朝早く自宅を出発して、まず向かったのが米沢。
米沢市松川河川敷で繰り広げらた川中島の合戦を
見物してきた。
本来この戦いは、信州川中島での出来事であるが、
上杉軍と武田軍との激闘ぶりが時代を越えて伝わってきた。
暑い中、桟敷席で食したカキ氷がとても美味しく感じられた。
以前、訪れた甲信越での出来事を想い出していた。
参照 ブログ「甲信越城攻めでの出来事」
いつものことだが、ナビに「自宅に帰る」と告げる時、
目的を達成した充実感と名残惜しい思いが入り混じる。
それにしても、習慣のように「自宅に帰る」とナビに
告げてしまうのは何故だろう。
米沢には3年ほど単身赴任をしていて慣れた道なのに。
朝早く自宅を出発して、まず向かったのが福島競馬場。
生まれて初めての競馬に大興奮。1Rから4Rを観戦
したが的中せず、
指定席から見る競馬は一日居ても飽きない。
昼頃、白河に向かう。
http://shirakawa315.com/sightseeing/index.html
白河の小峰城は、石垣が一部地震で崩壊したため登城
出来ず。今年12月頃修理完了予定とのこと。
小峰城は戊辰戦争時、東北を守る砦として激戦地となった
ところである。
次に、奥の細道のスタート地「白河の関跡」に向かう。
現地とその周辺を散策するが、桜が満開の時期であれば、
また違った趣であろう。
最後に、小峰城の南に位置する「南湖公園」で団子を
食し、旅の終焉である。
ナビに「自宅に帰る」と告げる時、目的を達成した充実
感と名残惜しい思いが入り混じる。
【福島競馬】
【小峰城】
【白河の関跡】
【南湖】
そこで地元の特産物を販売している店主から声を掛けられた。
「何処から来たの?」人の良さそうな話好きな店主は、気さくに、
こう話しを続けた。
若い頃、仙台で仕事をしていてトンネルや道路を造った。あの辺は
どう発展したのか、仙台はいいところだ。
酒好きなのだろう、あそこの酒は、実に美味しいと、とても懐かし
んでいた。具体的な地名、品名が次々と出てくるものだから話が
多いに盛り上がった。
気が付くと地元名産の長いもやアンズの干物、アンズのシソ巻きを
両手一杯になるほど買い込んでいた。
ゼネコン全盛期に全国を回って仕事をしていたとのことだから、
観光客に「どこから来たの」と問いかければ、ほとんどの場合、
話が盛り上がり、観光客の両手は、特産物で一杯になること
間違いない。
甲信越城攻めで唯一こちらが攻められた楽しいひと時だった。
それにしても話好きなあの店主にもう一度、逢ってみたいものだ。
あえて「攻める」という表現をすることについては、以前ブログで紹介した「名城を攻める」
を参照されたい。
今回の攻略ルートは次の通り。
甲府城→躑躅ケ崎館
【山梨県の城(http://www45.tok2.com/home/todo94/castlepage/castle-yamanashi.htm)】
高遠城→松本城(国宝)→小諸城→上田城→松代城
【長野県の城(http://www45.tok2.com/home/todo94/castlepage/castle-nagano.htm)】
春日山城→新発田城
【新潟県の城(http://www45.tok2.com/home/todo94/castlepage/castle-niigata.htm)】
甲府城祉からの眺めは、街並みと、街並みを囲むように連なる山々、そして遠くに富士山の
頭がのぞいていた。
甲府で有名な「印伝」の店を訪ねる。鹿の皮に漆を施した高価なバック、小物等が店一杯に
展示されていて暫し至福の時間を過ごす。
【印伝屋(http://www.inden-ya.co.jp/lite/products/index.html)】
高遠城は、桜の名所でもあり、桜満開の季節、大勢の人々が楽しむであろうとは容易に想像
することが出来る。
