巨大ヒロイン・コミック計画

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『シン・ゴジラ』を観てきました!!【ネタバレ感想】

2016年08月17日 15時16分07秒 | 映画・ドラマ


 大変ご無沙汰しております。

 何とかリハビリも順調で、そろそろ制作復帰ができそうです。
 後遺症により少し身体障害者になったことで制作は以前よりも遅れがちになりますが、しかしどうしてもウルトラヒロインの同人誌(電子書籍)は、意地でも作りたいと決意を新たにしています。
 どうぞよろしくお願いします。


 さて……。
 話は変わりますが、現在ヒット中の『シン・ゴジラ』をついに観てまいりました!
 私は遠くまで出かけられないのでIMAXは断念し、近所のシネコンで上映してくれていたのを知って欣喜雀躍しました。
 これは這ってでも行くしかない!
 大げさですが、そんな気分で行きました!





















 ByNEETさんが作られた3Dデータをお借りして、さっそく遊んでおります。


◆ByNEETさんの「シンゴジラ」3Dモデル









◆3Dモデル「シン・ゴジラ」の置き場所




 というわけで、ここから以下は【ネタバレ注意】の内容になります。
 まだご覧になっていない方は、ご注意ください。
 よろしくお願いします。


 長くなるので音声朗読の動画にしてみました。


 良かったら、ご覧ください。




(以下、動画で読み上げたテキストデータです。動画よりも増えてしまっています……)




 私も、『シン・ゴジラ』を観てまいりました!


 ここから【ネタバレ注意】の内容になりますので、まだご覧になっていない方は、ご注意ください。
 よろしくお願いします。



 まず、良かったです! 面白かったです! そして、いっぱい驚きました!


 今回の『シン・ゴジラ』は、登場人物のバックボーン(家族愛やら恋愛ドラマといった類い)を一切排除し、ひたすら叙事を積み上げていくことをメインとしたドキュメンタリータッチに近い作風でした。
 それが通用してしまう――いや、通用させてしまった庵野監督の演出力に、ただただ呆然とするばかりです。
 特に3時間は越えると言われた分厚い台本の内容を、短いカットの積み重ねによるテンポの速さと、早口によるセリフ回しで見事に2時間に収めたという神業ぶりにも驚愕しました。
 普通そんなふうに無理をしたら、映画としては破綻したり、観客が追いつかなくなって逆に疲れて退屈になったり、失敗作になるリスクが高いのですが、それがそうならないという……天才肌の作家は、やはりひと味もふた味も違いましたね。
 そしてこれがゴジラファンのみならず、一般の人たちも賞賛しているということに、怪獣映画の「今後の可能性」を感じました。
 庵野監督が記者会見で語った言葉「これで日本映画の何かが変わると思います」は、予言だったのかもとさえ思えてきます。

 しかし当初、ネット上では『シン・ゴジラはヒットしないのではないか?』という不安の声がありました。
(参考ブログ『ゴジラはなぜ死んだか。そしてシン・ゴジラは復活できるか?』)


 私も、一番最初の予告編(蒲田駅前でエキストラが逃げ惑うだけの映像)を見た直後は、非常に不安にかられた1人でした。
 失礼ながら、安っぽい映像に見えてしまったのです。
 ごめんなさい……。
 完成したものを見るのが怖くなりました。
 期待が大きすぎたのでしょうか……。
 もちろんそれは、公開前の4月に発表されたゴジラの姿がハッキリと映された予告編によって、杞憂に終わります。

 もう恥ずかしいくらい、
 ――CGのゴジラが意外といい!
 新しい予告編を観たときに、そう感じました。





 着ぐるみ感(怪獣のヌイグルミらしさ)があって、どっしりとした重厚な動きがいい。このときは、まだ野村萬斎さんがモーションキャプチャーで動きを演じていたとは知らず……でも、神々しい存在感に、不安だった気持ちは一気に期待値へと舞い戻り、それどころか、より高い位置に期待度が増してしまったので、かえって心配になりました(苦笑)。

