釣れづれNickey

時々行く釣りや身近な出来事などのレポートです。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を・・・。

絵本 いのちのまつり 「ヌチヌグスージ」

2005年02月20日 | Weblog
生命の旅は終わらない。
いや、終わらせてはいけないのである。

「無限」という可能性を秘めて、
今、光り輝いている生命の物語を
一人でも多くの人々に伝えてほしい。

【内容】

「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~?」

「それは……お父さんとお母さん?」

「そうだねえ。いのちをくれた人をご先祖さまと言うんだよ」

「ねえ、おばあさん、ぼくのご先祖さまって何人いるの?」

コウちゃんは、指をおって数えてみることにしました。

すると……



あっと驚くようなびっくり仕掛けは「いのち」の大切さをみんなに伝えています。

サンマーク出版
作:草場 一壽
絵:平安座 資尚

詳細は以下のアドレスでどうぞ。
http://www.sunmark.co.jp/local-cgi/hpage/search1_isbn.cgi?isbn_cd=ISBN4-7631-9611-1

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝物“ソニー・オ・マチックテープコーダー”TC-104

2005年02月20日 | Weblog
♪ソォーニオマチックテープコーダー

ソォーニオマチックテープコーダー

ソォーニオマチック

ソォーニオマチック

ソニー

ソニー

ソニー

テープコーダー♪

そうです。この機械はソニーの開発したテープレコーダーですが、
何故か商品名はテープコーダーなんです。

ちなみに、最初のカタカナの羅列は、
このテープコーダーに付いていた
デモテープに入っていた宣伝用のコマーシャルソングです。
一度聞いたら、耳から離れません。

カセットテープがでるまでは、

みんなこの機械で音楽やら録音して楽しんでました。

速度は3段階変えることができます。

もう40年近く前のものです。中学校の頃まで大活躍しました。

当時録音したテープも何本かあるので聞いてみたいのですが、モーターが最後まで回るか心配で、

動かしていません。かけっぱなしにして動かなくなると大変なので、
近いうち少し動かして聞いてみたいとは思っています。

残っているテープをデジタル化しようと思って、
田舎から機械本体とテープ何本かを持って来たのですが、
その作業に耐えてくれるか疑問です。


中学校の頃、洋楽にのぼせていたころの
音楽シーンが蘇ることを期待しているのですが、

“ソニー・オ・マチックテープコーダー”

はたして最後まで動いてくれることやら・・・・・・・^^

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磯での楽しみ^^“焼き肉とビール”

2005年02月17日 | Weblog
磯では、いつも魚を釣っているわけではないのです。
写真をご覧下さい。そうです。焼き肉です。焼き肉食べてビール飲んで最高ーー!です。
冬場だと、このほかにカップメン、インスタントコーヒー、カップに入ったスープなどです。
冬飲む暖かいコーヒーは冷え切った体を温めてくれます。
もちろん、焼き肉はいつもするわけではありません。
というより、今回が初めて。^^

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なーんだあ!その⑤ “ベラ”

2005年02月17日 | Weblog
ッシャーッッ!!この魚どこに行ってもいます。

ヒラヒラとあがってきます。だいたい、いつもハリを飲み込んでいます。
今回も何匹か釣れましたが、幸い飲み込んでなかったので、すべてリリースしました。
飲み込んでる場合は持ち帰って食べます。

大きいものは、刺身にしても美味しいのです。
漁師の方はセゴシにして食べるみたいです。
煮付けにしたら、さめて身が固くなって食べると美味しく食べることが出来ます。
または素焼きして煮付けます。

この魚はササノハベラというベラの種類ですが、磯で釣れるのはほとんどこのベラです。底近くにいるためにチヌ釣りをしているといつも釣れます。

対馬とかの砂地にはキュウセンベラといって、ミドリやオレンジのベラがいます。磯では釣ったことはありません。

ササノハベラが釣れても全然うれしくありません。腹立つばかりです。
(男女群島外道シリーズとりあえず終わり)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なーんだあ!その④ “タカベ”

2005年02月17日 | Weblog
この魚はタカベといいますが、身が柔らかすぎて美味しくないです。
地方によっては珍重する所もあるそうですが・・・。

大きさに似合わず、グングン引きます、が25㎝位なので、すぐにあがってきます。この魚も釣り師の一方的な勝ちです。

以前、五島帆揚瀬でこの魚が山ほど群れて、釣っても釣ってもこの魚しか釣れなかったこともあります。

美味しい食べ方があったら教えて下さい。(続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なーんだあ!その③ “コガネスズメダイ”

