ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

八百比丘尼(やおびくに)の伝説

2022-08-25 | 伝承
八百比丘尼(やおびくに)伝説

~玉岩地蔵堂の本尊地蔵石仏(日吉四ツ谷の伝説)~❶

日吉四ツ谷の八百比丘尼(やおびくに)伝説の舞台に立ちたくて…「玉岩地蔵堂」へ訪ねること三回、やっと四回目にして地蔵堂の『本尊・地蔵菩薩半跏石仏』と『八百比丘尼の伝説』に対面が叶う。地元で語られている八百比丘尼の伝説とは…
『丹波の国船井郡日吉四ツ谷海老坂は船井郡と北桑田郡の郡境にあり、昔の若桜街道である。ここに玉岩地蔵がある。『本尊・地蔵菩薩半跏石仏』は若狭の人、八百比丘尼の持念佛と称されている。※持念佛とは個人が身辺に置き私的に拝む仏像をいう。
比丘尼は地蔵菩薩石仏を背負って諸国を巡礼していました。最後に京都から故郷(若狭)に帰る途中まできました。ここでしばらく腰をおろし旅の疲れを癒していました。いざ出発しょうとすると、急に重くなって…今まで軽々と背負っていた地蔵菩薩尊石仏は動かないのでした。しかたなくこの地に安置されたと伝えられています。』
境内に設置の案内板(南丹市教育委員会【旧日吉町教育委員会】)に記されている。一部加筆する。



玉岩地蔵本堂と庫裏の全景
以前、このブログで園部町船岡の隔夜信仰を書いた。深い関わりある寺である。興味のある方は、…訪ねて下さい。



『玉岩地蔵菩薩石仏』を石造物として荒く悉皆してみましょう
※自然石の表面に地蔵を舟形に深く掘り込んでいる。その巨岩座の上に坐す。半跏像(はんかぞう)が刻まれ、左足は半跏ふみさげの形をとっています。地蔵石仏のふみさげ形は初めて出会った文化財である。少々興奮する。
※右手に短い錫杖を、左手に宝珠を持つ。安山岩製で、石全体の高さは71㎝、像の座高30㎝。日吉四ツ谷の郷土歴史・文化財・民俗等々の伝播を探る手掛かりとなる一級の石造物。もちろん南丹市の町指定文化財となっています。

※堂内、須弥壇奥、真っ暗の中、巨岩上に安置されている。許可をもらいスマホで写真を撮る。加工したがこれが限界。
次回は少し明かりの工夫を…




善願寺・釈王寺の今昔ばなし

2021-09-02 | 伝承
善願寺今は釈王寺の今昔ばなし
(園部町小山谷ノ下)

園部町小山谷ノ下に善願寺がありました。典薬頭丹波頼廉の祈願所として建立したと云われている。天正4年(1576)、織田信長の命により明智光秀は丹波攻めに入り、八木城攻略・落城すると…次々と近辺の山城主たちは明智方に走っています。唯一明智光秀軍と徹底交戦を展開したのが善願寺山城であった。この山城の裾野に『善願寺(天台宗派寺院)』があります。その寺の僧兵と共に一進一退の戦いを展開、常に園部城主荒木長綱との密約に従って明智光秀軍を苦しめたが、ついに本堂・伽藍等を焼失する。焼け落ちた跡地大石の上に薬師如来の尊像を安置、風雨にさらされても慈悲悠久の姿に変わりはなかったと云いう。土地の人たちにより堂宇が建てられ、薬師如来をお堂の中へ移され安置され今に至るが…今は町内の某大学敷地内となり堂宇は…ないと聞く。
善願寺は当時、七堂伽藍を有する勢威隆々たる寺院で三軒屋の大蛇退治のお告げを出した…今昔の昔ばなしにも登場する寺であった。
(参考資料/園部の歴史を訪ねて⑨)
 
<お堂内に、善願寺(廃寺)・釈王寺の開基・開山者と思われる尊像が安置、あるいは天台宗派の高僧か、弘法太子(空海)かも…関係資料の持ち合わせてない為…今後の宿題としたい>

<善願寺(廃寺)・釈王寺となり今は町内大学用地跡となり。その姿は…今はない。その一角にお堂が建つ、善願寺・釈王寺の栄枯盛衰をしる貴重なお堂である>

<お堂の格子から覗き見ると…何とか「第二番〇〇山釈王寺」と読みとれるが、他の文字は…読めない>

<お堂の正面右上に、「子安地蔵尊」の歌が書かれているが文字は薄れかすれて解読不可に近い!>

三軒屋の大蛇退治(昔ばなし)園部町

2021-09-01 | 伝承
三軒屋の大蛇退治 (昔ばなし)

(園部町小山東)


