ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

神社仏閣

2018-02-27 | 神社仏閣
最福寺(園部町埴生)



丹波国船井郡の33ケ所霊場(京都府南丹市園部町埴生中西52)
※寺の縁起の詳細はわからないようです。往昔、本堂を焼失し経典・仏像・寺文書等灰になっている。
※その昔は本堂に向かって右手に梵鐘堂、左手には寄棟造りの薬師堂が建っていたという。天文年間(1532-1555)の創建であったが、昭和26年2月に無惨にも焼失する。此の時、数体の脇仏も被害にあい…400年の歴史・文化財が消えてしまった。
※梵鐘(釣鐘)は先の太平洋戦争の時に、応召(おうしょう)の鐘として供出されている。昭和18年頃と思われます。(長引く戦争で金属資源が不足になり、政府が発令した金属回収令がでました。)
※曹洞宗の寺院の山門前(薬医門)には『不許葷酒入山門』の石柱が見られます。読み方は〝くんしゅにゅうざんもんにはいることをゆるさず〟と読みます。タマネギ・ニンニク・ニラ・ラッキョ等匂いの強い野菜等を食べて寺に入ってはいけませんと言う意味ですね。俗にいうと精の付くものは修行の邪魔になる?…からでしょうか。


篠山街道(旧山陰街道)

2018-02-22 | 歴史

山陰街道 野口駅
園部町・南大谷小字野口は国道372号沿いに集落がある。当時は10軒余りの民家があるにすぎない。ここに野口駅が造られた。
当時の駅間距離間は30里(現在の5里)と定められていたが、若干の距離の違いは許されたようです。野口駅の先は大枝駅で4里10町の距離である。
北西に広がる田園、延喜式内社薮田神社の森が望まれ、浄光寺参道沿いには台地が点在し、今は竹林や栗林に代わっているものの、勝っては大きな集落や屋敷跡があった…偲ばれる。

篠山街道の奇岩

2018-02-22 | 奇岩

雨乞い水岩

大河内の雨乞い神事
幾日も日照りが続くと谷川も小川も水が枯れてしまいます。田に水を引くことが出来なくなってしまいます。特に「穂孕(ほばらみ)」の時期にみずがなくなると、秋の収穫に大きな打撃を受けます。「困った時の神田頼み」大正13年に神様に慈雨をお願いして「雨乞い」と言う神事を行った。村一番高い天狗岩(700m)の広い頂で、大きな焚火をして慈雨を祈った。
当日は全戸各一人、草刈鎌・鋸等を持ち山仕事の格好で、瑠璃系の鳴瀑に集合した。近くに祀られているお地蔵様の頭を固く縛り、雨を降らせてほしいと願い「叶えてくだされば元にお返します」と唱えながら淵に沈める。そして一行は天狗岩を目差して登る。山頂一帯を広く草を刈り、柴を1000束ほど作る。防火を万全にし、点火をする。天を焦がす勢いで燃え上がる。回りを囲む人たちは「雨をふらしたまわれ」と連呼する。不思議なことに雨乞いの後には、ほどよい雨が降ったという。
*穂孕(ほばらみ):稲などの穂が出る前に,穂を包んでいる茎の部分がふくらむことです。

 ※過去、能勢町の三草山、豊能町の青貝山・鴻応山・高岡山なども雨乞い神事が行われた。

篠山街道(旧山陰街道)ぶらり散策

2018-02-20 | 石仏

相撲碑
向って左りの自然石、その中央に『早霍(そうかく)』右横下に『角力 門ノ中』、左に『俗名』『中井儀左衛門』と銘刻されている。中央の字は産・靇‥の字にも読めるが、難解なくずし字である。一応、霍と解読する。
右の石塚の銘文ははっきり読み取れますね『志賀の浦塚』、右横下に『角力連中』と銘刻する。二基とも間違いなく郷土相撲力士の塚である。地元の古老に聞くと、若森地区の方が不定期ではあるが塚に花を手向けにこられているそうです。


中央に『早霍(そうかく)』右横下に『角力門ノ中』、左に『俗名』『中井儀左衛門』


おきた地蔵 ねむた地蔵
二基の石造物は山形の板石塔婆です。主に供養塔として使われる。頂部、山型の部に二個の〇が付いている。これは日輪で太陽をあらわしてると思われる。 板碑に刻まれた銘文を解読すると。
枠内の上部中央にキリーク(阿弥陀)の梵字が見られる。その下部に文字らしきものがあるが、判読不可に近い。汚れを落とせば何とか解読可!程度。枠外右側に建立の年代が読み取れる。何とか二十は判読可、歳(年)と読める。二十から年号を割出すと、寛永20年(1643)癸未、享保20年(1735)乙卯、明治20年(1887)丁亥に絞られる。さて枠外側(左)には造立した月日・干支が刻銘されるのが一般的である。この板碑にも銘刻があるが判読できたのは十月吉日のみで他は判読不可。汚れ洗いをすれば判読可と思われる。
*左の山型の石板碑には『帰依佛(きえぶつ)』と刻銘、基壇に蓮華が深く付けられている。造立年月日は見当たらない。
※帰依とは神仏や高僧などのすぐれた者を信じ、それによりすがること。
*どちらが『おきた地蔵』か『ねむた地蔵』かは、地元の人でも分からない。摩訶不思議な地蔵さん。
追記:地蔵の前の道が旧篠山街道(旧山陰街道)です。昔の四尺道で、大八車が通れる道幅ですね。


愛宕信仰の石燈籠



この石燈籠は元埴生郵便局前の旧篠山街道沿に立っている。
愛宕信仰の石燈籠
正面には『宝永七(1710)庚寅年願主』
 左側に『十一月十一日 施主 七人』
刻銘されていることから判断すると、308年前に建てられた愛宕さん信仰のものと思われる。
11月11日に施主7人が建立したことがわかる。
かなり風化が進んでいるが、なんとか解読可です。読める方は解読にチャレンジして下さい。