釣れづれNickey

時々行く釣りや身近な出来事などのレポートです。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を・・・。

パンジーポッド

2008年12月29日 | Weblog
冬は派手な色の花が少ないですね。こんなのはどうですか?ペットボトルで簡単に作れます。いろんな花を植えることが出来ますよ。

スウィートピーの苗をこのポッドの下に植えています。暖かくなって伸びてきたらこのポッドは外します。色とりどりのたくさんの花が咲く春先が待ちどおしいです。


車庫入り口の花をほったらかしにしていたら、こんな綿のような小さい実(種)が付いていました。ふーーーぅと吹くとタンポポの種のようにふわふわと飛んでいきます。


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大日如来様

2008年12月27日 | Weblog
年に一度の大日如来の掃除に帰ってきました。この大日様は実家から近い山の中にあって、母が一人では怖いから行けないというので毎年ついていきます。私の曾祖父が近所の方と建てたもので、うちの実家が毎年掃除をしています。途中の田んぼにイノシシの糞があったので、今頃はお供えした干し柿やミカンはイノシシに食べられているかもしれません。

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クリスマスイルミネーション

2008年12月27日 | Weblog
クリスマスも過ぎてしまい少し時期はずれの写真になってしまいましたが、23日の福岡市天神岩田屋前に飾ってあったものです。たくさんの人が写真をとってました。


もう今年も残すところ4日となりました。個人的にはとても忙しい年でしたが、新しい経験がたくさん出来た年でした。
久住登山を機に、山に興味が出てこの冬も機会があれば久住山への途中の扇が鼻分岐までくらいまで登って見たいなあと思っています。
そのためには牧ノ戸峠まで行ける車が必要ですね。ランクルあたりが欲しくなってきました。(いかんいかんまた始まった^^)

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カニシャボテン

2008年12月22日 | Weblog
先日、忘年会の帰りスーパーに売ってあったのを買って来ました。
もっとたくさん花がついていたはずなのに、酔っぱらって歩いて持って帰るときに、いくつか落ちたみたいです。
暖かい部屋(夜だけ)に置いているので今満開で、全体にしおれかけていたのが少し元気も出てきているようです。
それにしても、いい色です。あきませんねえ。


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サンタクロース

2008年12月22日 | Weblog
外にサンタクロース飾ってみました。可愛いので気に入っています。

               

サンタさん3人いて下から順番に電気が付き上っているように見えます。(他にもいろいろパターンがあります)可愛いのでじっと見ていたいんですが、怪しい人と間違えられそうです。^^

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筑後川温泉前の風景

2008年12月21日 | Weblog
雲が山の下の方におりていて何とも言えない幻想的な風景が見られました。
冬にしか見ることが出来ない景色ですね。
ここから少し日田の方に行ったところのそば屋さんも美味しかったです。腹がへって写真撮るの忘れました。また行きたいそば屋さんです。民家を改装して造られた店で20畳の大きな座敷に、懐かしいいろりが置いてありました。店自体はまだ5年くらいだそうですが、家屋は80年経っているそうです。しぶい信楽焼が置いてありました。言葉では言えません。これも写真撮るのを忘れました。おじいさんの戦友の方が窯元で、その方から贈られた相当な価値のあるものだそうです。

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観葉植物

2008年12月21日 | Weblog
よく行く花屋さんで、処分1000円!!につられて買ってしまいました。
何という花かも知りませんがなかなか豪華でしょう?

右隅のヘルメットからだいたいの大きさがわかると思いますが、かなり大きいです。突然玄関がジャングルになっています。
ポインセチアもそんなに小さい物ではないんですが、小さく見えます。


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バースデーケーキ

2008年12月21日 | Weblog
今日誕生日の同僚の誕生日のお祝いをしました。
12月生まれが他にもいて合同バースデーパーティーになりました。

今日集まった4人中3人が12月生まれで、ご覧のようにおいしいケーキもいただきました。幸せです。

ミスターマックスで、島田紳助がドンペリと間違ったというシャンペンを買ってこの居酒屋に持って行きましたが、当然のごとく店では飲めず次回某所で飲もうということになりました。
はやく飲んでみたいです。
このあとケーキは4等分され全部胃の中に入りました。ごちそうさまでした。少し甘いスポンジに甘さを抑えたクリームがとっても美味しかったです。ありがとうKさん。

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クリスマス・イルミネーション

2008年12月19日 | Weblog
クリスマスの季節です。前からちょっとやってみたかった電飾やってみました。
手始めに窓(内側)に飾ってみました。いい感じでしょ^^人通りが少ないのが残念です。

“ウワ~ッ!!きれい!!”

