墓参りに実家に帰りました。例年のように、線路沿いにはツクシがたくさん生えていました。しかし、実家の近くの人はツクシとりはしません。食べる習慣もありません。小さい頃食べた記憶もありません。ある時ツクシを食べているのをみてびっくりしたことがあります。そのころ実際食べてもみましたが、あまり美味しいとも思いませんでした。この辺りではツクシは生え放題でそのうち全部枯れてしまうんです。もったいないという声が聞こえてきそうです。この写真に写っているだけでも30本以上ありますよ。数えてみてください。パソコンでないとちょっと判別しにくいかも知れません。
それはそれは大きなブロッコリー畑です。糸島の二丈辺りですが菜の花を見るためにわざわざ収穫せずにそのままにしておいたのでしょうか?それとも値崩れして、ほおっておいたらたまたま菜の花畑になったのでしょうか?まあいずれにせよ珍しい広大なブロッコリーの菜の花畑に感激しました。
16日、日曜日、九大学研都市駅から九大伊都校舎横を抜け桜井神社、二見ヶ浦、野北手前を左折し志摩町役場から前原駅まで歩きました。まだまだあちこち梅の花は咲いていました。白梅、紅梅、しだれ梅など楽しめました。日頃の運動不足と年をとって体力が落ちたなあと情けなく思いましたが楽しいハイキングでした。夜はトラフグとヒラメの刺身で盛り上がりましたが、歩いている途中、昔の人は50歳、60歳になっても何日も歩いて旅をしていたことを思い、昔の人達はすごいなあと改めて思いました。日本地図を最初に作った伊能忠敬は1800年(寛政12年)、56歳の時に、第1次測量を開始。最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)およびその往復の北関東・東北地方において行われました。第10次測量が70歳の時ですから、私など足元にも及びません。彼が15年以上かけて歩いた距離は、実に4万キロ、つまり地球を一周したことになります。来年もまた歩きますが、何か対策を立てなければ・・・・・。
志摩町の役場から前原駅への途中ですが、川の土手にはずっと菜の花が咲いていて春真っ盛りという感じですね。人が多いところはツクシは少なくて、人が入って行けないようなところにはまだまだツクシ生えていましたよ。でもツクシ取りの人もたくさん出ていましたので早く行かないとツクシの数より人の数が多くなってしまいそうです。