ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

大堰川の枕状溶岩

2020-10-28 | 奇岩
大堰川の『緑色岩…枕状溶岩』探し…
園部町船岡に流れる大堰川の川底に露出する岩石を見たく河原に降りる。目的は枕状溶岩の「緑色岩」(変成岩の一種)の写真を撮る為、 以下、地層・岩石を少し紹介しましょう。俗に枕状溶岩と呼ばれ、約三億三五百万年前頃、古生代石炭紀に形成されたものと言われています。
現在の亀岡市や園部町辺りは70万~80万年前は、湖・沼地であった(新修 亀岡市史より)。その後、丹波高地では火山活動が活発になり、山地は隆起する。約40万年以前には大堰川(おおいがわ)は殿田(日吉)から胡麻(日吉)を経て由良川に合流し北流(日本海)していた歴史を持つ。その後、地殻変動が繰り返され分水界(水分・みずわかれ)の争奪が起こり、大堰川や園部川の河川が合流し、桂川と川名を変え南流(太平洋)淀川に合流…そして大阪湾へ流れ込む。

園部盆地・亀岡盆地は、第四紀更新世頃(約260万年前から約1万年前までの期間)に湖・沼に堆積した泥や砂礫層から植物化石が見つかっている。枕状溶岩団塊は、径30~50cmの大きさで発泡するのが特徴です(写真参照)。
緑色岩の枕状溶岩自体はそう珍しいものではないが、きれいな枕状に出会えるのは…少ない。地質、岩石に興味の方にはおすすめポイントです。

<船岡駅前に観光案内地図>
<枕状溶岩の「緑色岩」>
<日吉ダム下流、殿田の河床より上流、枕状溶岩が確認>

春日神社の『両部鳥居』

2020-10-27 | 神社仏閣
両部鳥居 (園部町口入春日神社)
鳥居は「神域と人が住む俗界を分ける結界」で、神域への入口となります。
園部町口入(くちうど)に春日神社があり、朱の鳥居に足が止まる。朱の赤は穢れや邪気を払うとも言われている。以前、当神社の湯釜、石灯籠のブログを書いた。今回は鳥居です。
この鳥居は『両部鳥居』と呼びます。鳥居の形式の一つで二本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱(4本)を設けています。この形式は神仏習合の神社に多いようです。厳島神社(広島)の大鳥居が両部鳥居で有名です。他の呼び名は「権現鳥居」「四脚鳥居」「稚児柱鳥居」等とも呼ばれる。上部の笠木の上に屋根が付くのが特徴です。両部とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)をいい、神仏習合を示すものです。園部町では…只今一基のみ確認…?! 



大杉稲荷神社の手水石の¨えくぼ ¨

2020-10-21 | 石仏
大杉稲荷神社 手水石に『えくぼ」が付く…
園部町船岡、諏訪の森に大杉稲荷神社「正一位稲荷大杉大明神・諏訪神社・千葉大明神」の御三神柱が鎮座する。社の左手前に手水石(ちょうずいし)が置かれている。よく見ると盃状穴の凹があり目が留まる。園部町のひと筆めぐりでは初めての出会い。興味津々の逸品です。石灯籠の基壇や石風呂の縁、中でも手水石に多いように思います。…その窪みの石は´えくぼ石´と勝手に呼び、悉皆調査を楽しんでいる。
さて、この『盃状穴・窪み(えくぼ)』は…なぜ!どうして!出来たのだろうか?…疑問だらけ!?
❶子どもが野の草花を手水石の縁に置き、道端の石でコツコツ叩きながら…ままごと遊びをした名残跡との説
❷河床や海岸で岩盤の窪みに入った礫(小石等)が渦流によって回転し、少しずつ岩(石)を削り円形の穴ができる甌穴(おうけつ)とも云われる説
❸薬草を盃状穴に入れ、薬草を作った…遊びではなく深い民間信仰説等あり
その真相は…謎だらけ!?

手水石の荒い悉皆調査
縦…45cm 横…60cm 高さ…33cm 深さ…15cm 縁…10cm
盃状穴(凹)…18ケ
石材…花崗岩製
手水石に刻む銘を解読すると、南側…「河内村」 東側…「御神前」 西側は解読不可?


<御神前>字は崩れていますが読めますね


<河内村>村は剥離し判読不可に近いが、「村』として読み下す



<「正一位稲荷大杉大明神・諏訪神社・千葉大明神」>



『諏訪の森物語』 園部町の昔ばなし

2020-10-16 | 伝承
『諏訪の森物語』園部町の昔ばなし
平成15年度、地方特定道整備事業として町道船岡千妻線道路を通り船村へ至る。その峠の頂に社が見え『正一位稲荷大杉大神』が祀られている。この社に『諏訪の森物語』がある。興味津々の園部町の昔ばなである…

【丹波園部への船岡に、昔、気味の悪い底なし沼があった。
その辺りは、諏訪の森と呼ばれキツネがたくさん住んで人をよくバカしたそうな。
 あれは日露戦争のあった明治三十六年ごろ、ここに山陰鉄道が通ることになって、全国から大勢の人夫が集まってきたそうな。トンネルあり、鉄橋ありの難工事やったが、その上でもこの沼になんぼ土や石を入れても枕木が敷けんかった。ある晩、飯場に寝ていた若い男の枕元へ、闇の中から白い姿で若くてきれいななまめかしい女の人が現れたそうな…。
その女は若い男に恋をして、毎晩・毎晩やってきてとうとう。身体にさわられるたんで、ビックリして目をさますと、白キツネが男の顔や身体をなめていたんで腹を立て、メッタ打ちし殺してしもうたんや…。
それから毎晩、その男は白狐の女に誘われては底なし沼に沈む夢でうなされよった。やがて森の中にキツネ火が飛ぶようになっり、諏訪山のトンネル工事で、犠牲者がでてしもうたんや…。村の人が大勢やってきてよく見るとそににナントまあ~玉石を抱いた白ヘビが二匹鎌首をもち上げておったそうな…。
「そのヘビは諏訪山の主や!使わしめの白狐を殺してしもうたタタりや!」と、それはそれは大騒ぎ…。工事人と村の代表が伏見の稲荷大社に参詣して、明治四十一年夏六月、大杉大神を諏訪の森に移して祭ったそうな。
それからでも不思議な話があって、願いごとをよう聞いてくれはる神社として、真夜中に願を掛ける者がたえんかったそうな。
あんまりあらたかやったんで、山の木や枝を切ると厄いがおこり、いつのまにか白キツネのおった諏訪の森を´おしんぼ山´といわれるようになったそうな…。】
(社に掲げられている諏訪物語より)

<正面に「正一位稲荷大杉大明神、右に諏訪神社、左に因葉大明神」> 社前には手水石があり…銘が刻まれていので少し時間をかければ解読可!時代がわかり人々の暮らしに繋がる。

<JR船岡駅前の案内板>のどかな…風景が展開