ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

魔除け・火伏せ・招福の願いの寺

2020-07-27 | 神社仏閣
徳雲寺(曹洞宗)のハート探しをしよう…!
寺の楼門をくぐり右側に釣鐘堂(梵鐘)がある。瓦葺の屋根は切妻造り、この妻側破風部に「懸魚(げぎょ)」が付く。よく見ると小さなハート型にくりぬいた猪目(いのめ)があります。イノシシの目に似ている所から名が付いたという(ハートを逆にした形)。魔除け・火伏せ・招福の願いがあるとも云われている。その下に蟇股(かえるまた)があり、社寺建築では梁の上に置かれ上の荷重を支えている。ここにもハートが見えます。日本の最も古い彫刻紋様の一つです。猪は火伏せ神の御使い、火事から建物を護ると云われている。
外のお寺や神社などでハートマークを探してみよう!

<鐘撞堂・梵鐘>

<妻側につく懸魚に猪目がつく>

<蟇股の中にもハート紋様が…>

<新型コロナウイルス感染拡大が…収束しますようにと…>

徳雲寺の甕(かめ)

2020-07-26 | 神社仏閣
~「かめ・甕」と「つぼ・壺」の違い~
徳雲寺の禅式庭園内、手水鉢の傍らに>『大きな甕(かめ)』が置かれている。この甕は京(園部)の某料亭から当寺へ寄進されたもの(寺住職談)です。今では禅式庭園によく溶け込んでいる。
胴部に『弐石七斗入□□□中』と銘が入るが、一部、解読不可の文字が…あります。この字は甕の大きさを指し、右には作者のサインが入る。一度解読に挑戦して下さい(解読ができれば…教えて下さい)。

 <口が広く胴の三分の二以上のものを甕と呼ぶ。胴から底に向かってすぼんだ形が大きな特徴です>

<実測すると、口径…56㎝・胴径72㎝・高さ98㎝程
二石七斗とは、一石=10斗=100升=180ℓ。容積は486ℓとなりました!>

龍吐水に温故知新

2020-07-24 | 神社仏閣
徳雲寺の龍吐水に温故知新

徳雲寺の寺歴によると創建より過去5度、火災の悲運に会う。什具・文書・経典類等が烏有となっている。
再々寺を訪ね探訪させていただいている。法事を終えられた住職様に挨拶をする。楼門の二階の回廊にある消防ポンプ「龍吐水(りゅうどすい)」を見せて戴けないかと無理を願う。快く案内いただいた。ラッキーである。
龍吐水は、放水する様子が、龍が水を吐くように見えたことから名付けられたと云われている。もとは享保年間(1716~36)にオランダから渡来したとも云われ諸説あり。
 呼称は万龍水・龍起水・鮮龍水・双龍水、雲龍水・龍吐水等があるようです。当寺の龍吐水は、経年劣化し銘が消えかけているが、『明治二拾六年八月新調』と読み取れる。明治17年(1884)年末頃になると、国産の腕用ポンプが改良され消防ポンプ能力が飛躍的に進むが…放水能力は20㍍程!。当時のものが徳雲寺で現存保存されている。明治初期頃の日本の消防知識を知る貴重な文化財遺産である。

<境内から楼門二階の龍吐水を…>
<住職の案内で楼門の二階部へ…>
<回廊は1㍍弱!>
<明治二拾六年八月新調>の銘が読み取れる
<楼門二階から…この場所からめったに撮れないチャンスを戴く。本堂・禅式庭園・釣鐘堂・灯籠等>

ふくろうの手水鉢

2020-07-24 | 石仏
徳雲寺の手水鉢
歴史の息吹を伝えている。見て歩いて郷土歴史の一端に触れる…至福のひとときである。
徳雲寺は徳川時代園部藩主小出伊勢守吉親(こいでいせのかみよしちか)の菩提寺である。当寺が吉親の菩提寺となった頃、園部藩主の御廟所にあった「手洗鉢」を、当寺に持ってきたと聞く…。手洗鉢の四隅にふくろうがつく珍しい什具逸品である。高さ65㎝・横幅150㎝・縦幅80㎝。花崗岩製の石で造られている。四隅のふくろうの大きさは、高さ50㎝・幅20㎝の大きさ、足の先まで丁寧に彫り込まれている。銘文はなく詳細は不明。ふくろうは護法鳥と呼ばれ、宗法を護鳥として珍重されている。漢字で書くと不苦労(くろうあらず)と読む。この手水鉢は、小出吉親が先祖の地、尾張国(愛知県)熱国でコレクションの一つとして手に入れたもの…。前任地の出石から園部へ移封(転封)した時も手放さず持ち来たものと言われている。

 
<高さ65㎝・横幅150㎝・縦幅80㎝、花崗岩製>

<ふくろうの大きさは、高さ50㎝・幅20㎝>


徳雲寺の梵鐘(曹洞宗)

2020-07-23 | 神社仏閣
徳雲寺の梵鐘
徳雲寺の鐘が「時」を告げはじめたのはいつ頃だろうか!!境内案内板から文化年間(1804年~1818年)と推察するが…。詳細は分からない…。
さて昭和18年、日中戦争から太平洋戦争に入り、戦局激化する。それに伴い物資不足が起こっている。特に金属類不足となり、政府は官民所有の金属類回収令をだす。この時、徳雲寺の梵鐘も、応召の鐘(供出)となっていることが、鐘の銘文から過去の行跡を知ることが出来る。
新たな時を告げたのは昭和二十二年の十二月、妙音が塩谷の谷間に響き渡る。



 【施主  當寺檀信徒有縁之道俗  発願主 山主】

 【銘曰 曩所蔵供出 新鋳復旧観 佛法音矣 願存亡等安】(嚢所のうしょとは、昔からの意味)
 【塩田山徳雲寺什具 三十八世朴道代 昭和廿二年十二月造之】