2005年02月17日 | Weblog
ッシャーッ!
あれれ?大判の金貨か?
なわけない^^

こんな小さな魚なら釣り師の一方的な勝ちです。
離島とかだと、見たこともないような魚が釣れたりします。
この魚もそうですが、金色ですね。こないだは3匹釣れました。

その名もコガネスズメダイ。
スズメダイといえば、通称アブッテカモという、博多ではよく見かける魚ですが、このコガネスズメダイは、コガネ色つまり金色のスズメダイなのです。

撮影にとまどってしまい、成仏してしまいました。すまんかったです。(続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なーんだあ!その② “サンノジ”

2005年02月15日 | Weblog
ッシャーッッ!!気分はゴルフの藍ちゃん状態^^。
“なんじゃあこりゃあ!!”この魚ニザ鯛。通称サンノジ。

この魚、そりゃあ、引くこと、引くこと。とにかく引きまくるのです。途中休憩なしに引きまくるのです。
こないだ釣れたのも、40㎝位の大物でした。かけてすぐにサンノジかイスズミやねえっー!!とわかる引きです。

夏だったらバリも同じような引きをします。グイグイグイグイッッ!と休むことを知らないのです。

チヌだったらコクンコクンコクンッという感じの引きです。

クロならグイグイッ、グイグイッという感じで引きます。そしてもうそこまで上がって来たときに最後の締め込みがきます。

グイッグイッグイッーーーーー!!と引くのです。
たまらんとです。ここでバラスこともしばしばです。ジグロより尾長グロの方が最後の締め込みは強烈な感じがします。

さて、釣り上げられたサンノジ君の運命。“尾長グロ連れてこいーーっっと”怒鳴られ海へと帰されました。

食べない魚は逃がす。というのが私の信条。ときどき防波堤で釣り上げられたフグとかの小魚が干からびているのを見るたび、海に帰す優しい私です。^^

昔、祖母が生きていた頃、“一寸の虫にも五分の魂”といつも怒られていたのを思い出します。(ということは、小さい頃、虫を虐待していたということですかねえ・・)

“スマン許してくれーっっ!”干からびた魚たちは、もちろん海に戻っても、プカプカ浮いているだけです・・・・・。

(続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なーんだあ!その① “ツバメウオ”

2005年02月15日 | Weblog
ッシャーッッ!!気分は卓球の愛ちゃん状態。
あれれ・・。なんじゃこりゃー!!
という感じであがってきたのは、ツバメウオ。

最初見たときには竜宮の使いか?幸運の女神か?とかいろいろ思ったのですが、見たこともないような魚を釣り上げ、しばらく観察しましたが、どう見ても食べる気もおきず、“尾長グロを釣れてこーい!!”と唱えながら海に帰しました。

あとで調べてツバメウオという名前の魚だとわかったのですが。どう見てもツバメには見えませんね・・・・!!
エンゼルフィッシュに似ているといえば、似てないこともありませんが、大きさが全然違いますからーーー・・・。

本当に珍しい魚でした。水族館にはいそうな感じはしますね^^。

(続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男女群島 ショット 2

2005年02月15日 | Weblog
男女群島に行き慣れている方は、こちらの眺めがいかにも男女らしいと思われるでしょう。
今がクロの最盛期。70㎝オーバーのクロを求めて日本中から釣り師がゾクゾクと集まって来ます。

この時期は寒く、隠れるところもない暗闇の岩場の上でガタガタ震えながら竿を振り続けるのです。
朝方は零度近くになる時もありますので、魚が全然釣れないときなどは、風裏でないと身も心も凍りつきそうです。

夜、釣れなくても、朝方明るくなってくると突然釣れだしたりします。
この瞬間のために、朝方五時位になると、ごそごそと冷たい岩の上で朝まずめ用の仕掛けを作って、ひそかにワクワクしながらその瞬間を待ちわびるのです。

主流の仕掛けは全遊動仕掛けです。
ウキは付いていて、ウキ止めがないために、魚が食いつかないとウキは浮いたまま、仕掛けだけが少しずつ沈んでいきます。
そして、魚がいる泳層にたどり着いたときに、魚が餌に食らいつくという仕掛けなのです。

