釣れづれNickey

時々行く釣りや身近な出来事などのレポートです。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を・・・。

お雛様

2007年02月28日 | Weblog
もう三月になりますね!早いものです。
雛人形飾ってますか?

2月と思えないほどの暖かさでしたが、今日は冷え込んでます。
3月1日は卒業式が行われるところも多いと思いますが
寒そうですね。

この寒さが緩めば本当に春はすぐそこですね。
春一番はとっくに吹いてますが・・・・・・


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馬丼

2007年02月24日 | Weblog
今日は熊本で会議が昼まであり、その会議のあと菊池に行き
日田に出て大分道を通り330キロ走って帰って来ました。

途中お昼に寄った食堂の馬丼四品たったの300円でした。

馬刺しを別に頼みこれが超美味しかったですよ。
やっぱり熊本は馬刺しですね。^^


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菜の花と梅と自然破壊

2007年02月21日 | Weblog
佐賀県の小城町に牛尾梅林という有名な梅のスポットがありますが、
まだ満開は先のようです。あと10日くらいかな?3月3日は何か
イベントが企画されているようです。牛尾梅林
これは牛尾梅林近くの菜の花です。
菜の花は至る所で見かけました。

今年は暖冬のせいで桜の開花は例年より1週間くらい遅いところが
あるそうです。暖冬なのになぜ遅い???

ますます変な気候です。
地球規模で破壊が進んでますね!
明らかに人災です。
自然から人類への逆襲が始まったんですね。
これもわかっていたことです。
しかし、わかっていた以上に自然破壊は急速に進んでいたのです。

病気は自覚症状が出たら手遅れのことが多いと聞きます。
地球は大丈夫なんでしょうか?

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マイケル、フィラリアにかかる

2007年02月17日 | Weblog
うちのマイケルもうすぐ13歳。
フィラリアにかかってしまいました。
夜通し咳が出て苦しそうです。

病院にかかって半月ほどになりますが寒いのがダメみたいです。
二回入院して、もう七万円以上かかりました。

犬を飼っている方はフィラリア予防接種したほうがいいですよ。
保険がないのでお金がかかります。

早く元気になってくれー!!
先生の話では、咳は2ヶ月くらい止まらないそうで・・・
先が長いなあ・・・・・・・!
コメント (3)
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バレンタインデー

2007年02月14日 | Weblog
バレンタインデーと言えばやっぱりこの人しかいない!
今日、プレゼントの箱をこっそり数えたら大きめのが
13個はありました。いいなあ!

本人に、「お返しの予算は三万円位?」って聞いたら、
「なんがやろか!去年でもその倍はかかったばい!」
という返事!

彼にとってバレンタインデーは一大イベント!
やるほうも倍以上のお返しを当てこんで、せっせと送り続ける。
何と、けなげな○ちゃんでしょう!

バレンタイン狂想曲。
周りで見ているのが一番面白い。

かくいう私もいくつかもらいました。
義理チョコとわかっていても、やっぱりうれしい!
男はかわいいもんです。

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福岡城址の梅7分咲き

2007年02月13日 | Weblog
今日昼過ぎ梅の開花を確かめにチラッと福岡城址(舞鶴城址)に偵察に行って来ました。
もう5分~7分咲でした。今週末はバッチリ見頃です。

平日の昼間でしたがたくさんの見物客でいっぱいでした。
ピンクの梅、白い梅、枝垂れ梅などいろいろです。

弁当を広げ食事をされている方々もおられました。
今週末は天気がよければおにぎり持って行ってはどうですか?

時にはのんびりと梅の見物もいいですよ。
梅を見ても感動できる自分がそこにいるはず。

こんな近くに、こんな凄い梅のスポットがあったんだと思いますよ。
梅を見るくらいの余裕がなくっちゃね^^(余裕のない私が言うのもなんですが・・・・;;)

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梅2

2007年02月13日 | Weblog
福岡城址

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梅3

2007年02月13日 | Weblog

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梅4

2007年02月13日 | Weblog

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トンネルを抜けると・・・

2007年02月12日 | Weblog
先日行った高森の湧水トンネルの中の様子です。
七夕飾りがあったり、クリスマスツリーがあったりして賑やかでしたが
ちょっと季節外れでした。
今はちょうどお祭りがないときなんですね。

でもトンネルの中の雰囲気はわかりますね。
真ん中が水路で両側が通路です。
水路にはきれいな水が流れています。

「水路にお金を投げないでください。」と書いてあるのに
延々トンネルの突き当たりまでお金が沈んでいます。
1円とか5円とかが多かったですね。キラキラ光ってました。
10円玉が光ってないだけかもしれませんが・・。

500メーターのトンネルなので・・・・
1メーターに100円沈んでいるとすれば
500メーターでは・・・5万円!!

すごいじゃないですか!!
本気でお金掬いに行こうとか考えたあなた・・・罰が当たります。^^;

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綺麗な花でしょう!

2007年02月09日 | Weblog
花屋さんで千円でした。安い!