高遠城の城主保科(ほしな)は後に山形城を経て会津若松城の城主となる。保科を祖とする
城主松平が戊辰戦争での悲劇を迎えるのはNHKドラマ「八重の桜」のとおりである。
会津で有名な大根おろしで食べる「高遠そば」は、保科時代の高遠から伝わったものである。
松本城近くに宿をとる。松本での宿選びのコンセプトは「歴史的な風情と癒し」である。
宿の近くに蔵の街並みがありコンセプトに違わず風情豊かである。
【松本散策(http://sanpo.lolipop.jp/sanpo/2011/tyubu/sanpo6521.html)】
2泊目は、長野市内のホテル。そのホテルに到着するまでの道程が長かった。それもそのはず
ホテルの電話番号をカーナビに入力し目的地に向かったところ郊外のゴルフ場に到着。
途中景色がどんどん田舎の雰囲気になっていくのに、おかしいと思いながらも走り続けた結果
だった。
ゴルフ場に向かう、夕暮れの田舎の景色を眺めながら今宵の宿のコンセプトは何かと不満げに
妻に問われる。
コンセプトは「夜の賑わいと優雅なひと時」のはずなのに・・・・・?。
これで、100名城のうち33個所の城を攻めたことになるが全ての城を攻略するまでには
暫く時間がかかりそうだ。
城の縄張り(城の構え)、掘り、石垣、櫓(やぐら)、曲郭(くるわ)階段などをみると、
防御のための工夫が至るところに施されているのがよくわかる。
国宝松本城内の最上階までの階段は、急勾配で国宝ならではの城の趣がそこにある。
今回の城攻めもまた、愛馬ならぬ愛車プリウスで出陣。2泊3日の行程であった。
日程と高速料節約の観点から、真夜中自宅を出発。東北自動車道を休み休み走る。
夜が明ける頃、首都高を走行。東京単身赴任以来の首都高の走行に緊張。
ルートが右側車線から分岐する個所が多く、車両の多さとスピードの速さから分岐点を目視
してからの車線変更は極めて難しく危険。特に首都高では、カーナビが必須であり、早めの
車線変更が必要である。
次回は、四国の9城を愛車プリウスで攻略してみたい。
文化の日の朝、思い立ったように、岩手県奥州市水沢区にある
みちのく曹洞宗の古刹「奥の正法寺(しょうぼうじ)」、天台宗の
古刹「妙見山黒石寺(こくせきじ)」などを訪れた。
奥の正法寺は、かつて永平寺(福井県)、総持寺(横浜市)と
ならび奥羽の本山として栄えた寺で、1811年(江戸時代)伊達
家により再建され、現在、国指定重要文化財となっている。
http://www7.ocn.ne.jp/~shoboji/
本堂から開山堂に上る廊下は、永平寺によく似ていて、開山堂
より望む、本堂の茅葺屋根、屋根妻飾りは必見である。
茅葺屋根は日本一の大きさらしい。また、棟に伊達家の家紋、
「九曜」紋「竹に雀」紋「三引両」紋がついていて、特に色の付いた
「竹に雀」の家紋は珍しい。
黒石寺は幾多の火災で消失し、その度に再建されてきたが、
現在の黒石寺は1884年(明治17年)に再建されたものである。
本尊は薬師如来坐像(862年作)で火災の度に難を逃れ、国指
定重要文化財となって今に至っている。
黒石寺蘇民祭りが有名で、旧正月に行われる裸参りでの蘇民袋
の争奪戦は圧巻で、福島県柳津の裸参りに良く似ている。
薬師如来坐像は、国指定重要文化財となっているためか、本堂
とは別棟のコンクリートの狭い部屋に鎮座していた。火災等から
保護するためとはいえ、あまりにも寒々としていて、可哀想でな
らない。仏様ご自身が寒さに耐えるのに精一杯で、広く民の病
まで庇護するに至らないのではないかと懸念する。
住職の話によると、薬師如来坐像を3.11大地震の時、支えて
転倒を防いだとのこと。
薬師如来坐像は、約千年前の貞観地震以来、大きな地震に二
回遭遇している。今回、転倒を防止したことで私の御役目を果た
したので、千年後の大地震が発生した時どうなるか、私の責任
ではないとお話されていた。