って言って喜んでくれる方が一人でもいたらいいですね。

つくづく日本は幸せな国だと思います。

ありがとうニッポン。 
頑張れ ~太郎~

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カボチャのチーズフォンデュ

2008年12月19日 | Weblog
先日、忘年会(何回目?)でした。久しぶりのほく菜です。これは美味しい。皆さんにも大好評でした。
地下鉄七隈線渡辺通で下車、二番出口から出ます。
そのままUターンして、広瀬病院先を右折、あとはまっすぐです。途中だるまラーメンがありますが気にせず直進します。だるまラーメンから50メートルほど行くと左手にあります。
ここはおすすめの店です。結構、有名な方も来られるようですよ。野菜中心なので女性の方にはきっと気に入ってもらえると思います。
写真のカボチャのチーズフォンデュはチーズ・パンともお代わりOKでした。勿論カボチャもバリバリ食べます。

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新西海橋~武雄温泉

2008年12月14日 | Weblog
旧西海橋を渡り、駐車場から新西海橋を見ると木製の回廊(?)が出来ていました。時間がないのと寒いのとで今回は渡りませんでしたが、暖かくなって桜の季節になれば最高のロケーションだと思います。
橋の向こうには針尾島の3本の無線塔が見えますがわかりますか?太平洋戦争開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ」を東シナ海向けに再送信したと言われていますが、近く取り壊されるそうです。一方で存続運動もされているそうですね。

昨日忘年会で、二人で焼酎5合瓶1本空けてしまって、ヘロヘロになって帰宅。今朝は当然のごとく2日酔いで“もう酒やめた”と思いながらしばらく布団の中でゴロゴロしていました。昼前から(予定していたので)、少々気分はすぐれないまま愛車Zで実家に帰省しました。

昼食は1時半頃西海橋手前の万十屋であらかぶ定食(これがバリ美味しい)を食べ、おかげで2日酔いは吹っ飛びました。昼食後は西海橋を渡ったところにある土産屋さん(鮮魚も売ってある)で天然ヒラスの半身(これは夕食用)を買い、帰る途中にある、いつも行く花屋さんでパンジーほかを買い、実家に帰ってそのあと一人で武雄温泉に行きました。あー忙しかった。^^



あまりにも有名な武雄温泉のシンボル。携帯電話で撮った写真ですが何となくいい感じに写っていて安心しました。湯は少しぬるぬるしていていい湯です。実家から30分位なので帰省した時はよく一人で出かけます。敷地内にいくつか温泉があり300円の所もありますが私は600円の鷺ノ湯に入ります。駐車場の係の方に以前尋ねたところ、この鷺ノ湯がいいと言われ、それ以来他の湯には一度も入った事がありません。

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感動動画

2008年12月14日 | Weblog
南米チリで、高速道路で車に跳ねられた仲間の犬を助ける犬の動画が話題に!!

こちらです

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誕生日(と喜ぶ年でもないけれど^^;)

2008年12月10日 | Weblog
先日、ある居酒屋に行って、少し前誕生日だったことを話したらわざわざこんな素敵なケーキ(?)をプレゼントしてくれました。
なかなか持って来てくれないなあと思って帰ろうとしていたらやっと持って来てくれたのがこれです。
でも、待った甲斐があったかも。字はチョコレートで書いてあります。



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真冬の久住

2008年12月08日 | Weblog
御池も凍っています。(ようこそ九重連山への永松さん撮影)

初夏、真夏、秋と今年3回登った久住の現在(12月6日)の様子です。冬は他の季節とは全く違う装いですね。沓掛山あたりまでなら何とか行けるかもしれません。是非下の写真のような樹氷を自分の目で見てみたいです。沓掛山あたりまでならマイナス10度まではなさそうですが素人でも登れるもんですかね?それよりも牧ノ戸峠まで車で行けるかがまず問題です。




牧ノ戸峠も雪景色。(ようこそ九重連山への永松さん撮影)



扇が鼻分岐手前の樹氷。(ようこそ九重連山への永松さん撮影)




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ネットで見つけた感動する話“人になにかをしてあげること”

2008年12月07日 | Weblog
私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。食事中に私は、友人から意外なことを言われた。共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?それって、あんまりじゃない。もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、そしてそのまま別々の電車に乗った。下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。

 


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ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。そしてこう言ったという。

「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、人に食べさせることによって自分の口に入る。人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ……というような話だった。


こういう戒めはキリスト教にもある。聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、もう一つ大切なことが隠されています。それは、人が誰かのために何かをするという行為は、所詮、自分への見返りを期待してのこと。仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」
 
友人はこのことを言っていたのだろうか。自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、何かを人にしてあげる時、具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、人の評価を聞いて満足するというような、精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 

私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」

見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 

私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。その上に、階段はずっと続いているのである。私はその階段があることに気づいていなかった。…いや、気づいていたのかもしれないが、面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。

 

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帰宅後、私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。電車の中で気づいたことを素直に告げた後、どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、きっと自己満足なんかしないと思う。
むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」

 
私は体中が温められたような気分だった。

 
その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。
郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。


人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 
次のステップはまだ遠い。でも私はあの友人のおかげで、ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。

(こうづ かんな)

《大望》2月号より転載







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