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忘れもしない2011年3月11日14時46分。
私の家は福島第一原発から40km北にあるし、地震で家が倒壊したわけでも、津波で家族が亡くなったわけでもない。それでも確かにあの頃は「恐怖、絶望、不安、苛立ち…」とかの感情でいっぱいだった。あれから13年。負の感情は少しずつ昇華され、今は静かに海を見ることができる。
雲一つない青い空。暖かい。今日は海を見ながら浜街道を南下する。
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磯山展望緑地。もう少し北へ行くと宮城県との県境。坂道を降りた林の中に、美味しい釜焼きのピザ屋さんがあった。
常磐線は強い風が吹くとすぐに運休してしまう。高校生の次男坊を名取まで迎えにいくために、たびたびこの浜街道を通った。国道を走るよりずうっと早く着くから。
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震災後の11月、宮城県に避難して高校生の息子たちと一緒に生活することになった。職場まで毎日往復150kmの道を走った。まだ常磐道は全面開通していなくて、高速と国道を走りつないだ。
職場とアパートの真ん中地点に鹿狼山があった。鹿狼山が見えると「あぁ、半分まで来た」と思った。長距離運転は全く苦ではなく、青い空の下を青いハイブリッドの新車で走るのは気持ちがよかった。
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釣師浜防災緑地公園 想いの丘。津波で新築したばかりの家を流されたという人がいた。「大丈夫?」と声をかけると「命だけはある」とうなずいていた。本当の苦しさを知っている人は強いと思った。
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毎年必ず遊びに行った尾浜海水浴場。長男坊は水遊びが大好きで、浮き輪に乗ってどこまでも行ってしまうから目を離せない。次男坊は砂浜に寝転がり、全身を砂に埋めてもらって喜んでいた。歩けるようになったばかりの三男坊は初めての海に歓声をあげていたが、大波にのまれて海水の中をゴロゴロと転げてしまい、以後「水」が嫌いになってしまった。
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太平洋と松川浦を仕切る大洲松川ライン。松川浦は夏休みの自由研究の題材がいっぱいだった。チゴガ二がいっせいにダンスを始めたり、タツノオトシゴがアマモに尻尾を巻き付けていたり。
津波で大洲海岸が崩れて太平洋と松川浦が繋がってしまった。その後は7年間も通行止めで、開通の日が待ち遠しかった。
車を停めて堤防に座り、日の出や月の出を待ったり、流星群を見上げたり。相馬に嫁いで数十年、昔も今もここは私の一番のスポット。
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北泉海浜総合公園。以前は「コースタルコミュニティハウス」という施設があって、日帰り温泉に入ったり宿泊したりすることができた。子どもたちが小さい頃ここに泊まってカレーライスを作って食べた。
子どもたちが大きくなってからは、毎週日曜の午後にでかけてきて海をながめ、それからお風呂に入って一休みするのが恒例になった。まだ使うはずだったお風呂の回数券は今でも持っている。
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請戸港から南の方を眺めると、遠くに福島第一原発の廃炉工事をしているクレーンが見える。浜街道はここまでしか走れない。ここから南は「帰還困難区域」で一般車両の乗り入れができないから。
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海岸線沿いの風景は、震災前と変わった。集落はなくなり、松の林もなくなった。その代わりに大きな道路ができて、きれいな公園が整備され、たくさんのソーラーパネルや風力発電機が設置された。
絶望や不安に包まれながらも前を向き、少しずつ新しい生活をつくりあげてきた13年間。
変わるものもあるし変わらないものもある。昇華させたほうがいい思いもあるし忘れてはいけない思いもある。そして、大切な思い出はこれからも消えない。何気ない毎日の生活の中で小さな幸せを感じながら、思い出を一つずつ重ねていく。そんなふうに生きられたらいいと思う。