花のところだけ切ってよく売ってありますが、
鉢ごと買ったら長く花が咲くんじゃないかと思って、
買いましたがちょっと儲かった気分です。

今ちょうど蘭の花が満開過ぎで値段も安くなっています。
花屋さん覗いてみたらいいのがあるかもしれません。
蘭といってもたくさん種類があります。

春の花もたくさん並んでますよ。

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ジョブズの卒業祝賀スピーチ  (アップルコンピューターCEO)

2007年02月09日 | Weblog
ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404



 PART 1 誕生

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 大学中退

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 点と点を繋ぐ

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 アップル社をクビになる

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ
一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 死について

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 癌の宣告

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 ハングリーであれ、馬鹿であれ。

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

とむさとうのHP


スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator, **satomi ichimura

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千の風になると?

2007年02月08日 | Weblog
死んだら千の風にもなれる。

~私の家のお寺さんの通信から~
  (浄土真宗 本願寺派 桃谷山 法泉寺)

最近は、秋川雅史というテナー歌手が歌って、ブームみたいですが、
先日の土曜学校で、その話をすると、ほとんどの子が知っていて、
「近頃テレビでよう歌いよらす。」という感じでした。
そして、「人は死ぬと、風になると?」ということに突き当たりました。

「じゃあ、みんなは、死んだらどうなると思うとっと?」と尋ねると、
ほとんどの子は、「天国に行く。」と言いました。
テレビやマスメディアの影響で、天国という言葉にならされているので
仕方ない現象ですが、「天国?」と聞くと、「あの世」とか「お浄土」という
言葉が聞こえてきました。

そこで、親鸞さまは、安養の世界、無量光明土などという言葉を使われていること、
浄土真宗の門信徒は、普通「お浄土」といっていることなどを話し、
命終われば、すぐにお浄土へ往生し、阿弥陀さまの働きによって
成仏させていただける、そして仏になってから、風になったり、
光になったり、小鳥や星になって、見守る働きをするということを話しました。

*一部佐賀の方言が入ってますが原文のままです。

博多弁も面白いですね。
とっとっと!!
すーすーすー!!
わかりますか??
博多の人はわかりますね^^


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泣いた赤鬼

2007年02月06日 | Weblog
昨年暮れから何回か行った大名の居酒屋「泣いた赤鬼」ですが、実際の日本昔話はこんな話です。思いやりや友情の大切さを教えてくれます。

昔、昔、山を越え、峠を越え、人里離れた山の奥に、赤鬼と青鬼が住んでいました。赤鬼は人間の子供が大好きで、いつもどうやったら友達になれるか考えていました。
赤鬼「僕はやさしい赤鬼なのにどうしてみんな遊びに来ないのかな。おいしいお菓子と飲み物を用意するのに。」
青鬼「ねえ、赤鬼君、そんなに子供たちと友達になりたいのかい。」
赤鬼「うん、友達になりたいよ。」
青鬼「じゃあ、いい考えがあるんだ。ちょっと耳を貸してごらん。」
赤鬼「うんん」
青鬼「そうして」
赤鬼「うん」
青鬼「どうだい。」
赤鬼「うん。うん。」
青鬼「わかったかい。じゃ、ひと風呂浴びに行こうか。」
(翌日、子供たちが森の中で遊んでいました。)
子供「かくれんぼするものこの指止まれ。お手玉、石蹴り、何でもあるよ。みんなお出でよ。遊ぼうよ。」
青鬼「ワアー、ワアー、ワアー。うるさいぞ。俺さまが体操する時間だ。あっちへ行け。一、二、三、四、ワアー、ワアー、ワアー、五、六、七、八、ワアー、ワアー、ワアー」
子供「助けて」
赤鬼「ワアー、ワアー、ワアー。悪い青鬼。直ぐに体操を止めろ、さもないとこうしてやるぞ。一、二、三、四、エイ、エイ、エイ、五、六、七、八、エイ、エイ、エイ」
青鬼「ごめん。ごめん。許して。強い赤鬼さん。もう二度としないから許して。」
赤鬼「安心しなさい。子供たち。悪い青鬼もういない。山に帰っていった。」
子供「赤鬼さん、ありがとう。悪い青鬼をやっつけた強くてやさしい赤鬼さん。赤鬼さん一緒に遊びましょう。かくれんぼの鬼になってくれる。」
赤鬼「本当にいいの。」
子供「いいよ。」
(みんな楽しく遊び、一番星が出てきます。)
子供「一番星が出てきました。お家に帰る時間です。おやすみ赤鬼さん。また明日。おやすみ、みんな。また明日。」
赤鬼「みんな家に帰ってしまったなあ。とっても楽しかったなあ。おやすみ子供たち。また明日。さて、青鬼君はどうしているかな。おや、こんな所に手紙が落ちている」
手紙「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょう。だから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きます。どうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら。青鬼より。」
赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまった。あんないい友達だったのに。行ってしまった。」
赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。
コメント (1)
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一心行の大桜

2007年02月05日 | Weblog
すごい桜ですね。
3月末から4月始めにかけて桜祭りが開催されます。

この桜を見るためには少し遠いのですが、
九州自動車道の北熊本を降りて阿蘇方面へ向かいます。
阿蘇山がすぐそこに見えるところで右折し赤い橋を渡ります。
高森方面の標識があります。
あとはまっすぐですね。

田楽も有名みたいですから是非食べてみてください。
きっとこの桜には感激しますよ。
私も4月初旬に行くつもりです。

去年の大村湾の桜は凄かった。
今年はもう梅が満開のところもあるみたいですね。
予想以上に地球破壊は進んでいるんじゃないでしょうか?
人災だから何とかしなくてはいけませんね!!

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