田中角栄の名演説
の、ひとつと言われているそうで。
アメリカに追いつけ追い越せ
(けっしてアメリカになるんじゃなく)。
ただ、銃は差し置くぞ、と。
アメリカの繁栄は、
銃と表裏一体です。
いや、犯罪って意味じゃなくて(笑
そういうネガティブな意味じゃなく、
ならずものの襲撃から
守るべきものを守ってきたから、
アメリカはあれだけ発展したんで。
その銃を差し置いて、
豊かさだけを導入した田中角栄。
日本人を再び侍にしてはならぬ。
が、しかし、日本を
グローバルスタンダードの一員に
しなければならない。
銃の部分は、アメリカが傘になりました。
あと、お前らは、
技術的、経済的発展を考えろ、と。
そして世界に貢献すればいい。
っていう、この世の要求を
見事に言葉にしているわ。この演説。
そして実際、
ニッポンは大いに世界に貢献した。
Made in JAPAN
って製品の添え書きが、
体現してたじゃありませんか。
そして、
数々の技術的革新、
いくつかの経済的ノウハウを残して、
ニッポンの役割は終わったわけです。
ニッポン発の二番煎じ、
スウェーデンになろう!
は、失敗しました。
ニッポンにはもう、
世界を惹きつけるものは残ってない。
パンはみんな食べてしまい、
ワインはみな飲んでしまった。
じゃあ僧服にキスをさせようか。
にわかに台頭してきたのは、
自衛という考えです。
そう聞いて、
自衛隊のひとは嗤うでしょう。
どうやって?www
と、ひそかに嗤うでしょう。
何のために…
と、絶句するでしょうな。
分かってるひとたちは、
ニッポンから逃げ出してます。
ほかにどうしろと?
もはや、
Made in JAPAN という添え書き同様、
日本人という肩書きだけで
迎えてくれる国はないです。
唯一残された、
「育ちの良さ」というイメージも、
国内外のいくつかの変な事件のせいで、
地に落ちようとしています。
今それは、
犯罪の受け子の素質として、
需要があるくらい。
鶏肉を食うには、
鶏をほふらねばなりません。
それも銃の一部です。
育ちの良いひとに、
それはやれない。
相当な元手があるひとは別ですが、
株ですら、
汚いギリギリの手を使わなければ、
満足できるリターンは得られない。
会社の経営とて同じこと。
けれどもそれらは、
当初の銃とは、別物の銃です。
石原"陳”太郎さんが言っていた、
「寄らば切るど」
の、守り刀ではない。
奪いに行くときの武器ですね。
そんな今時のニッポン人を、
何のために衛(まもる)の?
「俺がここにいるのは俺が警察官だからだが」
って、後藤隊長の台詞がありましたっけ。
「あんた何で柘植の隣にいないんだ?」
って言われて、無言で去っていく別室のひと。
ちょっと笑ってる?
(だから、俺があんたの所へ来たんだろ。)
って、言いたいのかしら(笑
まあそれは、お話の世界ですけど(笑
実際、今、
銃刀法の規制を解いたところで、
何ができるの?
80にもなって、
誰を切るべきかも知らないのに?
銃刀法の規制を解いたりしたら、
内憂に利するだけです。
アメリカの傘がもう破れ傘になってる現在、
日本人を銃禍から守ってくれているのは、
銃刀法くらいのものですから。
いわゆる憂国の志は、呟くかもしれないね。
「英雄を持たぬ国は不幸だ」と。
でもその回答は、
ブレヒトが1世紀も前に書いてる。
「違うぞ。
英雄を必要とする国が、不幸なんだ。」
この国は今、不幸のどん底です。