 さて、映画はすでにネットで語られているようにいろんな角度から見ることの出来る、味わい深い作品となっています。
 これはエヴァンゲリオンの実写版だと思って、ゴジラを使徒として見立てることもできますし、また3・11の震災の惨状ならびに福島原発事故当時の戦慄を思い起こすこともあるでしょう。
 出演した石原さとみさんが記者会見で語ったように「見る人の価値観や興味を持っている側面によって、様々に見え方が変わる映画」なのだと思います。

 私においては、ストーリー面の創作者(同人作家)からの視点として、この映画に「日本人が好む3つの要素」が入っていることに注目しました。
 日本人が好む3つの要素……。
 これが入った映画やドラマは、ヒットしやすいと思われます。

 それは、以下の3つになります。


①復讐(やられたらやり返す)

②大勢の仲間と苦難(目標)に立ち向かう(みんながひとつとなって、大きな目標をやり遂げる)

③下克上(小さくて弱い立場の主人公側が、自分より大きく強いものを倒す)


 つまり、やられたらやり返す、倍返しだというリベンジ性。
 味方がどんどん主人公の許に集まってくる点。
 そして敵は自分より大きな存在で、圧力をかけてくる点。
 これらは時代劇の基本で、昔はよく年末に放送されていた『忠臣蔵』にも入っている要素です。
 最近では『半沢直樹』『下町ロケット』『踊る大捜査線』などにも見受けられます。
 そして今回の『シン・ゴジラ』にも、見事に、この3つの要素が入っていました。





 復讐は、内閣がやられてしまい立川に移動して仕切り直しになった点。自分たちの陣地(政府がある永田町)から退去しなければならないシチュエーションは、まさに時代劇で言うところの城を明け渡すようなもの。都落ちした二番手、三番手の家臣が、仲間と共に一矢報いるという筋立てにもピタリと当てはまります。
 そして大勢の仲間がリベンジのために、1つの目標に向かって動き出すヤシオリ作戦もそうです。
 また巨大な敵とは、ゴジラと米国(および多国籍軍による核攻撃へのタイムリミットという圧力)となり、主人公たちは急遽、立川に間借りした長テーブルを並べただけの質素な空間からやり直すという弱小感を感じさせる絵作りによって、雌雄の対比がしっかりできていました。
 しかし、たとえ本部はみすぼらしくなっても、そこに集っている仲間は1人1人優秀で、やがて大きな力となり、最後は日本の底力を見せて下克上のような逆転劇を呼び起こします。
 このときに、今まで怪獣映画においては壊される側のポジションだった鉄道、ビル、働く車の数々が、逆襲する立場に回っている点――この逆転の発想は、純粋にスゴイと思いました。
 日本のインフラも含めた総リベンジだったのです!





 また、これも私が時代劇を連想した印象的なシーンの1つがあります。それは、主人公の矢口蘭堂が、クライマックスのヤシオリ作戦の実施で、作戦指揮所の最前列に立ったことでした。
 その姿は、まるで戦国武将の動かざる山の如しで、陣の最前列に立った若き殿様の姿にも見えました。
 こうなると、家臣の士気は否が応でも上がるというものでしょう。
 我らの、若き殿様のためにも戦うといった、武士道の精神を連想させた名シーン――。
 リーダーも命を賭けるという度胸を見せることで、現場の空気はいっそう引き締まり、ひとつにまとまります。
 仲間と困難に立ち向かう絵として、日本人の心の奥にある何かを奮い立たせるクライマックスになったのではないでしょうか。

 まさに、これは日本人の好む現場主義そのものですね。
 事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだという青島刑事の主張に対する、答えの絵を出してしまうといった狡さ(笑)。
 こうした映画として熱くなるポイント(ツボ)を押さえているからこそ、リピーターも増えるし、先に観た人は胸を張ってクチコミで学校や職場でお勧めが出来るのでしょう。
 ここが、怪獣ファンを超えて、ゴジラを観ていなかった若い世代からお年寄りまで、幅広い層の観客を満足させている要因なのだと考えます。