ここで大事なのは撒き餌と、仕掛けに付いている付け餌が、だいたい同じスピードで沈んで行かないとなかなか魚は食いついてくれないということです。

この撒き餌と付け餌の同調こそが、
勝負の分かれ目、
釣れるか釣れないか
上手か下手か
なのです。

魚が食いつくとウキごと海中に沈みます。
時には竿がひったくられる時もあります。

ッシャーッッ!!気分は卓球の愛ちゃん状態です。^^

魚が掛かるとガツンという手応えがあり、
あとは魚との綱引きです。

数分間の勝負を制し、期待して釣り上げたのに、
なーんだあ!という魚が釣れることがあります。

トホホ・・・・。

(次回に続く)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男女群島こんなところです。

2005年02月14日 | Weblog
二日目は、午後から波が高くなり、
少し早めの瀬代わりとなったとです。

船にカメラを忘れてたので、
釣ったところからの景色は撮ることが出来ず残念でしたが、
回収途中の島々を撮りました。

波の様子で状況がおわかりと思いますが、
なかなか思うように回収が進みません。
船がしけた海の中で磯際になかなか着けないのです。

荷物は釣り人が船上の乗組員に放り投げます。

そしてチャンスをうかがって船に飛び乗るのです。

失敗は許されんとです。

船長以下乗組員も必死です。



というわけで、元気で帰って来ました。

生きているって素晴らしい!!
元気でいるって素晴らしい!!

と鼻歌でも歌いたい気分です。

何枚か島の写真撮りましたのでまた今度、紹介します。

ゴキゲンよー^^

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月11日^^!男女群島行ってきました。

2005年02月14日 | Weblog
ついに
念願の、
男女群島に
行ってきました。
(写真クリックして大きくして見て下さいね。)

今回は昨年2月に続き、2回目の釣行です。
一日目の夜釣りは空振りに終わり、
二日目の昼釣りだけしか出来ませんでした。

釣る人はもっとたくさん釣っていたようですが、
私にとっては上出来の釣果でした。

最大48㎝の地グロを筆頭に43㎝以上を9匹、
35㎝位のを2匹という内容でした。
尾長グロも半分いました。

二日目朝方、男島西側に渡れたので、ラッキーでした。
北西風が吹くこの季節はなかなか西側の磯にはあがれないのです。

昼から雨も降ってきて波も高くなり、
釣り辛くなって来た四時頃に瀬代わり、
ということで船が回ってきました。

が、この日は夜釣りはやらずに
船の中で寝ました。

平戸口から、高速瀬渡し船で三時間、
かなり遠いですね。(港から200キロ近くある)

平戸島横を抜けるのに一時間かかります。

なかなか行けない男女群島ですが、
楽しい釣りが出来ました。

関西や広島、大分など遠いところから
たくさんの釣り人が集まっていました。

ここまで釣り人を引きつける釣場は
あまりない。と思います。

五島もいいけど、

男女にはかなわないという感じです。

今後しばらくの間、
男女で釣れたクロ以外の外道(げどう)達の紹介をします。


では、またゴキゲンよー。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の中のふるさと

2005年02月04日 | Weblog
もう10年以上になるかもしれません。
あるレストランに立ち寄りふと手にした小冊子を手にして
読んでいくうちに涙が止まらなかった・・・・・


「心の中のふるさと」---天草島--- (T.A.)

 先日、会社の定期歯検診で、私の歯を見た医者が「この年齢で虫歯が一本もなく、しかも歯並びがきれいな歯は珍しい」と感心し、生まれはどこかと聞いた。私が、「九州の天草島だ」と答えると、「やはり、そうですか」とうなずいて納得していた。

その医者の話では、島育ちの人は、海草などの食べ物の影響で、統計的に、歯が強いのだそうである。なるほど、私は38歳の現在になるまで、虫歯の痛さというものを全く知らないし、歯医者にかかったことが一度もないのである。

 しかし、私は、医者のいとも簡単な納得に、何か物足りなさを覚えたのである。私には、38歳の現在の強さよりも、歯が強くならざるを得なかった幼少年時代の、ふるさとでの貧しい生活、しかしその中でも、常にほのぼのとしたぬくもりを感じさせてくれた母の、心の匂いが大切に思えるのである。

 私のふるさとは、熊本県の天草島である。

島原の子守歌に「おんのいけ(鬼池)の忠助どんの連れにこらるばい」と歌われている天草下島の最北東にあたる、五和町鬼池という港のある半農半漁の小さな町である。

 五和町は、昭和30年頃、五つの村が合併して出来た町であり、私はその中の鬼池村で育ったのであった。

私は昭和23年に鬼池小学校に入学した。

私の家は、いわゆる五反百姓の農家で、八人の子供を養うのは楽ではなかった。米飯を食べるのは、盆と正月と村祭りに限られており、日常はさつまいもか麦飯であった。
しかし当時は鰯(いわし)が豊富で、地引き網でいくらでもとれたため、食べきれずに田畑の肥料(いわしごえ)にするほどであった。

