地蔵尊堂 御詠歌
(園部町半田相田)園部町の民俗(風習・習慣)落穂拾いを楽しんでいる。旧船井郡西国三十三所観音霊場巡りをしているが、…巡礼道に人影はない。半田相田の地蔵尊は番外ですが詠歌が掲げられている、文字は薄れ判読不可であったが、地元92才の元気なお婆さんと偶然出会う、当時を回想し詠って頂いた。この谷に(地区)二人した詠える人はいない…今は詠歌の役目は終わったが…次の世代へと繋げてほしい…。
御詠歌
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】
鎌倉時代、三井寺の僧が「観音霊所三十三所」を回った事よりはじまっている伝記(寺門高僧記より)。当初は僧や役行者が主であったようです。室町時代頃に入り、一般庶民に普及し、数人単位で巡礼するようになる。当時、一庶民の移動は制限があった中、巡礼については比較的緩やかであったようですね。
御詠歌
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】
手前が地蔵尊の祠、奥に無縫塔(卵塔)四基がみられます。地元ご老人(92才お婆さん)が維持管理されています。
無縫塔(卵塔)
その昔、この地に『りんしょう寺』と呼ばれた寺があったが、今は寺の歴代住職の無縫塔(卵塔)四基と地蔵の祠のみ…。栄枯盛衰をかんじます。
(蛇足)鎌倉時代に禅宗に伴い宋より入ってきました。一見卵の形に見える所から卵塔とも呼ばれます。この塔をみれば曹洞宗・真言宗の和尚の墓とわかりますね…