 そして改めてゴジラについて――。
 これが、もう驚きでした。
 昭和29年に映画館で初代ゴジラを見た観客の感じた恐怖とは、こういうことだったのかと、世代を超えて共有できてしまった人も多いのではないでしょうか。
 戦後間もない時代よりも身近に感じられた、震災での壮絶な被害や放射能の恐怖。
 恐怖を具現化したような、正体不明で巨大な生物のおぞましい破壊力。
 それは、私たちの固定観念を、いい意味で壊してくれたゴジラの第二形態の出現から始まります。
 初代ゴジラで元のデザインとなった「全身に魚の鱗を持った海棲爬虫類」としてのコンセプトを引き継いだかのように、リアルでゴジラらしくない異形の姿。
 それが、のちに陸上獣類への進化の過程をありえないスピードで見せてくれました。
 進化とは突然変異――。
 上陸した海棲爬虫類が異質なもの(ビル街)を認識して、自らの意志であるかのように立ち上がろうとする――ビルの高さに負けないように、もっと大きな存在になろうとする――自重で二足歩行など出来るはずがないと言われたことを、次のシーンでひっくり返す爽快感。言葉で説明するよりも説得力がある映像が展開されます。
 ゴジラの不気味な存在感を強調するためにも、このプロセスは必要な演出だったのでしょう。
 2足歩行での体重移動に役立つよう、上半身のバランスを取るための腕が同時に生えますが、こちらは進化の過程でのエラーだったのか、あまり長くなりませんでした。
 どちらかというと4足歩行から前脚が退化してしまった恐竜のように小さく、未成熟なままで止まってしまったのです。
 そのバランスの悪さが、却って初代ゴジラのフォルムにより近づけ、人が畏怖する形態にも近づけられているんだとゴジラ自身も(これはこれでアリか……)と、理解したかもしれません。
 とにかく、上陸した環境に合わせて、敵を威嚇するプロポーションを探りながら急成長させたプロセスは正体不明な生物への気持ち悪さと、一方で、生まれてきた子馬が初めて立ち上がろうと懸命になる微笑ましい光景とが、なぜかチグハグな印象として頭の中で重なります。
 私は、ここで生命の不思議と奇跡を目の当たりにした感動と恐怖を、同時に味わいました。
 この2つの異なる印象に、混乱させられる面白さ。
 ツイッターで70代の母親と見たら、鑑賞後に母親が「ゴジラが可哀想だ」と感情移入していたというツイートを見かけましたが、そういう親子で印象の異なる感想が出てくるのも頷けます。
 主演の長谷川博己さんも、インタビューで「ゴジラを応援したくなるような気分……」といった話をされていました。
 これも、進化の過程を経て、懸命に生きようとしているゴジラの姿に、人間界のエゴに対する反発、あるいはヒトの常識を超えた感動を覚えるのに近いものがあったのではないかと察します。

 そして進化したゴジラは、最悪の放射線を撒き散らし、やがて一気に吐き出します。
 この放射熱線を吐き出すのが、最終的な目的で生まれてきたかのように……。
 さらに、それを許された唯一の存在、つまり「人知を超えた神獣」であるかのように――。





 そもそも、ゴジラの上陸目的とは何だったのか?
 ネット上では、あらゆる説が飛び交っていますが、東京が最も電力を消費する場所だったから、本能的に敵意を覚えて寄ってきたという説が、シンプルで怪獣らしいと考えます。

 ただ、個人的にはそれだけではないようにも思えます。
 映画のタイトルの『シン・ゴジラ』の「シン」は、ラテン語で「Sin」(罪)という意味に邦訳され、人間のエゴが自然界を汚してきた罪という解釈で考えれば、核廃棄物の海洋投棄で海を汚染してきた人間の罪に償いをさせるために、ゴジラは人間が多く集まる東京の中心地で放射熱線を吐きまくることを目的に上陸してきたという推測がなり立ちます。
 つまり人間たちに裁きを与えるため、日本神話の世界から神獣(八岐大蛇ではなくシン・ゴジラ)として甦ったのかなと考えました。

 こう考えれば、放射熱線を吐き終えたあとに目的を遂げたゴジラが、ひとまず眠りに落ちて休息に入ったのも納得できます。
 ゴジラは体内エネルギーを貯めて活動再開したときに、さらなる裁きを下すでしょう。そのときに東京は、再び火の海と化すからです。