私たち兄弟は、厳しい父に、この鰯を魚のまま食べさせられており、父の目を盗んでは、そっと、骨をおぜんのしたに隠して、捨てたのを覚えている。
芋と鰯が当時の私たちの常食であり、お菓子や飴など甘いものなどめったに食べず、鰯を骨のまま食べて腹を満たしていたから、歯医者などいらないのである。

終戦から何年かは、日本中どこでも同じような食糧難の状態が語られているが、私の家では、零細農家のうえに、八人兄弟という子沢山で私が中学に行くようになっても、あまり生活水準の向上は見られず、相変わらず同じような状態であった。

 当時のように、姉や兄は中学卒業と同時に口減らしの為、ちょっとしたコネでも頼って島から出ていったのである。

 私は、姉や兄が小さな連絡船で港から出ていくたびに、突堤の先端の赤い灯台の下で、いつまでも立ち続けていた母の姿を、今でもはっきりと思い出すことができる。海の上に約200メートルも延びた防波突堤と、その先端にあるこの赤い灯台の物寂しさは、8月15日の夜の幾重にも重なって、その灯台の沖を流れる精霊(しょうろう)船と共に、私の心の中にあるふるさとの一つの風景である。

 鬼池には、天神山という富士山に似た形の山がある。天神山は鬼池で一番高い山で、海抜171メートルあり、その山頂からは、村中が見渡せ、海の青さと小さな島々の松の緑、波の白さなど、その眺めは素晴らしいものであった。

天神山は鬼池村の守り神で、山頂には、ほこらが建てられ、7月25日がその祭りであった。祭りには、村中が仕事を休みダゴ(田子)を作って祝い、山頂で子供達の相撲大会が行われるのであった。私は一度だけ、その相撲大会で関脇をもらったことがあった。

 中学一年生に入学した年の春の遠足は、

私にとって、一生忘れられない遠足であった。遠足の楽しみは弁当であり、私の家でも、遠足の時だけは母がいつも、米飯の大きなにぎりめしに、卵焼きを添えてくれるのであった。その遠足の朝、母は、私に弁当を手渡しながら、悲しそうな目で、中身が芋であることを、告げたのであった。

そして、私の手を強く握って、しばらく離そうとはしなかったのである。私は大声で母をののしり、その手を振りほどいて、泣きながら走ったのだった。

弁当の時間、

天神山のつわぶきの、芽吹いた藪の中で、私を探す友達の声を遠くで聞きながら、私は空腹に勝てず、私はその芋を、泣きながらかじったのであった。

中学生の私には、そのときの母のつらさがどんなものであったのか理解できるはずもなく、帰ってからも、母をせめ続けたのであった。

 昭和36年の夏、天草地方は未曾有の干ばつに見舞われた。
水の出そうな場所は、至る所で井戸が掘られ、水探しが続けられたが、水田は大きく干割れし、稲は白くなって枯れようとしていた。
しかし、雨は、いっこうに降らなかった。

 そして、誰が言い出すこともなく、雨乞いをすることになったのである。
各農家から一人づつ人を出して、何人かづつ組になって、天神山の山頂から、雨乞いが本当におこなわれたのであった。

毎日、朝から夕方まで天神山の上でうち鳴らされる太鼓の音が、村中に響き渡ったのである。
私の家からは、母が出ることになり、真剣な顔をして、近所の人達と一緒に、山道を登って行ったのであった。雨乞いの結果で、雨が降ったかどうかは、はっきりした記憶がない。しかし今でも、天神山の祭りが続いているところをみると、多分、神様のごりやくがあったのではなかろうかと考えるのである。

 鬼池の守り神であるこの天神山の懐かしい姿もまた、少年時代の思い出の中で、何とはなしに母のイメージと重なって、私の心の中に、ふるさとの風景として残っているのである。

 天草の正月もまた、

母を通じて、私の心の中に一つの風景を残している。

それは、私が中学3年生で、高校受験を間近に控えた頃のことであった。
私は先生のすすめもあって、他の二人の友人と共に、天草島を離れ、熊本市内の高校を受験することを目標に頑張っていた。

市内の高校に行くことになれば、下宿が必要で、そのために要する費用は大変なものであった。八人の子供を抱えた五反農家の父母には、とうてい、そのような余裕などなかったのである。それでも父母は何とかして、私を希望通りの高校に進学させようと、いろいろ努力したようであるが、やはり、無理だったのである。

 12月のある寒い夜、

父は私を囲炉裏の端に座らせ、市内の高校をあきらめて、
地元の高校に進学して欲しいと私に言った。
私は、泣きながら父のかいしょうの無さを、大声でののしった。
日頃、厳しい父も、その時は無言で何かをかみしめているようであった。
母は、何かを頼むような目で私をじっと見つめ、
その目には涙が光っていた。

