雑記帳

日常の楽しみや感動を写真や絵で表現したい

北茨城へ小旅行 - 3 -

2016-01-18 18:22:39 | 行楽
車 六角堂を見学ルート6を南下し、少し遅めのランチです。

  その日は曇りがちの天候で寒く、イタメシとかフレンチあるいは寿司
   というより、温かい麺類を食べたくて街道筋の中華料理店へ入りました。

  

ラーメン お陰で身も心も温まり、次の目的地野口雨情の生家へと向かいました。 
 
  
 
車 そこから、ルート6を南下すること7、8分程だったでしょうか
   右側に「野口雨情 生家」という看板が見えたのでそこを右に曲がると
   直ぐ左が駐車場になっていました。


  ↓ 立派な観海亭」といって、徳川光圀公が命名した木造2階建ての建物です。

   

お城 水戸藩郷士らしい立派な屋敷門があります。

  

    

扉 門を入り通路から玄関へ。扉を半分ほど開け、お声掛けして暫くすると
   右奥ののれんを分けて熟年男性が現れました。
   入館料100円を支払うと「復興費として頂戴しています」と言われました。


   その男性、野口雨情さんの略歴石川啄木との出会い、竹久夢二との出会い
   西条八十中山晋平との交流などとても詳しく丁寧にお話しされたのだった。

   そして有名な童謡の数々を優に15ほどスラスラと口にされ、
   お歳(失礼!)にも係わらず素晴らしい記憶力~~と驚きました~


カメラ 部屋に置かれている様々な作品や写真など写真撮影禁止なので
   野口雨情記念 湯本温泉 童謡館で概略をお読み下さい。

ハート 私が一番心惹かれたのは、金の船社専属だった画家(岡本喜一など)の挿絵の数々
   雨情の歌詞が載っている印刷物と雨情考案のほのぼのカルタ百人一首です。

   また、雨情は良寛さんを敬愛していたらしく良寛さんの字体をお手本にして
   線の細い筆遣いで書かれたという掛け軸も何点かありました。

     
 とても綺麗にされているお庭でした~。

  続く
 
 

北茨城へ小旅行 - 2 -

2016-01-18 09:45:29 | 行楽
 
車 天心記念五浦美術館天心の足跡と企画展の素晴らしい作品に触れた後
  六角堂へ向かいました。
  
 

車 車で5分ほどの距離に市営の駐車場があり、その直ぐ傍に黄門の井戸がありました。

 

井戸 左側の立て看板には・・・
  「元禄年間、徳川光圀公が領内巡視のおり、この地訪れた際 喉の渇きをおぼえ
  井戸はないかと供のものが捜しまわり、畦の脇に古井戸を発見した。
  ただし、水は底深く飲むことができず、光圀公が井戸をのぞき見たときに
  杖が井戸の淵に当たり、水がコンコンと湧き出て難なく飲むことができた。
  その後、この井戸は「黄門の井戸」と呼ばれ、涼味溢れる水を永く土地の
  民に与えたといわれている。」・・・と書いてあった。


歩く そして、その場所から数メートル先に岡倉天心のお墓があります。

  

歩く 道路を隔てて、お墓の斜め前が天心の居宅だった場所で、道路沿いに
   登録文化財の長屋門が見えます。
   この場所は現在茨城大学が管理していて茨城美術文化研究所として公開しています。

 
↑右上の表札に「岡倉天心邸 長屋門」と書いてありますが切れてしまいました。

歩く 左側の歩道を進むと天心記念館があり、資料展示や
   天心が愛用した釣船が置かれていました。

 


歩く その記念館を出て直ぐの所にウォーナー像と覆堂がありウォーナーという人は
   天心に師事したアメリカ人だそうで、太平洋戦争時 爆撃対象から奈良や京都などを
   外すリストをアメリカ政府に提出した人といわれています。

        

歩く 道なりに進むと松林の中から右手に天心邸が現れます。

 

歩く そこを左に進むと、あの東日本大震災で台座のみになり
   一昨年、再建された
六角堂が見えます。

 
         

家 天心はこの六角堂「観瀾亭」と名付け、波を見ながら瞑想に耽ったそうです。
   この場所から太平洋の大海原を見つつ、世界を感じていたのでしょうか・・

  ↑ 写真右中央に石灯籠が見えます。


家 六角堂から西に進むと先程見た天心邸の正面に出ます。国の登録有形文化財です。

 

家 天心は、土地を購入したときに建っていた古い料亭(観浦楼)を住居として
   いましたが、荒廃が激しかったため新築したものだそうです。
 

四角 天心邸の脇に建つ石碑は、昭和17(1942)年、細川護立、横山大観らによって
   建てられ、「亜細亜ハ一な里」と刻まれています。

 

 続く