ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

普済寺 仏殿の鰐口(わにぐち)

2019-12-29 | 神社仏閣
その土地の歴史に触れたり、新しい魅力を発見したり…。
 鰐口は観音堂本殿正面軒先に吊り下げられている。鋳銅製で外縁部に「丹波国船井郡野口庄本免方薮田宮鰐口也」「宝徳元年己巳十一月二日大工園部村五郎兵衛宗次」と銘刻する。(寺案内板より引用)
 宝徳元年(1449)、丹波国船井郡野口庄本免方薮田神社の鰐口であったことが分かる。薮田神社は延喜式神名帳に記され、志多非神社の鎮座地に再建されたもの。ここに出てくる「園部村」が、現在の園部町の中心部付近を指す。「野口庄本免方」とあるのは、今の本梅川流域の地域を指し、西本梅流域も含まれる。
鰐口の形状は鈴を扁平にした円形で、左右側面に吊り下げる為の耳が付く。下方部は大きく一文字に開いている。その大きな口から鰐口と呼ばれている。(普済寺蔵 京都府指定文化財 面径36.7cm)

現在、懸けられているものは、後に鋳造されたものと思われます?鰐口の耳が新しい。府指定のものは大切に保管されているものと思われます。






中世の山城 『埴生城(砦)跡』

2019-12-26 | 歴史
園部に新名所誕生 中世の山城『埴生城』
 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」亀岡市、福知山市等関係する行政、町は俄かに活気づく…。ここ丹南市園部町埴生も明智光秀丹波攻略の際、和睦に統治に向け奔走(活躍)した人物がいる。少し追ってみることにする…。
 その人物は野々口西蔵坊と呼ばれ、金輪寺(亀岡市)の山伏である。
当時、光秀方と行動を共にした。光秀は西蔵坊を、敵対する八上城主(篠山市)波多野秀治との和睦(仲介)交渉役に命じている。多くの丹波の兵が派遣されている。奔走の努力の結果、和睦・統治が成立すると、その証として自分(光秀)の老母を人質として波多野方へ差し出しすことになる。後に光秀は神尾山城(亀岡市)で対面するが、城内で波多野秀治を謀殺してしまう。これに激怒した八上城の家臣達は光秀の母を処刑する。その後、西蔵坊は和睦奔走の疲れから熱病発症、狂死する…。
 埴生城は本目城(神尾山城)の峰づたいに位置する山城で、埴生郷の土豪で野々口氏の居城(砦)であったという。豊臣秀吉が出した一国一城令(1615)により取り壊され、埴生城の山裾に野々口氏の屋敷があり立派な門があったと伝えられ、この門が最福寺(曹洞宗)の薬医門として移築されたと…伝えられていたが、平成七年山門改修時に棟札より、元禄十四年の冬に薬医門として建てたと記されている。
 この春頃、園部の有志住民が山頂(280m)の城周りの立ち木を伐採整備、約300坪?…。園部若森地区内府立農芸高校等一望、園部の新名所誕生、中世の山城ファンにはたまらない癒しのスポットが誕生した。
本丸地は平滑され、虎口・石垣が散在、櫓台があったと思われる高所も現存、その下に石垣が…。櫓台後方の大堀切斜面にも石垣が見られ、野面積みの自然石で組む、その一部が見られる。当時、波多野氏と対峙する最前線を固める砦(城)として担っていたのが分かる。

本丸から南を…若森地区、府立農芸高校、亀岡盆地が一望


虎口・石垣が散在、櫓台が…

最福寺の薬医門(元禄十四年の冬)



園部町 普済寺の歌額【御詠歌】

2019-12-10 | 古文書
園部町若森に大慈山普済寺が佇む。この寺はかっては平安時代、天台宗の寺院として創建されたと伝えられている。足利尊氏の妹千種姫が開基となり、夢窓疎石(むそうそせき)を開山とする。当然、初代寺の住職は千種姫が務めている。後に寺は改宗され今の曹洞宗になっている。
旧・丹波船井郡(南丹市園部町・八木町・日吉町、船井郡京丹波町)に分布する観音霊場。 廃寺になり観音堂だけが残る所もあるが、かろうじて観音霊場としての実態が維持されています。随時、このブログにて紹介していきたい。

普済寺は丹波船井郡三十三ケ所観音霊場の第二十二番の札所です。御詠歌額は仏殿の正面、鰐口の上辺りに掲げられるが幾星霜を感じます。文字の剥離が進み、数か所解読は難しくなっている。何時頃、誰の書かは今のところ不明。額裏に書かれているかも知れませんね。

【22番 大慈山普済寺 大慈山民を あまねく 救ふなる 御寺ふりにし 雨乞が嶽 普済寺】

曹洞宗日面山浄光寺

2019-12-08 | 神社仏閣
曹洞宗日面山浄光寺


気分は足の裏から伝わってくる。晩秋を探しに出かけよう「亀岡市・丹南市のぶらり歴史さんぽ…」山裾から古刹や石仏がひょっこり顔を出す。この出会いを楽しんでいる…。
「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と読みます。曹洞宗の寺ではお馴染みの戒壇石(結界石)ですね。修行の場に妨げになる酒や精力のつくネギ・ニンニク・ニラ等を持ち込んだり、食べた者は立入禁止という戒めです。

この寺は大谷地区の山裾にあり、曹洞宗日面山「浄光寺」です。若森地区にある普済寺の末寺にあたります。
開基開山は浄室永潤和尚で、寺の由来起源は不詳。