 また日本だけでなく、世界へ向けてゴジラが自分の分身を数多く飛び立たせようとして準備していたのも頷けます。
 ラテン語の「Sin」(罪)という意味では、新約聖書の「ローマの信徒への手紙」に、人類の罪が列挙されてあると記されてありました。
 これに倣えば、ゴジラは日本人の罪だけでなく、全世界に〝悪夢を拡散〟させて、全人類に罪を償わせる最終目的があるとも言えるでしょう。
 そのため、私たちが尻尾だと思っていたのは、実は子供(ヒューマノイド・ゴジラタイプの使徒)をたくさん生産するための繭だったのかもしれません。
 それなら、尻尾での攻撃が少なすぎる点も、また尻尾の先を常に上に向けて何かと接触するのを避けていた動きについても納得できます。

 つまり本当に、今までのゴジラとは、まるで違った怪獣だったのです。
 それは「人類に悪夢を見せるためだけの使徒(神獣)」だったのかもしれません。
 タイトルの『シン・ゴジラ』の「シン」は、漢字では『讖』という予言としての意味も含まれているとの説があるそうです。
 近い未来に訪れる絶望と悪夢を告げるための怪獣……。
 実は日本や世界には、このあと最も酷い事態が待ち受けているとの予言……。
 シン・ゴジラは、それの前兆に過ぎなかったということでしょうか……。

 もしそうであったとしても、悪夢や絶滅で構わない……。
 私たち人間社会を縛る謎の閉塞感を、破壊し尽くしてくれるかもしれない期待。

 ――そう、放射熱線を吐くゴジラの美しさと恐ろしさ。
 カッコ良さと、その絶望感。

 二通りの異なった印象・感想を持ったが故に、観客である私は打ち震えて混乱し、現代に現れた神話の来報に対して為す術もなく、絶望すら受け入れようとする胸中に圧倒され、この映画の凄さを認めざるを得なくなるのです。





 その一方で、この映画は被害者側を細かく描いていないという批判があります。
 昭和29年版のゴジラでも、放射線を浴びた子供にガイガーカウンターを向けるシーン、野戦病院のような溢れかえる被害者たちの光景がありました。
 しかし今回、それと同じような描写は、ほとんど描かれていません。どうしてなのでしょうか?
 察するに、庵野監督のやりたかったことは、そこではなかったということでしょう。
 2時間という尺の中へ収めることを考えた場合、今回は被害者の描写にカメラをあまり多く向けたくなかった――なぜなら別の、もっと大きなメッセージがあったから。
 というようにも解釈できます。
 あえて描かないことで、観客の想像力に任せた部分もあるでしょうし、また描かなかったからこそ、総理の乗ったヘリの爆発シーンがインパクトあったとも言えます。

 今回、私が映画から受け取ったメッセージ性とは、日本を守る立場にある人間は、亡くなった者たちへの悲しみよりも、今やるべきことに即座に向かう姿勢が必要だということでした。
 現場とは、そういうドライな空間であり、目的を優先して頑張る姿こそ、戦後に驚異の経済復興を成し遂げた日本人の底力に通じるものがあると言えます。
 まさに、それは日本人の気概ですね。

 被害者の数が増えていくようなマイナスの絶望感は、ゴジラが放射熱線を吐くことで既に描けているので、ダメ押しを何度もやるより、反対のメゲていない日本人の姿を描くことで底力のほうを強調したかったのでしょう。

 言い換えれば、今回描かれていない要素は別の怪獣作品で描けばいいのです。
 何も、これで終わりというわけではないのですから。
 そう思うのは、今回の作品に何もかも取り込んで完全無欠にしてしまい、それによる影響度、例えば後発作品のモチベーションまで削ぐ必要はないと思うからです。
 それだけ、被害者の描写がなくても傑作と思える内容だったのは言うまでもありません。