園部川の激流が川岸に当たり岩は甌穴(おうけつ)になり、恐ろしい渦を巻く「オケ渕」があります。この渦の中に渕の中に、大蛇が棲んでいると云われている。園部川の川筋には、当時を偲ぶ昔ばなしが沢山残っています。その舞台に立ちたく度々訪ねているが、労多くして実りは少ない…、今回念願が叶い紹介できるに至る。
『大蛇の姿は三間余りの大きさ、誰も恐れてこのオケ渕には近寄らなかった。「オケ渕」の裏山に街道が通じているが難所の一つでした。この渕の主の大蛇は、冬の間は渕の底に眠っていて、春になると動き始めるのです。洪水を起こし、作物を荒らし村人や旅人を襲い飲み込んでしまうのです。村人たちは困り果てどうにかして大蛇を退治できないかと色々な策を立てるのですが…すべて失敗に終わりました。大蛇はますます横暴になるばかり、そこで村人たちは、集まって相談ました。神頼みしか道はないと春日明神のお告げもらうのです。…そのお告げによれば「小山村の豪族赤坂蔵人唯重」により大蛇を退治すべしとの事。蔵人唯重は遠矢の名手でありお告げに従い決死の覚悟で退治することになりました。
早朝、オケ渕から出てきたところ弓を引き遠矢を放つ…見事大蛇の左目を射ぬき、大蛇は猛然としてオケ渕の山上へとのたうちあがって行方をくらました…。
無事に大蛇が退治できた翌年、この地方に熱病が流行したのです。困った村人は善願寺(廃寺)の住職にお伺いを立てたところ、大蛇のタタリ(呪い)だと云うお告げがでました。早速、大蛇が逃げこんだ所に祠を立て、大蛇の霊をねんごろに祀り供養をしました。これが「大塚権現」です。戦後に大蛇が隠れたと云う巨岩の上に「大岩大神」の碑が建てられました。それ以後、小山東の田んぼは、秋になると稲穂が重く垂れ、黄金色に波打つ。街道は行き交う人で賑わい繁盛しました。』
(参考資料/シリーズそのべひすとりー、園部101年記念誌等)
 

おわり

<国道9号線園部ビューホテル横より、朱色の鳥居が目印で…。参詣道は荒れ朱色の鳥居は朽ち果て痛々しい。数分歩くと「大岩大神」「大塚権現の社」の全景が現れる>


<「大岩大神の碑」【タテ40㎝、ヨコ40㎝】の大きさ、力強い行書体で刻まれている>


<「大塚権現」「大岩大神」が鎮座する山は7000万年前の火山活動でできたもので、縞模様の凝灰岩がいたるところに露頭している。
(るり渓の地層と岩石より)>



園部の『米かみ岩』

2020-12-30 | 伝承
神坂峠『米かみ岩』
園部町宍人(ししうど)から半田に出る神坂峠(府道454号線・村境)に大岩が横たわっている。この峠にまつわるむかし話を追ってみた…
『昔、園部の殿様は徳川家の家臣で、譜代大名でした。元和五年(1619)に出石から移付され園部に入部しています。小畠に2年間住み、それから小麦山に陣屋を築城しています。三万石であるが分家に三千石を与え、実質二万七千石であった。藩主の家族・藩士・卒を合わせ832人、家来衆をみんなつれ来たので実質九千石と貧しい藩であった。そのため藩財政は大変苦しかった。従って年貢の取り立ても…厳しかったようです。
ある年、年貢を何とか少なくしてもらえないだろうか…と、百姓衆は話し合っていました。この時、一人の百姓が「生きるか死ぬかの問題だ、私がお殿様に直訴(じきそ)するといい出した」この場にいた百姓三人で申し出ることにした。村人たちは大喜び、三人は食糧の焼き米を袋にいれて園部へ向かう。大粒の汗を流し…細い峠道を越え峠の中腹「神坂峠」で、大きな岩(石)に腰をおろしていっぷくをしていました。三人は腹がへり腰から焼き米を取り出し…ポリポリ食べ始めました。一人が「まてよ、直訴したら首をバッサリ切られるだけだ…」と、いい出した。直訴は幕府の御法度である。命あっての物種だあぶない、あぶない三人は正気に戻りやっぱり止めておこうと、その場から引き返し一目散に家に引き返したという』

それから、この岩を「米かみ岩」と呼ばれるようになった。峠道は人を考えさせる思案の峠でもある。
【地元の古老の記憶も…遠い話の事ゆえ、斑の記憶。園部町図書館より郷土の昔ばなし等の冊子を参考にさせていただく】


『天狗岩は雨乞い舞台』

2020-11-05 | 伝承
『天狗岩は雨乞い祈祷の舞台』(園部町大河内)
「雨乞い地蔵」と「天狗岩」はセットとし話さなければ、大河内の民俗伝承文化は成り立たない。
<看板がるり渓観光協会が設置>

今日は雨乞い地蔵の続編として、天狗岩に登ってみた。
紅葉の盛りの中、一時間程かけ急登な登りに大粒の汗をかく……。まさに山頂(700m)は天狗岩の奇岩・巨岩が露出する岩山だ。周囲約150度以上の広角の大パノラマに大興奮する。丹波の山並みが見渡せ遮るものは何もない…。ここで過去、幾度か雨乞神事が行われたかと思うと灌漑深い。周りの雑木を切り千束柴の薪づくりに精を出したのであろうか…。柴を千束に束ね天高く井型に積み上げた場所を探すが…、千束柴の火は天をも焦がす勢いで燃え上がったであろう、周りを取り囲む村人たちは口々に「雨を降らしたまわれ」と、大声で天に向かいお願いするという。…その声が聞こえてきそうな静寂の天狗岩雨乞舞台である。今は遠い昔の話ではあるが、次の世代へと語り継いでいかなければいけない…。

< この場所が民俗文化の場所だと……知る人は?! 地元観光協会のなお一層の奮闘に期待するところ… >


< 凝灰岩(溶結凝灰岩)の岩で、表面はザラザラする。多くの気泡魂が特徴、触って体感しては… >


< 丹波の山並みが一望…遠くに愛宕山も見え、園部町の隠れスポットです >