この後の行程は、「ホテルプラザイン水沢」和食処「きくすい」にて
食事。http://www.plazainn.jp/restaurant/kikusui.html
幕末の蘭学者高野長英の菩提寺「大安寺」、武家屋敷「内田家
旧宅」「後藤新平旧宅」を見学。
http://www.iwatabi.net/morioka/ousyuu.html
最後に伊達政宗の家臣後藤寿庵(ごとうじゅあん)遺跡「寿庵
堰」(大規模な用水路)現在もその跡が残る。「円筒分水工」
を見学し帰途についた。
http://www.isawa-heiya.or.jp/05guide/05_09.html
朝7時頃、自宅を出発、東北自動車道路一関ICまで約1時間、
正法寺には8時50分頃に着き、最後の「円筒分水工」を見学
して水沢ICに入ったのは16時頃。一日の小旅行としては、
手頃な行程であったように思う。
行程の途中には「猊鼻渓」があり、近くには、世界遺産の「中
尊寺」「毛越寺」そして「厳美渓」等の名所が散在する。
岩手県奥州市水沢が仙台藩の領地であったこと。かつて仏教
文化が隆盛し衰退してしまったこと。幕末、明治と活躍した
政治家など多くの著名人を排出していたことを改めて教えら
れた。紅葉にはまだ少し早かったが、文化の日に相応しい、
今回の小旅行であった。
この夏、休暇を利用して国宝の彦根城と犬山城を攻めてきた。
日本の100名城の中で国宝の城は、姫路城、松本城、そして
彦根城と犬山城の、たった四つしかない。姫路城、松本城は、
既に攻めているので、今回で国宝の城は全て攻めたことになる。
私は城を巡る時、城を攻めるという観点から捉えることにして
いるため、あえて城を攻めるという表現をすることにしている。
全国の城全般に言えることは、城の縄張り(城の構え)、掘り、
石垣、櫓(やぐら)、曲郭(くるわ)、階段などをみると、掘りは
深く、石垣は登り難い。また天守へ続く先が見え難く迷路のよう
になっている。ここで相手の攻撃を受けたらひとたまりもないで
あろうと思われるような石垣に囲まれいる所が必ず何ヶ所かある。
天守に向かう階段の幅もやや広めに造られていて歩調が合い
難くなっているなど、城は何処も攻め難くなっている。
国宝の彦根城と犬山城もこれに違わず難攻不落の城であったが
当時そのままの、天守、武器庫、柱等々は、復元した城とは一
味も二味も違い、国宝の城ならではの趣であった。
難攻不落の天守に登り、武将を想い戦国時代に心を馳せるのは
男のロマンである。
今回の城攻めは、愛馬ならぬ愛車プリウスで出陣。東北自動車
道を走り、郡山JCT(ジャンクション)から、磐越自動車道、北陸
自動車道、名神高速道路を乗り継いで、彦根ICまで片道765
km。高速料金は、通常の半額7、150円。日曜日の朝7時に家を
出て彦根のホテルに着いたのは20時。もちろん、途中のサービス
エリアで休憩をし、食事をしてのことだが、彦根はかなり遠い。
愛車プリウスの今回の燃費ではリッター27.7㎞を達成、ガソリン
満タンで45リッター入るから、彦根までは余裕の走りであった。
特に今回の場合、プリウスの機能のひとつである「クルーズコ
ントロール」と「エコモード」を多用したせいもあると思う。
「クルーズコントロール」で速度(今回は98Km/H)を手元で
設定すれば、登り坂であろうが、下り坂であろうがアクセル操作を
一切しなくても一定の速度で走ってくれる機能である。
運転が楽で疲れない、とても便利な機能である。
高速道の直進では、暑さのせいか蜃気楼(シンキロウ)が見えた。
北陸道に入ると宮城ナンバーの車は、殆ど見掛けなくなる。
それでも、たまに宮城ナンバーの車を見掛けると、同郷のよしみ
とでもいうのか、とても懐かしく思えて、近づいてしまう。
疲れているせいだろうか。危ない危ない。
それだけ彦根は、遠いところであるが、この夏よい想い出をつくる
ことが出来た。