ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

園部町天引峠の今昔

2018-03-22 | 街道
天引の薬師堂
園部町の埴生からR372号を西へ、天引峠を越えると天引の集落が目に飛び込んでくる。村は山裾に寄り添うように点在している。ここに小さな薬師堂が風景に溶け込んでいる。



この薬師堂には薬師如来像が祀られ、病気・ケガや苦悩を癒して下さる慈悲深い仏がおられる。このお堂の前には往古から道があった。さかのぼること646(大化2)年に山陰道となり、大和から丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、岩見、隠岐を結ぶ国造りの道となる。
江戸時代は篠山街道として往来が盛んで、天引は宿場として栄えた歴史を持つ。
薬師堂は村の人々や旅人の無病息災と旅の安全を願って建立されたもの伝えられている。これを証すものとして、薬師堂の鰐口(わにぐち)に寛文8(1668)年戊甲と刻まれている。この頃にお堂が建立たれたのでしょう。歴史は古い。


園部町埴生の断層

2018-03-21 | 自然
埴生の断層


京都府南丹市埴生に「埴生断層」と呼ばれるところがある。園部町天引から埴生を経て亀岡市宮前町まで約10㎞に渡って続いている活断層です。旧西本梅小学校前(廃校)に見る事が出来ます。露頭(ろとう)は、丹波山地を構成している中生代ジュラ紀の地層(一億五千年前)と、その上に重なる第四紀の礫層(数十万年前)が、どちらも断層で切られており、南側が約1メートル落ちています。辺りの山裾を歩くと礫(レキ)が目に入る。
地層に興味のある方は、一度、訪ねてみては…。(本梅深友会設置の案内板より)


篠山街道の〝蔵〟

2018-03-19 | 街道
旧宿場町埴生の〝蔵〟に引かれ…
街道に蔵(くら)がよく似合う。埴生は人・物・文化等が行きかう宿場町として繁栄した。宿場の中心部街道沿いに米嘉(屋号)と呼ばれる酒造元があった。創業は嘉永元年(1848)、今から170年前のこと、銘酒「瑠璃乃誉」は爽やかな辛みに仕上げ上撰・蔵出しは癖になる。口いっぱいに広がるまろやか感は広く庶民に親しまれていた。顔を赤らめ…酒談義に商談に花を咲かせたことだろう。…明治を乗り越えた蔵は幾星霜である。

土蔵(どぞう)また蔵(くら)は日本の伝統的な建築様式で、切妻造が一般的。柱間は三尺(90cm)で柱の間に貫(ぬき)という材料を横に入れ、格子状に竹を細かく入れシュロ縄で下地をつくる。ここに壁土を何回も塗り重ね、20cm程の厚さに仕上げる。仕上げにその上に漆喰(しっくい)を塗る。蔵は防火・防湿・防盗構造に優れた建築物である。

伊能忠敬、没後200年を迎え

2018-03-17 | 街道
篠山旧街道・園部町埴生を測量
伊能忠敬(いのうただたか)といえば、日本地図をつくった人です。全国各地を歩いて測量し、17年の歳月をかけ『大日本沿海輿地(よち)全図』を完成させています。…実は「京都府南丹市園部町埴生」、篠山(山陰)街道の測量に入っています。今年は忠敬没後200年の節目の年でもある。〝ゆかりの地〝埴生を歩く…

当時の測量記録によると、文化11年(1814)2月12日、埴生村に本陣(宿場)として野々口善助、塚脇重右衛門に泊まっている。忠敬70歳の時である。
忠敬は地球に大きなロマンを抱き…日本津々浦々歩き測量、北極星を観測し常に自分の位置をわり出していた。測量方法は「1歩=70㎝」の歩測を積み重ね、又一間(約180cm)ごとに印を付けた縄(間縄=けんなわ)を使う。…何と地球一周4万キロを歩いている。


普済寺の扁額

2018-03-15 | 古文書
普済寺の扁額

普済寺の扁額
『転法輪(てんぽうりん)』
南丹市園部町若森「普済寺(ふさいじ)」の本堂に扁額が揚げられている。今回は扁額の解読に挑戦する。
さて…何と読むのか!読めない。いったん気になりだすと落ち着かない性格。
扁額字と古文書辞書とのにらめっこ…。字は楷書→行書→くずし字へとくずされていく。くずし字は筆の運びの方向に着眼しないと解読は…難しい。真ん中の「法」は読めたが、前後の字が超難解であった。
解読するのに一週間ほどかかった。間違った発信はお寺様にご迷惑をかけるので、ここは慎重に。まず普済寺の住職に『転法輪』で間違いないか確認する必要がある。3月15日、寺では涅槃会(ねはんえ)の法要・法話日。偶然お会いでき『転法輪』と読む、確認が取れた。
転法輪とは仏が教えを説くことお釈迦様が法を説くことを意味する(ネットより)。