ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

「天下一釜師」の梵鐘

2020-08-24 | 神社仏閣
~南陽寺の梵鐘~
南陽寺の鐘が時を告げはじめたのは慶安四年(1651)と伝えられている。現在の鐘は享保十六年(1731)に造られたもので、鐘の銘文によりますと遠近告報十二時使仕途中市井者旅行山林者…」とあって村民や旅行山林労務者等に時を知らせ。さらに太守小出君福源院殿(初代藩主)の冥福を祈るため当時の小出秀貞公(四代藩主)が寄進されたもので、同寺の住職は大眞文整和尚(四世)と記されており造りは京師釜座、和田氏藤原国次作。戦時中、全国の多くの鐘は供出(応召の鐘・出兵鐘)されたが、終戦後無事に還元鐘となり京都府の梵鐘保存会認定を得て保存されたという由緒ある銘鐘である。

鐘銘刻には『享保十六年辛亥歳二月吉日 勅請所住徳持当山四世◇祖比丘大眞文整』



銘文の中に鋳物師、三代目・和田信濃大掾(だいじょう)藤原国次作。大掾は日本の律令制下において、国司の第三等官に与えられる名誉称号である。初代から九代まで和田信濃大掾藤原国次を継いでいるが、時代の大きな変革の中、十代目から和田美之助を名乗。

大塚春嶺 龍の天井絵

2020-08-23 | 神社仏閣
龍が棲む南陽寺

南陽寺の広い本堂には方丈様に案内戴く。本尊の釈迦牟尼仏にまずは…合唱。
本尊前の鏡天井には圧巻の「龍の天井絵」が描かれている。右下に落款が押され大塚春嶺が明治43年(1910) 庚戌の歳八月中旬の作品であることがわかる。春嶺は幕末・明治期に活動した日本画家です。
龍は仏法を守る象徴である。しばし不謹慎ではあるが、寝ころがってにらめっこを…。龍の目は鋭く八方睨み、見る位置や角度によって龍の動きや表情が変化するように見えるから摩訶不思議。龍が法の雨(仏法の教え)を降らすと云われている、また龍神は水を司ることから「火災から守る」という意味も込められています。各寺院の破風などにも龍の字を書くことも多い。

春嶺は京都府船井郡園部村(現・園部町美園町)に生まれています。晩年は園部小麦山の麓に居住しています。
…新型コロナウイルスの収束を願う…経済が社会が…右肩上りの上り龍になりますように!

寺の紋、五七桐と竜胆紋

普済寺「観音堂」の須弥壇に魅せられて

2020-08-13 | 神社仏閣
~普済寺・観音堂の須弥壇に魅せられて~
連日、猛暑(35度!)が続いている。加えて新型コロナウイルス感染拡大収束せず…外出時はマスク着用で3蜜を避ける。団塊の世代の老体は悲鳴を…。お寺さんとご縁を頂き観音堂へ入らせて戴いた。このような機会は…そうあるものではありません。牽強付会、誤記には気を付けたい。

普済寺観音堂(仏殿)の須弥壇の上は鏡天井(かがみてんじょう)となっている。格縁(ごうぶち)を入れ天井板を支えている。禅宗様建築に多くみられます。床は禅宗様寺院では、瓦の四半敷が通例であるか、この仏殿では板張りとなっている。四半敷(しはんじき)とは正方形の瓦を平たく床に敷く技法です。

少し須弥壇の紹介を…屋根は向唐門でその上に千鳥破風を付け、杮葺(こけらぶき)?仕様。屋根勾配はきつく、上層屋根の軒反り大きく大胆に反る。本尊を祀る須弥壇の天井は「鏡天井」、正方形に作るのが禅宗様の通例であるが…私には長方に見える?正確に測っていない。当然その上に鏡天井が付く、平らな板を張って鏡面のように仕上げる処からきています。「組物」は柱と柱の間にも入れる「詰組(つめぐみ)」や「三手先」が数多くみられる。この本堂では「蟇股」は見られませんね。禅宗様では蟇股は使わないのかもしれません?等々…知れば面白い寺である。

