暗い執務室に二人の老人が、おでこに深い深いシワを寄せて、向かい合って座っていた。
「大統領」と、他方の老人が呼びかける。
「ケイス君」と、大統領。
ここで稲妻でも走れば、二人の老人の心境を形容しやすいのであるが。外は昨夜からの小雨が続くだけの、静かな暗い朝である。
「私は昨日の夜、聞いてしまったのだ。」と大統領。執務席の前の接待用ソファに、脱力してのけぞる。
「私は今しがた、大統領から聞きました。」と、ケイス君こと補佐官。大統領の向かいのソファで、顔を片手で覆って、長い長い溜め息をつく。
「この世が終わるなどということが世間に知れたら……。えらいことになる。」大統領はのけぞったまま、両目を手のひらで揉む。寝不足なのだろう。
「でも絶対、漏れますよ大統領。ノストラダムスやエリア51なら、オカルトで一蹴できますが。政府発表となると、話は別ですから。」ケイス君は、ソファに座ったまま両膝をかかえて、爪先立ちしたり、やめたりする。
トントンと、執務室の厚いドアが鳴る。補佐官が応じると、ドアの向こうから白衣の聖職者があらわれた。これも相当な老練。
「おお、サドバド卿。朝早くから申し訳ない。」立ち上がって、大統領はサドバドと呼ばれた品のよい老人と、しばし握手を交わす。
「秘め事との補佐官のご注進がありましたので、人目を避けて参りました。」サドバドは静かに言う。左手のひとさし指の根元には、ダイヤモンドで縁取られた、大きなエメラルドの指輪が据えてある。
「こちらへ。」補佐官は自席をサドバドに譲り、自分は大統領の隣に、やや距離を置いて座る。
「サドバド卿、なにか、よい案はありませんか。」大統領は懇願するように身を低めて、斜め下からサドバドの顔を仰いだ。ケイス君も同じ心境のようだ。
五千年の宗教の叡智は、悩める二人の子羊に微笑みかけると、うんと、うなずいて見せた。「公表しましょう。この世が終わることを。」
えっ!と、大統領も補佐官も、ソファの背にのけぞった。二人とも、続く言葉がない。
二人の様子を面白そうに見ながら、サドバドは腹の上に手を組んで、静かに言った。「この世の終わりが来るのを知って、なお苦しい目に遭おうという奴はいませんよ。」エメラルドがキラリと輝く。
大統領と補佐官とは、二人同時にお互いを見合って、二人同時にサドバドのほうへ向いて、「なるほど」とつぶやいた。
「終わりの日づけは、我々が決めるのです。我々の有利なように。」猫好きが猫をなでるように、サドバドはエメラルドをなでる。
ケイス君は言う。「待っていれば終わると知れば、もうどうせ終わるんだから、細かいことを言う気にもならない。」
「そうです。」とサドバド。
「この世を終わらせる何かがあるとしても、その何かをしようという気にならない。」と大統領。顔はサドバドのほうを向いているが、頭の回転のせいで、ひとりごとのように言う。
「そうそう。」とサドバド。「何もしなくても終わるんですからな。そこのところを、よくよく強調しておくべきです。」
「ケイス君。これは、案外、簡単かもしれんぞ。」と大統領。暗い気持ちはどこへやら。
「はい大統領。さっそく手配します。」と補佐官。年相応ながらもスッと立ち上がり、執務室を颯爽と出て行く。
「サドバド卿、またあなたに助けられましたな。」顔もほころぶ大統領。思わず両手でサドバドの右手をにぎる。エメラルドを他人にさわらせたくないのは、大統領も知っている。
「これも神のご加護です。」サドバドは左手で十字を切り、席を立つ。長居は無用だ。サドバドの手にくっついて、大統領も一緒に立ち上がる。なかなか離さない大統領。うまいところで電話が鳴る。
「私だ。」失礼という手振りをして、大統領は執務席の電話を取る。そのすきにサドバド退場。
「大統領、朝食のご希望はございますか。」と給仕のミス・デイビー。
「ポーチドエッグにしてくれ。」と大統領。日常の電話が、日常を取り戻させる。大統領は執務席につき、愛用のペンを取って、いつもの朝のように、メモ帳にサインのためし書きをする。