今回は大野勝彦さん著の手記『よし、かかってこい!』という本の紹介です。
読みながら何度も涙が出て止まりませんでした。
アマゾンでも購入できます。
著者大野さんの思いをすれば、たいていの悩みは吹き飛んでしまうでしょう。
そして自分は恵まれていることに気づくはず。
~本文より~
手術するたびに短くなるうでに、ただ祈る毎日が過ぎていく。
人間とは、失ってみないと、ほんとうのありがたさがわからない生き物なのかもしれません。わたしも両手をなくしてみて、はじめて手のありがたさが身にしみた人間です。
両手がなくても、まだ両足、目、頭、内臓だって、しっかり役割をはたしながら動いてくれています。ありがたいことです。もしも、多くの人たちが、身のまわりのいろいろなものへのありがたさに気づき、しあわせを感じてくれたなら、世の中はもっとほほえみにみちて、今より何倍も明るくなることでしょう。
内容紹介
1989年7月、45歳のときに仕事中の事故で両手を失い、失意のどん底から独学で創作の道を歩み始めた義手の画家、大野勝彦。本書は、なにごとにも「よし、かかってこい!」の気持ちでどんな困難ものりこえ、ほんとうのしあわせに気づき、ついには美術館づくりの夢までかなえた男のものがたり。「奇跡体験! アンビリバボー」(フジテレビ系)や「ハイビジョン ふるさと発」(NHK-BShi)でも紹介された、“両手を失った画家”大野勝彦はじめての手記です。
著者について
1944年、熊本県生まれ。高校を卒業後、家業の農業(ハウス園芸)を営む。89年の7月22日、トラクターを掃除中に右手を巻き込まれ、それを取ろうとした左手も巻かれて、両手とも切断。失意のどん底に突き落とされるが、入院3日目から筆を患部にくくりつけて詩を書きはじめる。2年後に初めての個展を開催。2006年4月までに3000回あまりの講演会も行う。その生きる姿勢と詩画に共鳴する人の輪が全国に広がっている。現在、熊本県に「風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館」、大分県に「風の丘 飯田高原 大野勝彦美術館」を開くほか、07年7月、北海道に「風の丘 美瑛 大野勝彦美術館」が完成。著書に『はい、わかりました。』(詩画集、小社刊)、『両手への讃歌』(詩集)、『さよならのあとに』『風の丘から ふり向けば母の愛が』『やっぱいっしょがええなぁ』『そばにいた青い鳥 失って見えてきたもの』『夢は叶うもの思い強ければ』(以上、詩画集)がある。
読みながら何度も涙が出て止まりませんでした。
アマゾンでも購入できます。
著者大野さんの思いをすれば、たいていの悩みは吹き飛んでしまうでしょう。
そして自分は恵まれていることに気づくはず。
~本文より~
手術するたびに短くなるうでに、ただ祈る毎日が過ぎていく。
人間とは、失ってみないと、ほんとうのありがたさがわからない生き物なのかもしれません。わたしも両手をなくしてみて、はじめて手のありがたさが身にしみた人間です。
両手がなくても、まだ両足、目、頭、内臓だって、しっかり役割をはたしながら動いてくれています。ありがたいことです。もしも、多くの人たちが、身のまわりのいろいろなものへのありがたさに気づき、しあわせを感じてくれたなら、世の中はもっとほほえみにみちて、今より何倍も明るくなることでしょう。
内容紹介
1989年7月、45歳のときに仕事中の事故で両手を失い、失意のどん底から独学で創作の道を歩み始めた義手の画家、大野勝彦。本書は、なにごとにも「よし、かかってこい!」の気持ちでどんな困難ものりこえ、ほんとうのしあわせに気づき、ついには美術館づくりの夢までかなえた男のものがたり。「奇跡体験! アンビリバボー」(フジテレビ系)や「ハイビジョン ふるさと発」(NHK-BShi)でも紹介された、“両手を失った画家”大野勝彦はじめての手記です。
著者について
1944年、熊本県生まれ。高校を卒業後、家業の農業(ハウス園芸)を営む。89年の7月22日、トラクターを掃除中に右手を巻き込まれ、それを取ろうとした左手も巻かれて、両手とも切断。失意のどん底に突き落とされるが、入院3日目から筆を患部にくくりつけて詩を書きはじめる。2年後に初めての個展を開催。2006年4月までに3000回あまりの講演会も行う。その生きる姿勢と詩画に共鳴する人の輪が全国に広がっている。現在、熊本県に「風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館」、大分県に「風の丘 飯田高原 大野勝彦美術館」を開くほか、07年7月、北海道に「風の丘 美瑛 大野勝彦美術館」が完成。著書に『はい、わかりました。』(詩画集、小社刊)、『両手への讃歌』(詩集)、『さよならのあとに』『風の丘から ふり向けば母の愛が』『やっぱいっしょがええなぁ』『そばにいた青い鳥 失って見えてきたもの』『夢は叶うもの思い強ければ』(以上、詩画集)がある。