にわとり塚 雨乞嶽 (園部町若森)
園部町の逸話を追い続けている…。世にあまり知られていないが…興味深い話である。普済寺観音堂は船井郡西国三十三所観音霊場巡りの二十二番の霊所で知られている。お堂正面の鰐口上に御霊歌(和歌)が掲げられている。『大慈山 民をあまねく すくうなる 御寺ふりにし雨乞嶽』とある。さて、歌の中の雨乞嶽は何処なのでしょうか!気にかかる?。園部町南大河内に雨乞嶽があるが…離れすぎている。郷土古書類を調べていくと…どうも普済寺観音堂の裏山の峰(181m)が、雨乞嶽らしいことが判明。京都府立農芸高校の住所が南大谷下芝雨乞嶽になっている。その数百メートル東に観音堂が建つ。小松林の峰の一部に昭和24年頃、船南中学校が開校、38年頃廃校、その後、園部高等学校船南分校となり…現京都府立農芸高等学校となっている。
この山は地元では「にわとり塚」とも云われ、いろいろの伝説・言い伝えが今に残っている。『この塚(古墳・墓)には金の鶏がいけてあると云われ、正月元旦早朝に、此のところから鶏の声を聴いた人は大金持ち(幸せ)になると言う。いい話ではあるが…いまだに一人も聞いた人はいない』とか…(昭和18年生、地元の方の話)。
塚(古墳・墓)は誰のものかは今のところ分かっていない?が、高貴な人…に間違いない。墳墓地は平滑地にされ管理が行き届き塚とおぼしき処に、五輪塔の笠のみが残されている。かってはこんもり築山になっていたように思われる。今は天井が落ち少し窪みが出来ている。この塚より西へ少し歩くと普済寺観音堂の大屋根が見える。
<大慈山 民をあまねく すくうなる 御寺ふりにし雨乞嶽>
<『にわとり塚』の全景、奥の木の根元に五輪塔の笠(径24㎝)のみ確認、供養塔であろう>
<府立農芸高等学校の看板、奥右の山がにわとり塚>
<農芸高校が飼育する牛が、遠景に望む>