天引の薬師堂
園部町の埴生からR372号を西へ、天引峠を越えると天引の集落が目に飛び込んでくる。村は山裾に寄り添うように点在している。ここに小さな薬師堂が風景に溶け込んでいる。
この薬師堂には薬師如来像が祀られ、病気・ケガや苦悩を癒して下さる慈悲深い仏がおられる。このお堂の前には往古から道があった。さかのぼること646(大化2)年に山陰道となり、大和から丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、岩見、隠岐を結ぶ国造りの道となる。
江戸時代は篠山街道として往来が盛んで、天引は宿場として栄えた歴史を持つ。
薬師堂は村の人々や旅人の無病息災と旅の安全を願って建立されたもの伝えられている。これを証すものとして、薬師堂の鰐口(わにぐち)に寛文8(1668)年戊甲と刻まれている。この頃にお堂が建立たれたのでしょう。歴史は古い。
園部町の埴生からR372号を西へ、天引峠を越えると天引の集落が目に飛び込んでくる。村は山裾に寄り添うように点在している。ここに小さな薬師堂が風景に溶け込んでいる。
この薬師堂には薬師如来像が祀られ、病気・ケガや苦悩を癒して下さる慈悲深い仏がおられる。このお堂の前には往古から道があった。さかのぼること646(大化2)年に山陰道となり、大和から丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、岩見、隠岐を結ぶ国造りの道となる。
江戸時代は篠山街道として往来が盛んで、天引は宿場として栄えた歴史を持つ。
薬師堂は村の人々や旅人の無病息災と旅の安全を願って建立されたもの伝えられている。これを証すものとして、薬師堂の鰐口(わにぐち)に寛文8(1668)年戊甲と刻まれている。この頃にお堂が建立たれたのでしょう。歴史は古い。