しかし、私は、消えかけた囲炉裏の火を見つめながら、父母をののしり続けたのであった。


 それから、私は勉強もせず、家族にも口を聞かない日が続いていた。その為、家の中は、毎日、何となく重苦しい日が続いていた。そして、年が明け、元旦となった。私は、家族全員で毎年行う初詣に参加せず、一人でふとんをかぶって寝ていたのであった。


 朝、目を覚ますと、枕元に五・六枚の年賀状がおいてあった。

私は床の中で何気なくそれを手にし、たいした感情もなく、一枚づつそれをめくっていった。それは、ほとんどが同じクラスの友人達からのもので、
今年も頑張ろう、今年もよろしく、という内容のものであった。

しかし、最後の一枚を読みながら、
私は驚いた。

それは、およそ、年賀状らしくない長々しいものであり、
鉛筆書きで、ところどころ、なめたらしい濃い部分が残り、
カタカナ混じりで書かれていた。
差出人の名前はなかったが、
私には、それが同じ家に住む母からのものであることは、すぐにわかった。


 「おまえに、明けましておめでとうと言うのはつらい。

でも、母さんは、お前が元旦に、みんなの前で笑いながら、

おめでとう

と言ってくれる夢を何回も見ました。

母さんは、小さい頃、お前が泣き出すと、子守歌を唄って、泣きやませましたが、今はもうお前に、唄ってやる子守歌もないので、本当に困っています。

今度は、お前が母さんに、親守歌を唄って欲しい」

 14歳の私は、元旦の床の中で声をあげて泣いた。それは、中学3年生の反抗期の私に対する、
母の心からの子守歌だったのである。

 この母の子守歌のおかげで、私は立ち直り地元の高校に進学し、その後、高校卒業と同時に、大学へも進学した。
父は、私の大学入学の時、大切に残してあった、山の種松を売って、
3万円の入学費用を作ってくれたのであった。

しかし、その後は、私は父母の援助をほとんど受けず、
アルバイトと奨学金で大学も卒業することが出来たのであった。

 そして、現在の会社に就職して、もう16年の年月が経ち、
長男はやがて中学生になろうという年齢になってしまった。
そして、昔の私と同じように、もう、親に反抗し始めているのである。

 しかし、私の心の中にふるさとの母の心の匂いのする鬼池の赤い灯台と、
天神山のやさしい風景がある限り、
私は、大丈夫だと考えている。

 母も、70歳となった。

この母が、これからはどんな子守歌を唄ってくれるのだろうかと考えながら、
同じふるさと出身の妻と、反抗期の子供達を連れて、

私は母の住む天草島に、今年もまた、帰りたいと考えている。






いかがでしたか?
少し昔(10年位なるかも)に
読んだ話ですが、
じーんときますね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーマルチチンドンヤー

2005年02月02日 | Weblog
チンドン屋

といえば、

何人かで鐘や太鼓や三味線など演奏しながら練り歩く人達のこと
を普通さしますが、この人を見て、

思わずスーパーマルチチンドンヤーと名付けてしまいました。

何種類楽器が付いているのかよくわかりません。
ギター、ハーモニカ、バスドラム、ハイハット、タム、
与作という歌で出てくるキリキリキリーという楽器、
もちろん声。

なにやらクラクションみたいなのも付いている様子。
歌もリズムもバッチリでした。しゃべりは関西弁。

もう二度と出会うことはないかも。

地下鉄七隈線の開通記念式典のアトラクションのゲストの方みたいです。
ひょっとしたら超有名な人だったりして・・・・・。


*2月3日朝刊でスーパーマルチチンドンヤーさんは、

大道芸人「ファニートンボ」さんと判明。

愛知県から応援に駆けつけられたそうです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手打ちのどん

2005年02月02日 | Weblog
手打ちうどん
ではありません。

間違いなく
手打ちのどんです。

『の』の字が赤でないなら絶対に?
と思いますよね^^
以前は全部黒文字だったので、手打ちのどん

は手打ちうどんのうの字を崩しすぎて
のの字に見えるのかなあ?とずっと思ってましたが、

手打ちの“どん”という店の名前だったんですね。

おそらく店主が何回も客に聞かれて面倒くさくなって、

外装を新しくしたついでに“の”の字を赤にしたみたいですね。^^

唐津城横を抜け火力発電所も通り過ぎ
少し行くと、左側信号の角にあります。

うどん定食500円(ご飯、おでん、タヌキうどん)は安いです。

呼子方面へ行かれたときは、是非寄ってみて下さいね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする