「♪朝だ朝だ~よ 朝陽が昇~る 空~に
まっ赤な陽が昇る~♪」
「♪新しい朝が来た 希望の朝~だ 喜~
びに胸を開け 大空あおげ ラジオ~の声
に~健やかな胸をこの香る風に 開~けよ
それ 一 二 三~♪」
朝のラジオ体操のオープニング曲が懐かし
く想い出されるほどの今朝の晴天。
カードをぶら下げ広場に出掛けたくなる。
今朝はそんな壮快な気分だ。
その時々の想いを掲載するため、以前にも
同じ想いがあったとすればブログの内容が
重複することになるのでご容赦願いたい。
我家の暗黙の了解事項として、朝、早く
我に返った方が、相方の安否確認をする
ことになっている。そのため、手でツン
ツンと突っついて一日が始まる。
滅多に無いことだが、険悪な状況の下では
それが足となる。
今、はまっている中国の時代劇ドラマでは、
やられ役の鼻の下に指を近づけ、息遣いを
診る場面がある。
毎朝わだスは、そんな事 決してしていな
いが、そうされているかは知る由もない。
ただ、母ちゃんの中国時代劇のはまり様は
尋常でないことには間違いない。
「お前百までわしゃ九十九まで・・・」の
ことわざで、お前とは夫のこと。
夫婦が一緒に最期を迎えるとするならば
我家の場合は、お前95までわしゃ100
までと言うことになるが語呂に難あり。
我家の壁にぶら下げた素敵な和風庭園の
カレンダーの進みが早い。
毎月下旬ともなると、カレンダーは翌月の
庭園になる。
美しいもの見たさのカレンダー早めくりも
理解出来きるが、こう歳を重ねてくると、
早過ぎる月日の進みが気にかかる。
「六十才でお迎えが来た時は、人生はこれ
からだと伝え
七十才でお迎えが来た時は留守だと伝え
八十才でお迎えが来た時はまだまだ早すぎ
ると伝え
九十才でお迎えが来た時はそう急がずとも
よいと伝え
百才にお迎えが来た時は時期を見て、ぼち
ぼち考えてみると伝える」とあるが、
一度だけ伝えればよい究極の言い訳を思い
付いた。
「泳げないから」。
三途の川が浅瀬であっても無くても、また
渡し船があっても無くても構わず、とにか
くわだス「泳げまセ~ン」!!
まっ赤な陽が昇る~♪」
「♪新しい朝が来た 希望の朝~だ 喜~
びに胸を開け 大空あおげ ラジオ~の声
に~健やかな胸をこの香る風に 開~けよ
それ 一 二 三~♪」
朝のラジオ体操のオープニング曲が懐かし
く想い出されるほどの今朝の晴天。
カードをぶら下げ広場に出掛けたくなる。
今朝はそんな壮快な気分だ。
その時々の想いを掲載するため、以前にも
同じ想いがあったとすればブログの内容が
重複することになるのでご容赦願いたい。
我家の暗黙の了解事項として、朝、早く
我に返った方が、相方の安否確認をする
ことになっている。そのため、手でツン
ツンと突っついて一日が始まる。
滅多に無いことだが、険悪な状況の下では
それが足となる。
今、はまっている中国の時代劇ドラマでは、
やられ役の鼻の下に指を近づけ、息遣いを
診る場面がある。
毎朝わだスは、そんな事 決してしていな
いが、そうされているかは知る由もない。
ただ、母ちゃんの中国時代劇のはまり様は
尋常でないことには間違いない。
「お前百までわしゃ九十九まで・・・」の
ことわざで、お前とは夫のこと。
夫婦が一緒に最期を迎えるとするならば
我家の場合は、お前95までわしゃ100
までと言うことになるが語呂に難あり。
我家の壁にぶら下げた素敵な和風庭園の
カレンダーの進みが早い。
毎月下旬ともなると、カレンダーは翌月の
庭園になる。
美しいもの見たさのカレンダー早めくりも
理解出来きるが、こう歳を重ねてくると、
早過ぎる月日の進みが気にかかる。
「六十才でお迎えが来た時は、人生はこれ
からだと伝え
七十才でお迎えが来た時は留守だと伝え
八十才でお迎えが来た時はまだまだ早すぎ
ると伝え
九十才でお迎えが来た時はそう急がずとも
よいと伝え
百才にお迎えが来た時は時期を見て、ぼち
ぼち考えてみると伝える」とあるが、
一度だけ伝えればよい究極の言い訳を思い
付いた。
「泳げないから」。
三途の川が浅瀬であっても無くても、また
渡し船があっても無くても構わず、とにか
くわだス「泳げまセ~ン」!!