても
いうことをきかない。老いてきたせいだろうか・・・。

足の指の第3趾(し)、第4趾ともなれば、靴下の指先1本に、
一緒にはいってしまうありさまで、第5趾に至っては、どうにも手が付けられない。
また、靴下の指先が空き部屋になることも、決して珍しいことではない。
更に、指先の爪が少しでも伸びていようものなら「さー大変」
引っかかって、靴下の指先との大喧嘩と相成る。

どうぞ、静かに5本指の指先に納まり越冬されますことを祈ります。
(ボッチの祈り)


「天高く腹肥ゆる秋」風速、風向き、騒音の役割

2020-11-08 | 日記
空は澄み渡り晴れ、食欲を増し腹が肥えてたくましくなる秋。
秋の好時節に相応しい言葉はないだろうかと考えてみた。
「天高く腹肥ゆる秋」なんてどうだろう。

この季節、美味しいもののひとつに芋がある。
サツマイモ、サトイモ、ジャガイモ
芋大好き人間、ボッチここに在りだ。
ただ、この美味しい芋は、腸内の栄養源となり
多量の腸内ガスを発生させる源となるから
厄介と入歯もとい言えば厄介だ。
美味しい=放屁 これは実に厄介なことである。

空が澄み渡るこの秋に放屁の話とはいかがなものかと
心の中で何度も何度も自問自答するも
他にブログ題材見つからずして止む無しと決行するに相成った。

題材が見当たらない時に、脳裏をかすめるのが何故に放屁なのかと
自分の思考の根底にあるものを思い知らされるも
得意のジャンルであることは否めない。

不潔であったりして人前で口にするのが失礼なことを尾籠(びろう)と言うらしい。
引用すれば「この度のブログは、誠に尾籠な話ですが・・」と使うのだろうか。

街を歩いていると、急に周りの様子を気にしだす人を見掛けることがある。
この行動は、その人が放屁の予感を察知した時、放屁中華もとい放屁中か
はたまた放屁後にとる行動と勝手に想像して楽しんでいる。
ボッチ自身がそういう事態の時に、必ずとる行動だからこの想像には自信がある。

周りの様子を気にすることで、風速、風向き、周りの騒音量
周囲の気配を一瞬で感じ取り、放屁の時機、周りの反応を察知する。

「放屁は、黄門もとい肛門のあくびなり」アッハッハと笑い飛ばして
周りのことは、気に掛けることなく豪快なる放屁。
そんな豪快さは皆無のボッチなれば、用意周到のボッチは
周囲の反応を気にしての行動タイプ。

風速は香りを和らげ、風向きが香りを遠ざけ、騒音が音をかき消す。
(適当な風速、風向き、騒音量は未検証なので要注意)
条件を満たせば「出るもの拒まず、去る者追わず」にて
「案ずるより産むが易し」なれば「心配ご無用」である。

空は澄み渡り晴れ、「天高く腹肥ゆる秋」に紅葉した街に出て
周りを気する人を探し、勝手に想像しみるのも楽しいものだが
肥えたお腹の腹熟(はらごな)しのために放屁して歩くのも一興か。

出掛けに忘れ物は無いかと念押され

2020-11-01 | 日記
今はもう秋、日蔭を歩くか、日向をあるくか迷いながら蛇行する。
蛇行歩きを色づき始めた街路樹が揺れながら微笑んでいるようだ。

母ちゃんが紙に書いた「入館証、メガネ、財布、スマホ、時計、ハンカチ・・・」を
目の付くところに貼って、出掛けに忘れ物は無いかと念を押す。
小学生の頃、持ち物検査だったろうかハンカチ、チリ紙を持っているかを調べられた。
毎朝、母親に念を押されていた頃と重なって懐かしく思い出される。
歳を重ねた今もなお、同じように念を押されるは、いとおかし。
人生の忘れ物はなかっただろうか。

多くの人が、常にスマホを手に見入っている。
電車の中でも、コーヒーを飲んだり食事をしている時でさえスマホを見て離さない。
この現実を捉えれば、出掛けに何かを忘れることがあったとしても
スマホだけは決して忘れ無いと断言しても過言ではないだろう。(個人の感覚)

スマホさえあれば、豊富な情報を得、「観る・買う・打つ・遊ぶ」が出来る。
支払、送金が出来てしまう便利さなどを考えればスマホを離せないのも、うなづける。

ただ、スマホの支払アプリが使えない店であわてることがある。
こんな時の対策として、スマホケースのポケットにキャッシュカードと少しの現金を
入れておくのも一つの方法かもしれない。
また、運転免許証もケースのポケットに入れておけば不携帯を防げることにもなる。
今、検討されている運転免許証のデジタル化のメリットは大きいと思う。

スマホさえ持っていれば、何処にでも出掛けられるそんな時代の到来なのだろうか。
出掛けに忘れ物は無いかと念を押されない、そんな時代がやってくるのだろうか。

誰もいない海 トワ・エ・モワ