彫刻家の独り言

北海道出身の彫刻家 黒田栄一のブログです。Yahoo!ブログ「彫刻家 黒田栄一 山のアトリエ」も見てください。

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2010年07月25日 20時53分20秒 | 日記
前のブログに載せたつもりの彫刻の写真が載っていなかったので ここに載せます。
未だ 慣れていないので 失敗してしまいました。
お許し下さい。

杜の詩

2010年07月25日 19時49分41秒 | 日記
この写真の題名が「杜の詩」。
杜の精霊が喜びの調べをうたっているところ。
このテーマでの制作は今も続いている。
私の作品は自然や動物をテーマにしたものがほとんどだ。

私もはじめは ご多分にもれず人体彫刻から始まった。
大学では裸婦モデルを使った人体彫刻の制作がメインだった。

私は高校時代に佐藤忠良という彫刻家の作品に惚れてしまった。
佐藤忠良氏の作品は私の中学校の美術の教科書に載っていた。

高校時代には音楽、演劇、美術と文化方面への関心が高く、東京に出てきてからよりも多く観たり 聞きにいったりしていた。

そんな時、佐藤忠良先生の作品に出会い(氏は今私が所属している全道美術協会の会員だったので毎年北海道に出品されていた。更に個展も開かれた。)、講演会を聞く機会に恵まれた。
そうこうするうちに すっかり氏の作品と人物に惚れてしまった。佐藤先生の作品は堅牢でありながらおしゃれ感覚もあり、上品でもあった。何とも底深い彫刻だと分からないながらも 感じていた。
又 自分のことを職人と呼ぶ 謙虚な態度にも感銘を受けていた。

高校2年で芸術方面に進もうと決心していた。
それまでも絵を描いたり作ったりするのは大好きだった。
しかし それを生涯の仕事にすることは恐ろしいことだと漠然とは感じていた。
高校時代は生まれて初めて人生と向き合った時期で、人は何のために生きるのか、人生の意味とは何かを知りたくて本を読み漁った。
そこで得た その時期の私なりの結論が「芸術こそが人生をかけるのに値するもの」だった。
高校1年から油絵を描き始めていたが、私には立体を作る方がより好きだと感じていた。
美術の技法書をみながら独学で粘土で作った物を石膏にしたりしていた。
佐藤忠良先生が東京造形大学で教えていると知り、そこへの進学を強く希望した。
だが、父は北海道の国立大学以外の進学は許さないと言っていた。
そこで仕方なく北海道教育大学特設美術科を受験し、見事不合格。

浪人中に父は亡くなってしまった。
残された祖父母と姉を説得し、何とか 佐藤先生が教えている東京造形大学で氏から学ぶことが出来た。

この辺の経緯はかなり複雑であり、私のとって思いで深いことでもあるので又の機会に詳しく書きたい。