六角堂を見学後ルート6を南下し、少し遅めのランチです。
その日は曇りがちの天候で寒く、イタメシとかフレンチあるいは寿司
というより、温かい麺類を食べたくて街道筋の中華料理店へ入りました。
お陰で身も心も温まり、次の目的地野口雨情の生家へと向かいました。
その日は曇りがちの天候で寒く、イタメシとかフレンチあるいは寿司
というより、温かい麺類を食べたくて街道筋の中華料理店へ入りました。
お陰で身も心も温まり、次の目的地野口雨情の生家へと向かいました。
そこから、ルート6を南下すること7、8分程だったでしょうか
右側に「野口雨情 生家」という看板が見えたのでそこを右に曲がると
直ぐ左が駐車場になっていました。
↓ 立派な生家は「観海亭」といって、徳川光圀公が命名した木造2階建ての建物です。
右側に「野口雨情 生家」という看板が見えたのでそこを右に曲がると
直ぐ左が駐車場になっていました。
↓ 立派な生家は「観海亭」といって、徳川光圀公が命名した木造2階建ての建物です。
水戸藩郷士らしい立派な屋敷門があります。
門を入り通路から玄関へ。扉を半分ほど開け、お声掛けして暫くすると
右奥ののれんを分けて熟年男性が現れました。
入館料100円を支払うと「復興費として頂戴しています」と言われました。
その男性、野口雨情さんの略歴や石川啄木との出会い、竹久夢二との出会い
西条八十や中山晋平との交流などとても詳しく丁寧にお話しされたのだった。
そして有名な童謡の数々を優に15ほどスラスラと口にされ、
お歳(失礼!)にも係わらず素晴らしい記憶力~~と驚きました~
部屋に置かれている様々な作品や写真など写真撮影禁止なので
野口雨情記念 湯本温泉 童謡館で概略をお読み下さい。
私が一番心惹かれたのは、金の船社専属だった画家(岡本喜一など)の挿絵の数々と
雨情の歌詞が載っている印刷物と雨情考案のほのぼのカルタと百人一首です。
また、雨情は良寛さんを敬愛していたらしく良寛さんの字体をお手本にして
線の細い筆遣いで書かれたという掛け軸も何点かありました。
↑ とても綺麗にされているお庭でした~。
続く