普済寺・観音堂の千躰地蔵菩薩

2020-08-12 | 伝承
普済寺の千躰地蔵菩薩
京都府南丹市園部普済寺に残る珍しい文化財を紹介。普済寺観音堂(仏殿)内部中央に須弥壇を、右奥に千種姫が安置されている。…その堂内長押(なげし)に『千躰地蔵菩薩像』が納められている。極小(約10㎝)の地蔵菩薩像が…千躰は圧巻です。
『足利尊氏の父、貞氏は子のないのを嘆き、鎌倉の覚円寺の地蔵堂に子が授かりますように千日祈願したところ、念願の子(尊氏)が生まれました。尊氏は生まれながらにして地蔵顔でもあったという。この地の地蔵を厚く崇拝したとの言い伝え・逸話等が残る。
(参考資料/園部町立西本梅小学校昭和49年卒業生記録集より)』

普段は未公開なのですが、毎年8月10日の観音堂の千日参りは拝見可。観音堂の扉が開くため、外からでも一部見ることができはず…。堂内見学叶えばケヤキ材の丸柱や木の年輪も楽しんで下さい。丸柱は別名:粽柱(ちまきばしら)とも呼ばれる。堂の梁・棟を支える組み物(三ツ斗)等も必見です。

< 堂内の長押(なげ)しに千躰地蔵菩薩が…その数千躰。子どもが授かりますように…願えば叶う? ありがたい地蔵さん >


< 過去、どれほどの人が手を合わせ…願ったことだろうか… >
< 堂内から正面の弓欄間が逆光に波打つ。初めての体験である >

普済寺・秘仏千種姫と千日参り

2020-08-11 | 神社仏閣
秘仏の『千種姫尼僧像』に会いたくて…普済寺の仏殿
秘仏の扉があいた。千種姫尼僧像に会いたくて…待つこと2年余り。" 織姫と彦星" のような出会いの気分! 

「普済寺」は足利尊氏の妹(千種姫)が開基として創建したと伝えられる。本堂の北、雨乞嶽の谷間に観音堂(仏殿)が建つ。方三間檜皮葺は禅宗様寺院の特徴を各部に持つ。仏殿は薄暗く決して豪華絢爛な内装ではない。須弥壇の上は鏡天井で禅宗寺院様式、床は全て板張りで簡素の中に荘厳な雰囲気が漂っている。中央に須弥壇(厨子)は50年に一度のご開帳の本尊・十一面観音像が安置、その右脇侍に「千種姫尼僧坐像」(厨子)に入る、周囲の長押(なげし)に打ち付けられている「千躰地蔵菩薩」は他に類例がない!等が…どっしりと坐す。年に一度、観音堂(仏殿)の千日参りの日のみ姫像の厨子の扉があく。この時を逃すと…一年、拝することができない秘仏である。
この千種姫像は郷土歴史史料等によると近世(江戸初期)に入ってからの製作と伝えられている【京都府南丹市文化財】。
許可を頂き実測すると姫坐像は高さ60㎝、木彫造りである。…左右の肩から腰に掛け亀裂が入り、特に左肩のヒビが目立つ。ボリューム感は十分、戦乱の世を力強く生き抜いた尼僧の強い意志が…。喜色満面の丸顔に目尻は長くきれ、凛とした容貌が印象的である。


<厨子の中の扉があく。1間(いっけん)の間に、厨子が「千種姫尼僧坐像」が安置されている>


<印相は禅定印、深い瞑想に入られている姿が…。近世は江戸初期の作と思われ、木彫造り寄木のように思われます。
若森地区の南丹市の貴重な文化財を次の世代へと>


<本尊・十一面観音像のご開扉は50年に一度の秘仏>
<長方形の須弥壇の中に鎮座する。壇の組み物は禅宗様の形式の繰形(くりがた)を多く使用し、細かい段を重ねている>
普済寺の檀家役員さんによる千日参りの準備、本堂前に幕が張られる。
<毎年お盆の8月10日と決まっている。若森の人たちによって季節の収穫物(スイカ・トマトなど)が供えられる。その昔は夕方より盆踊りや夜店、花火もあり賑わったそうです…今は昔の話。今年は新型コロナウイルス拡散、3蜜の関係で催しは縮小…異例の千日参りとなりました。
ちなみにこの日にお参りすると千日お参りしたご利益があるそうです>

<寺の卍の紋と輪宝紋が印象的>