ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

雷神よけ石

2020-03-23 | 伝承
『雷神よけ石』九品寺 園部町船坂
園部町船坂に九品寺(くほんじ)がある。過去を振り返り歴史を見つめ直すことのできる、真言宗御室派の古刹『九品寺』である。朱色の大門(重要文化財)をくぐって数段の階段を上ると本堂(本尊・千手観音)がある。この本堂の左側に円形の石碑があるが、説明板等ない。かなり荒れている。寺伝によると『雷神よけ石』と呼ばれているが、知る人は…。これは先人が残した石の文化遺産、民俗学的遺産である。
円石の大きさは直径53cm、厚さ24㎝、円石内に月輪を薄く入れている。中央に梵字らしき字が、外側にも文字が刻まれているかと…風化して解読不可。石材は花崗岩(長石・石英・雲母)である。この上に笠を置く64cm。碑の高さは1㍍程。
古来、摩気(まけ)地方の雷雲は必ず九品寺の上空あたりに発生するという。ここは本梅川と園部川が合流する。加えて山に囲まれた扇状地である。諸々雷雲が発生しやすい気象条件になるようです。
この落雷を防ぐ為、九品寺の僧が過去に千日護摩祈祷をしている。この円形石は祈祷成就された時の碑であると言う。祈祷の神通法力を発し『雷神よけ石』として信仰があり、船坂には昔から雷は落ちないと言う(地元翁の話)。
今も落雷よけの為の祈願が続けられていると聞く。


本尊の千手観音像は顔の左右に脇面があり、頭の上に四段に24面の菩薩面、鎌倉時代の作、重要文化財として、京都市正法寺に安置されている。今は代わりに大日如来様が鎮座する。
楼門(山門・仁王門)は重要文化財で鎌倉後期の様式をもつ。三間一戸・入母屋造り・桧皮葺で造られている。

国宝普済寺観音堂道の碑 園部町若森

2020-03-21 | 街道
『国宝普済寺観音堂道』の碑
園部町の南大谷、若森、埴生(はぶ)の集落の中を国道372号線が東西に走るが、この線はかっての山陰古道(丹波古道)と呼ばれていた。その中でも埴生は街道の宿場町として大いに栄えたところであった。
この山陰古道(丹波古道)沿いの南大谷と埴生との境に『国宝普済寺観音堂道』の碑が建っていた。旧法の時代であったので国宝となっているが、現法では″国重要文化財″と変更されている。昭和10年に現在地に移転されたようです。
道標(碑)の大きさは、高さ155cm・幅28㎝・オク24㎝、材は地元産の花崗岩を使っている。碑の裏面には『昭和10年建』と刻む。
石の重さを計算すると1.55*0.28*0.24*2.65=0.276 約276㌔(埋設除)
(高さ・幅・オク・石の比重)
国寶と冠に付く碑は非常に珍しい!…園部町では他に類例はない。当時を知る上での貴重な文化財である。
現在は亀岡から姫路を結ぶ国道372号線は、時代の要請に応えきれなくなり、交通の円滑化等に向け、国道のバイパス建設が本梅川に沿い進められ、開通(平成26年部分開通)し…時代の役目を終えた山陰古道は静かな生活道となっている。


<国宝普済寺観音堂道、この碑から左へ行くと普済寺へ>


<碑の裏には昭和10年建と刻まれる>


<時代の役目を終えた山陰古道は静かな生活道になっている…>

宝篋印塔 園部町船坂

2020-03-20 | 石仏
九品寺の宝篋印塔 園部町船坂
船井郡の西国三十三カ所観音巡礼の一番寺が『九品寺(くぼんじ)』です。
『補陀落も九品の寺もとふからぬ こころの花のうてなしぞしる』ご詠歌
江戸時代巡礼盛んなる頃が偲ばれる。この寺を訪れるたび栄枯盛衰を見てしまう。(注)補陀落(ふだらく)とは観音菩薩が降臨する霊場のこと
九品寺の境内地に立派な宝篋印塔(二基)が玉垣の中に建っている。正面には宮内庁の掲示板が設置、ここには九品寺再興の『白河天皇皇子覚行親王墓(第二門跡覚行親王)』の御廟所(墓)と書かれている。宮内庁管理の墓地であり、ここだけは別世界感。
正面向かって左の塔の高さ1.4㍍、右の塔は高さ1.3㍍程である。無断立ち入り禁止の為、近づけない。製作年代は不明であるが、園部町内に現存する宝筐印塔を見て…基礎・塔身・笠・相輪等の時代特徴から南北朝初期と推察する。
二基をよく見ると塔の製作者(石工)は別々のように思う。右の方が均整がとれている。左の塔の相輪上部の造りが何か弱いように感じます。などなど総合的に判断すると石工は同人でないようですね!



北向き地蔵さん…四基目の発見!

2020-03-14 | 伝承
殿谷の北向き地蔵さん…四基目の発見!
殿谷の小山田墓地の外周に西国三十三所巡礼碑二基が建つ。この巡礼碑に挟まれて、小さな石造物が一基、ちょこんと鎮座する。地元では北向き地蔵さんの『歯願様(しがんさん)』と呼び大切に祀られている。子どもの歯が痛くなると…よくお参りをしたという(地元古老談)。不思議なことに願いが叶い…よく効いてくれたそうです。親から子・孫へと言い伝え、伝承が繋がっている。殿谷の北向きの地蔵さんとしての信仰が残っています。
地元産の自然石(花崗岩!・閃緑岩!)を圭頭(けいず)(石の頂部を尖らせることを言います)状に加工しています、尊名は如来と思われる。



京都府指定文化財 鹿島神社 園部町殿谷(Ⅱ)

2020-03-12 | 神社仏閣
鹿島神社の本殿は京都府指定文化財(Ⅱ)
(前号より)…鹿嶋大明神の本殿は一間社流造、桧皮葺の建物で、柱の間は一間(いっけん)で屋根はヒノキの皮で葺く。母屋(身舎・もや)は円柱(ちまきばしらとも呼ぶ)で、舟肘木(ふなひじき)で、二軒繁垂木で軒を支えている。舟肘木は舟を横にした形をする。垂木(たるき)には反りが入る。妻飾(つまかざり)は正面より左右の三角の上部分で豕扠首(いのこさす)をつける。正面にはネギ坊主に似た冠を付ける擬宝珠、高欄付の木階五級を設ける(木の段を五段組む事)。母屋(身舎)の三方に切目縁(まわりえん)を回し、脇障子が入る。正面は引違格子戸、外三方は横板張りのはめ板である。内部は内外陣にわかれる。向拝は面取角柱を使うのが決まりで、この柱は修理の時、取替られている。母屋から向拝の柱には紅梁形頭貫で繋ぎ木鼻(きばな)を出す(木鼻は改修時に取り換えられた)。組物は連三斗組、中備に蟇股(かえるまた)を置き、母屋と向拝は紅梁(こうりょう)で繋がれる。本殿祭神は『タケミカヅチ』が鎮座される。
専門用語が多々入り難しいが…神社の様式がわかれば楽しめます。


<鹿嶋神社の本殿は一間社流造の桧皮葺>


<四角い柱の横に突き出ているのが「木鼻」、上に載っているのが「連三斗組」、木鼻は修理時に取替なれている

<正面階段を高欄付の木階五級、欄干は曲線状につくられている。丸柱の頂には宝珠(ほうじゅ)がみえる。俗にネギ坊主とも>


<一間社流れ造りの妻側には垂木、懸魚(げぎょ)、舟肘木が見える>


<狛犬一対が祭神を守っている。創建当時の作とおもわれます>


<鹿嶋大明神>