 さて……まだまだ語り足りないのですが、長くなってきたので、最後にこれだけは触れておきたいと思います。

 ゴジラの正体について、です――。
 最初に行方不明になる牧博士(『私は好きにした。キミたちも好きにしたまえ』と、謎の遺書(?)を残した人物。ちなみに遺留物のひとつは宮沢賢治の「春と修羅」)は、ゴジラとなり、その痕跡がラストカットの尻尾の先に分裂しかけていた人間らしき姿――牧博士の遺伝子が核廃棄物を食べた海棲爬虫類と融合することで、脊髄動物に進化できたという説――すでにネットでも飛び交っていますが、面白いと思います。
 と言いますか、私もそのような解釈をしていました。
 なぜなら怪獣モノとしての真骨頂を発揮した、独自のストーリーフォーマットでもありますからね。
 マットサイエンティストが怪獣を育てる、あるいは生みだす、あるいは亡くなった家族の遺伝子を怪獣に注入する、というような話は、これまでジャンルや筋立てを変えてリメイクされてきました。
 代表的なところとしては、

・『ウルトラマン』の第10話「謎の恐竜基地」に登場したジラース。
・『帰ってきたウルトラマン』の第34話「許されざるいのち」に登場したレオゴン。
・『ゴジラVSビオランテ』のビオランテ。レオゴンと同じ原案者によるもの。
・『WXIII 機動警察パトレイバー』に登場した廃棄物13号。

 などがあります。
 牧博士は行方不明になる直前、自らゴジラ細胞を自分の体内に投与し、海に飛び込んだ――その結果、海中で急激に変化・成長したのがゴジラだったという裏設定。
 もちろん、これは匂わせているだけで、はっきりそうだとは描いていません。
 ですが、そういう行間を読んでパーツを当てはめて妄想していく楽しさがあるのも、『シン・ゴジラ』の魅力と言えるでしょう。


 さて……最後の最後になって恐縮ですが、個人的に『シン・ゴジラ』からどんな影響を受けたかの話をさせてください。
 私は、過去に小説の新人賞で奨励賞をいただいた経験がありました。でも小説を書くのはあまり好きではなくて、映画監督になりたいと思っていました。
 自主制作で何度か映像作品に挑んだことはあるものの、大勢のスタッフやキャストをまとめていくだけの器量は自分にないと悟り、現在はCGで怪獣漫画を個人制作しようと準備中です。
 そういう経歴を持ってるが故にストーリーや脚本といった点に目を向けることが多くなりがちです。
 いえ、ストーリ作りを独学で歩んできた私にとって『シン・ゴジラ』は、「こういった作劇法でも成立するんだ」という点が、素直に驚きでした。
 よくある、主人公キャラは「キャラが立ってないといけない」「家族などのバックボーンを描かないといけない」「恋愛要素を入れないとヒットしない」とか、いつしかお約束の条件を自分の中に作り起こし、それらに縛られるようになっていました。
 ――面白さとは何なのだろう?
 初心に戻って、改めて考えさせられました。
 その結果、これからは理屈やお約束にこだわるよりも、もっと自分の直感を信じてみよう。
 そんな気持ちを、奮い起こさせてくれた映画になったことは間違いありません。
 今まで自分の作品に対して自信を持てなかった私が、自信のあるなしにこだわらず作ればいいと、気持ちを楽にさせてくれるキッカケになりました。
 実に、多くのクリエイターに元気を与えてくれる映画でもあると思います。

 さらに今回の『シン・ゴジラ』のヒットのおかげで、私が以前に書いた巨大ヒロインが活躍する怪獣小説の電子書籍も、なぜか最近になって再び売れだすようになりました。
 おそらく「怪獣」などのキーワードで検索してくださる人が増えて、ヒットしてくれたのでしょう。とてもありがたいことです。
 おかげで同人作家としても大変な刺激を受け、中断していた自主制作を再開させようと動き始めました。

 本当に庵野監督をはじめ、キャスト・スタッフのみなさんに良い映画を作っていただいて感謝いたします。
 ゴジラ映画として異色作であり、傑作であり、新しいファンを惹きつける魅力に満ちていました。
 私の創作面にも、良い栄養を与えていただいた気分です。

 本当に本当に、ありがとうございました――!!!






【お借りした3Dモデル】

◆ByNEETさんの「シンゴジラ」3Dモデル

◆3Dモデル「シン・ゴジラ」の置き場所