園部町殿谷の西国巡礼碑二基
南丹市園部町殿谷の集落の南端に小山田墓地がある。墓地の脇道を登ると立派な石造物(板碑二基)が建っている。
写真(左)『延宝(えんぽう)九年(1681)八月十八日 奉西国三十三所観世音菩薩 殿谷村同行拾四人』
(右)『元禄四年(1691)□□月、奉供養西国三十三所 同行□人』の紀年銘が入り、何とか解読できるが一部、解読不可有り。この板碑は当時の歴史を知る上で大切な文化財(資料)である。
西国三十三所巡礼は、第一番青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)から始まり第三十三番華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)まで、巡礼距離はなんと900k㍍を超えるという。巡礼者が霊場で氏名・願文を書いた札を巡礼先の寺に納めます。成就するには数ケ月かかる…。功徳を積む覚悟の巡礼であったと思われます。この板碑はこの人たちが満願成就した記念として建立したと思われます。
江戸前期の頃、村人は自由に他国へ移動することは許されません。この板碑をみているとその時代、社寺参詣をする人については藩主(領主)・庄屋も容認していたようですね。
あくまでも巡礼が目的とした旅であるが、巡礼者は道中各地の景勝地を訪ねたり、その土地の文化に触れたり…巡礼の喜びを旅を楽しんだと思われます。
南丹市園部町殿谷の集落の南端に小山田墓地がある。墓地の脇道を登ると立派な石造物(板碑二基)が建っている。
写真(左)『延宝(えんぽう)九年(1681)八月十八日 奉西国三十三所観世音菩薩 殿谷村同行拾四人』
(右)『元禄四年(1691)□□月、奉供養西国三十三所 同行□人』の紀年銘が入り、何とか解読できるが一部、解読不可有り。この板碑は当時の歴史を知る上で大切な文化財(資料)である。
西国三十三所巡礼は、第一番青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)から始まり第三十三番華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)まで、巡礼距離はなんと900k㍍を超えるという。巡礼者が霊場で氏名・願文を書いた札を巡礼先の寺に納めます。成就するには数ケ月かかる…。功徳を積む覚悟の巡礼であったと思われます。この板碑はこの人たちが満願成就した記念として建立したと思われます。
江戸前期の頃、村人は自由に他国へ移動することは許されません。この板碑をみているとその時代、社寺参詣をする人については藩主(領主)・庄屋も容認していたようですね。
あくまでも巡礼が目的とした旅であるが、巡礼者は道中各地の景勝地を訪ねたり、その土地の文化に触れたり…巡礼の喜びを旅を楽しんだと思われます。